カテゴリ:読書日記( 71 )

クリスマスイブのプレゼント。

PR誌「ちくま」2017年1月号(通巻No.550)の表紙が変わった。
これまでの落ち着いた雰囲気(酒井駒子)から一気にPOPな感じに。
想定読者年齢を下げたか、下げたいか。
若い読書人を取り込まないことには出版界の未来は暗い。

表紙変わったついでに、本文の書体とレイアウトも若干の変更が。
執筆陣は継続あり新規参入ありで、これまでの続きなのだけれど
何かが変わったか、変わろうとしている意思は伝わってきました。

そんでもって今回の「ちくま」は、わりといい。新年号だし? 気合入ってるし?
巻頭の橋本治「遠い地平、低い視点」31は、いつも通り。言って欲しかったことに名前をつける
センスは抜群の橋本節。今回のサブタイトルは「自己承認欲求と平等地獄」。
思い当たる点多々。自己主張ではなく「自己承認欲求」が蔓延しているネット空間…。
私たちはもうそこから抜け出せないのか? そんなに幼稚になっているのか、今の知性は。

続く「「母」という役割の大切さ」(森田展彰/『「母と子」という病』(高橋和巳/ちくま新書)の紹介文)
は、思い当たることずばり。私はSタイプでした~。まだ終わってない、「母と子」の関係。
他の連載ならびに、新刊紹介エッセイもいつもより身に沁みるものが多い。
しかしなかでも、特筆すべきは新連載エッセイのこれ。

上野千鶴子の新連載「情報生産者になる」第1回。
目から曇りが覚めるような、冷静な構造分析に、学問てこういうこと! と快哉を叫びたくなる。

「研究とは、まだ誰も解いたことのない問いを立て、証拠を集め、論理を組み立てて、答えを示し、相手を説得するプロセスを指します。そのためには、すでにある情報だけに頼っていてはじゅうぶんではなく、自らが新しい情報の生産者にならなければなりません。」(PR誌ちくま 2017.1月号の20Pより)

情報はノイズから生まれる、この情報工学の基本も、そうだよな~と思う。
ちょっとした違和感、ゆがみ、ずれなどの「?」感覚が、なんか変だなという感じが問いへの第一歩。
だからきっと、日常が大事なんだ。カントのようにとはならなくても、いつも決まった時間に
決まった行為を行うという繰り返しの中でこそ、「いつもと違う」何かが見出される。

まあ詳しいことはこの文をぜひ読んでほしいのだけれど(フェミニストでも、フェミ嫌いさんも、著者に対する偏見なしに、この連載をフラットに読んでほしいと望む。。大きな書店に行けば、レジ周りに「PR誌ちくま」あるかも。もしくは金沢などの県庁所在地図書館にならあるんでないかな~。県立図書館にはあるでしょ!?)

問いを立てよう。
まだ誰も解いたことのない問いを。
オリジナリティとは何か。過去を知ることからしか始まらないなにかもある。
ずっとインプットしてきたことを、そろそろ本気でアウトプットに回さないと。
自分の中で異臭を放って発酵して別物になってしまわないうちに。

いろいろな気付きを与えてくれる、今の日常に感謝。(L)
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by iwashido | 2016-12-24 13:05 | 読書日記 | Comments(0)

小旅行。

日常的に線路(鉄道)のない地域で暮らしているので
たまに電車に乗りたくなることがある。
今回の帰省ではその気持ちを十分に堪能した。
とはいえ、一日で行くのは無理。青春18きっぷも使えない3セク区間もあるし
途中下車・宿泊を考える。
すると、途中にとてもよいところが! それは、越後、松代、三省ハウスだ。

ほくほく線で、直江津から十日町(六日町)に抜ける線路。
一時期、北陸新幹線が開通するまでは、越後湯沢へのショートカットとして
特急だって走ってた。それが今では単線扱いの。でも住民の足にはなっている模様の。

金沢から富山、富山から泊、泊から直江津まで各駅を満喫~
あ~たのし~!! どうしてこんないい線を三セクにおろすか理解不能。
海の見える最高の線路なのに。そして犀潟から山のほうにシフト。
うーん新潟、奥深し!!

来年、私の暮らす地域で「奥能登芸術祭」とやらに取り組むらしいが
あんまり盛り上がってはいない。そこで松代の「花咲ける妻有」を見るなどして
元気をもらってきた。まあ(芸術祭は)私はあんまり関係ないけど、
松代の三省ハウスはいいところでした。小学校を改築したゲストハウス。
食事も美味しかったし、また泊まりに行きたいと思えた。また行こう。

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by iwashido | 2016-08-12 03:59 | 読書日記 | Comments(0)

出会いに偶然はないとしたら

香林坊の地下に書店が復活しました。
世が世なら、敵陣本丸上陸(?)と言われかねない交代劇。
いまどき、そんなことを気にする人は少数でしょうけど。

ほんの10分余裕があれば、寄ってしまう、本があるところならどこでも。
図書館でも書店でも古本屋でも。
つーっとみてつーっと素通りするはずだった。
それなのに。

この本を見つけてしまった。
白水社、エクス・リブリス・クラシックスのシリーズが棚に勢ぞろい。
1冊だけ面出ししてあったその本。
『潟湖(ラグーン)』 ジャネット・フレイム著。
ニュージーランドの国民的作家のデビュー作。

知らない人の方のために解説しますと、
もう20年以上前、「エンジェル・アト・マイ・テーブル」という映画がありました。
その本を書いたのはジャネット・フレイムで、作家の自伝的作品を翻訳して出版されて
映画化されました。その映画も本も読んで、深く共鳴した若い頃の私。
原書も買ったくらいにして。
そのフレイム女史(現在は他界)の、デビュー作が「潟湖(ラグーン)」で当時は
日本語訳は出版されていませんでした。その本が。目の前にあった。

ちょっと迷ったけど買ってしまった。このタイミングを逃すとネットで買うしかなくなるかも。
(最近できるだけリアル書店で本をかうことにしているので・・)

その本を昨日、眼前、海と山の、波音の聞こえる某所で読みました。
うわー、いいなぁ。
こんなところで日永一日読書と思索にふけりたい。
そう思うほどの至福な瞬間でありました。
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by iwashido | 2016-06-04 13:45 | 読書日記 | Comments(0)

一冊の本に。

某月某日、某書店にて。

暇つぶし、もしくは微妙な時間調整のために書店に立ち寄る。
まずは隔週刊雑誌の連載チェック、一回読んだはずだけど再度なぞる。
ほかにも気になる月刊誌の連載などもブラ読み。

別に買わなくてもよいのだけれど、書店にきたら何か買わねば、と思ってしまう。
もちろん買う気にならない売り場もあるけど基本は応援(すでにボランティア的気分?)。
しばらく出ていなかった定期購買中の連載コミックの最新刊、買ったか買ってないか
しばし迷って、やっぱり買ってないと判断し購入するつもりで1冊抜く。

このままレジに行ってもいいのだけれど、コミック1冊というのもしゃくなので、
何か面白そうな文芸書があれば、と思って単行本の棚を見る。
とはいえ、売れ筋の本なら借りて読めばいいとか思ってしまうし
話題になっている本はすでに読んだり、読んだ気になっていて購入するほどでもない。
ちょっと気になる題名もしくは著者の本が並んだコーナーがあったけど、
よく読めば過去の遺産の再編集だったりする。

うーむ、と悩み、文庫コーナーへ。
ガツンとさせられる本が読みたいなら岩波文庫かな~と思いつつ
新潮文庫の棚の前で足が止まる。”村上柴田翻訳堂”の文字が目に入る。
挟み込みチラシで見ていたこれは、文庫だったのね(ハードカバーと思っていた)。
文庫なら1冊買ってもいいやと、村上堂のほうを1冊抜く、
そしてその隣というか、流れとして「む」の棚を見る。
これだって再編集本なんだけど、とった本の、開いたページの文字に目が釘付け。

「図書館の話をしよう。・・」

え、図書館? なんでここで図書館?
でもこの人のいう”図書館”って興味あるし。

「僕はそこに行けばいつでも、自分のためのたき火を見いだすことができた。」
「図書館とは、もちろん僕にとってはということだけれど、「あちら側」の世界に
通じる扉を見つけるための場所なのだ。」

これだけで即決、買いましょう、レジに進む。
ちなみにその本の署名は「村上春樹 雑文集」新潮文庫。
思いっきり再編集本なのだけれど。

役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そういうことは
本質的ではなくてもいいのだ。図書館とは本来(かどうかわからないけど)
ある種の人にとって「あちら側の世界への通路」もしくは「小さなたき火」だったのだ。

ここ数か月の迷いや悩みが吹き飛ぶほどの、
完璧な(私にとってはということだけれど)定義を見つけてしまった。
少なくとも自分の立ち位置をよくわからせてくれる手助けになりました。

ありがとう、本屋さん。
ありがとう、新潮文庫。
そしてありがとう、村上さん。
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by iwashido | 2016-04-24 08:27 | 読書日記 | Comments(0)

本を読むということ。

自分がもっている本が図書館にあると嬉しい。
あ、こんなマイナーな本でも置いてある、ニーズがあるんだ、とにんまり。
先日別の本を探していて、自分のお気に入りに本を図書館で見つけた。
『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス/筑摩書房、2011)。
作者はドイツ人だが、フランス語で書かれた、ギリシア(エーゲ海)の島の女性の物語。
この本出版されてすぐ読んで、もちろん買って持っていて(今も)、
主人公の女性と自分を重ねて読むほどに気に入っている1冊。
地味な話であるが、感情移入できればエキサイティングに読める。

もう1冊は『雪と珊瑚と』(梨木香歩/角川書店、2012)。これは買ったけど手放した本。
でもすごく気になっていて、図書館にあるのが(本当の利用という意味で)嬉しい本。
再読して気づく点は多々ある。一回めでわからなかった意味、読み落としていた人間関係など
別の視点で読めてくると何倍も楽しめる。

ネグレクトに近い状況で育った二十歳すぎの主人公が
シングルマザーで1歳の幼子を育てながら自己実現というかカフェをつくって、
という枠組みだけでいったらよくありそうな話なのだけれど、
「女が子どもを育てる」というのがどういうことなのか、
母性は女性に必須の感情なのか、母性の欠如=人間失格なのか?
というような本質的な問いがちりばめられていてこれもまたスリリングな本。

子どもを育てる、というのはある種「喰うか喰われるか」的な切実な葛藤を含む。
子どもだって必死、だけど親だって必死。
そういう親に巡り合った子どもは大変、だけど生きて、生き延びて。
虐待というわかりやすい言葉からは漏れ出てしまう「何か」がある。

この本についてはまだ結論が出ません、今も読書中ってことです。
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by iwashido | 2016-04-03 05:16 | 読書日記 | Comments(0)

本を食べて生きてゆく。

『羊と鋼の森』宮下奈都をよんでいる。

この題名だけでピンと来た人は音楽通、ピアノと調律師が主人公。
この本のことは、この春の石川県高校入試の国語の問題に
この小説の文章の一部が使われていて、それでよみたいとおもった。
その時は文芸誌に連載中で単行本にはなっていなかった。

小川洋子の「博士の愛した数式」のように、この羊鋼は
宮下奈都の代表作のひとつになるだろうと思った。

主人公に関係するある登場人物がピアニストになると決意する場面で
「ピアノで食べていくんじゃない、ピアノを食べて生きていくんだ」と宣言するように、
「本で食べていくんじゃない、本を食べて生きていくんだ」
と言いたい気持ちになりました。
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by iwashido | 2015-11-09 01:11 | 読書日記 | Comments(0)

「図書」(岩波書店PR誌)恐るべし。

「図書」5月号を読んだ。
岩波書店の底力を感じさせられた(様な気がした)。

まず、巻頭の「ウソ日記」(最相葉月)。ウソ日記、さっそくさせてみたくなる(生徒に)。
それから平野啓一郎の、大学時代の回想と小野紀明先生の「西洋政治思想史」講義の思い出の文。
自分がその授業を受けていたような気分になり、ゾクゾクする。
うーん、受けてみたかったな。自分にとってのこれに近い体験は「言語学」のそれかな。

細川哲士氏の筆による「両界橋の謎~古文書の余白に」もすごい。
橋の名前から始まって、その土地の由来をどんどんたどっていく(舞台は東京の高尾駅近く)。
そしてその結末の文の見立ての確かなこと!
(…腕力で勝った方の意見がその後大勢を占めることになった、と記憶している。)
歴史は書き換えられ続けている。

そしてなんともうならされてしまったのは次のエッセイであった。
「私の遺伝子の小さな物語」。イリナ・グリゴレ。
手術をした後の身体が伝えるメッセージを細胞レベルにまで還元し
また意識は時空を超え、過去(先祖)と未来(ここではないどこか)を行き来する。
科学の歴史を三百年にすぎないと看過する凄さ。
古いしきたりは、中世の慣習は、本当に無知蒙昧の象徴なのか?
白川静の文字学に通ずる、呪術と祭礼の意味を帯びた儀式の文字への影響を思い出させる。

中世がいいと言っているわけではない、古代社会へのノスタルジーですらない、
ただ物事の・文字の起源にさかのぼることを忘れてはいないか、と警鐘を鳴らすだけ。

ギリシア語をよめるようになりたい、と思っていた頃の記憶を思い出してしまった。
今年は貪欲に勉強したいものである(いろんな意味でね)。

人文書、売れない時代にこのような初心者の初心を思い出させてくれる
良質な文章をたくさん載せたPR誌を無料で読めて幸運であった。
「ちくま」も面白く読んでいるけど、かなわない、と思った。
(毎号そう思えるほど読み込んでいるわけではないけど。今回はたまたま。)
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by iwashido | 2015-05-07 23:47 | 読書日記 | Comments(0)

ドーミトリー ともきんす

『ドーミトリー ともきんす』(高野文子)を読むことができた。
書評等で取り上げられたのも読んでいたが、やはり実物にまさるものはない。
漫画という表現形式を借りた、一流の理科本ブックトーク。
これは高校図書館の蔵書に必備かもしれない、とひとりごちる。

知らない人のために説明すると、高野文子という漫画家さんの作品で、
架空のドーミトリー(寮)ともきんす、に、
トモナガくん(朝永振一郎)、マキノくん(牧野冨太郎)、ナカヤくん(中谷宇吉郎)、ユカワくん(湯川博士・・名前忘れた、ノーベル賞受賞者の)という4人の学生さんが住んでいるという設定で、
彼らの著作物やエッセイ・日記・本の紹介になっている。

幸いなことに、朝永振一郎著作集(みすず書房)が手近にあり、トモナガくんの若き日の
滞独日記を漫画と並行して読むことができた。
これがなんともすばらしい。ユカワくんとトモナガくんは専攻を同じくする(物理学)学生で、
ユカワくんのほうが先に功績というか論文を認められ、世間に知らしめられた頃、
トモナガくんはドイツに留学し、なんとも言えない、少し悶悶とした日々を過ごす
その頃の日記が、著作集の別巻2「日記・書簡」に掲載されている。

トモナガくんは泣き虫で、「ぼくは物理なんてきらいです」と、漫画の中のトモナガくんは
ノタマウのだが、その感じと、日記の読後感はパラレルである。
また、ボタニスト(植物学者)となる前のマキノくんも漫画に出てきて、
牧野植物学大図鑑(だったっけ?)はさすがになかったけど、類似品の北隆館の
牧野植物画を拡大して使用してある図鑑ならあって、そこに出てくる植物がはどれも
「植物観察には虫眼鏡と筆がいちばん」と言い切るマキノ直筆の愛ある植物図が
たくさん載っていて、デジカメのない時代だからこそ、人は自分の目を信じて
真実に迫ろうとしていた気迫というか愛をひしひしと感じてしまった。

ドーミトリーのモデルは、北海道にあったという中谷博士の別荘だそうだし、
なんといっても万感せまるのは、
作品のおわりのほうに掲載される、「科学と詩」を考察したのユカワくんの詩であろう。
いま手もとに『ドーミトリーともきんす』がないので、正確な引用はしかねますが、
この詩は素晴らしい。科学と詩は、同じところから出発して
たどる道筋は違うけれど、行きつく先(目指すもの)は同じはず・・というような
書いてしまえば味気もない結論が、明確な論旨とイメージで表現されています。
文系だの理系だの区別する前に、この詩はぜひ一読をおすすめしたい
若い人たちに、と強く思った。
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by iwashido | 2014-11-29 10:33 | 読書日記 | Comments(0)

本と出合うタイミング

1年に出版される本は現在どれほどの量なのか、
数値としてすら知らないけど、すべての新刊を読むのはまず不可能。
新刊書店でなくても新古書店ででもいいけど、100円の本ですら購入を迷ってた時期もあった。

今すこし余裕ができて(精神的に)、本当に自分が読みたかった本と、背どり的な意味合いの本
を区別できるようになった。必ずしも新刊でなくても、図書館でですら出会いにくい本と
目の前で(棚の中で)出会えるのはちょっとうれしい。

小川洋子の『シュガータイム』、別にそう珍しい本でもない。
きっと図書館で探せばあるだろう、でも買ってしまった(新古書店で)。
理由は、とある新聞の読書週間特集の記事で、食べ物関連本のおすすめで
あげられていたから。

一時的な摂食障害に陥った女子大学生と、身長があまfり伸びない
血のつながらない弟が出てくる。それから肉体関係にならない年上の恋人。
トピックスだけあげつらうとすごく週刊誌的だけど、そこは小川洋子の描く
静謐な世界で何の祖語もなく話が進んでいく。
読み終わってなんとなくだけど、『博士の愛した数式』に通ずるモチーフを感じたりした。

最近、現実世界で、「ひらめき(直観)」の重要性を感ずる。
なんとなく、ふと、思った(ひらめいた)いつもと違う感じや違和感は
きっと大切にしたほうがいい。世界が論理的にだけ構成されているという証拠はないのだから。

この前、大きな棘を抜こうとした。
抜けたかどうかはわからない、でも傷が棘になっていた(象徴的に)。
抜けたかどうかはわからなくても、自分は今けっこうすっきりしている。
傷があるままの自分を受け入れられるような気がしている。
だからもう無理に癒されなくても構わないのです。
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by iwashido | 2014-11-11 21:47 | 読書日記 | Comments(0)

図書館に関する本が。

図書館に関する本が今いろいろ手元に集まりつつある。

きっかけは『知の広場』という本を読んだことからだ。
イタリアの図書館事情を始めとする、世界的な視野での「図書館の今・知の今」をレポートした
本書は必読と思い、書評などから県立図書館で借りた。購入してもいいくらい。

目下、学校図書館とはいえ図書館で働いている立場として、日本の図書館の最低限の動きは
押さえておきたく、近くで立ち読みもままならない「図書館雑誌」を購読したいがために
日本図書館協会に入会した。これは個人でだれでも入会できます。しかも非正規雇用者は
自己申告で年会費を安く申請することも可能。それを利用して図書館雑誌を読むことに。
(別に情報をうのみにするつもりはなく、あくまで相対的に利用してるつもり。)
そしたら、公益社団法人化の入会キャンペーン中で、JLA発行の書籍が1冊選べると。
なんか情報リテラシー系の本を選んでしまった。

それから、立教大学の司書課程の准教授をされている中村百合子先生のブログから
面白そうな報告書や個人出版物のお知らせを過去ログから見つけて、
勇気をもってメールで連絡してみましたら、さっそくその本が送られてきた。
1冊は『情報を判断する力』という、立教大学社会の教育講座司書課程主催の
連続公開講座の記録集で、2011年の3.11後に「情報リテラシー」がいかに発揮されたか、
もしくはされなかったかについての反省に基づいた、知のあり方・図書館の存在意義などを
ある意味深く遠い視座を以って考察するための助けになるような講演論文集だと思った。
われわれ学校図書館関係者がいう情報リテラシーを、もっと広い視座で捉えなおすことができそう。

もう1冊は、その中村先生のお仲間である足立正治先生の退職記念に作成された
「Here Comes Everybody~足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と
学校図書館の可能性」という本。
足立先生のことはこの本とブログで少し拝見しただけだが、竹内敏晴氏の「からだとことば」
に関する活動は私も少し関わったことがあり、『ことばが墾かれるとき』は私にとっても
重要な意味を持つ本だった。カールロジャースのエンカウンターにもお世話になったこともある。
そういうことが、学校図書館に結び付けられるということは、
私のような経歴をもつものでも、学校図書館にかかわる意味はあるんだ、
と再認識することができ、今、自分の勤務する学校図書館をどういう場にしたいかといえば、
やっぱり私も「ひろば」のような場所を学校内に作りたいと願っているので、
大変示唆に富んだ面白い内容の本である。
(関連ブログ・サイトについては後で書き直してリンクします。ブログ技術未熟者なので。)
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by iwashido | 2014-07-26 17:29 | 読書日記 | Comments(2)

「新月いわし洞」から「古本LOGOS」への変遷と変転。


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