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LOGOSさんの月に1,2回古書店

カテゴリ:読書日記( 71 )

東電OL殺人事件

東電OL殺人事件に動きがあった。
容疑者以外に犯人の可能性があり、再審の可能性が開かれた。

佐野眞一の別の本を読んでいたら
家に『東電OL殺人事件』(新潮社)があることがわかり読んでいた。

殺された被害者の心の闇はあまりにも深くて暗いが、
全く他人事とも言い切れない親近性を否定しきれない。

学生時代までの男女同権の理想と、
社会に出てからの旧態依然たる越えられない壁の多さ。

なまじ男女同権を強く夢見た分だけ幻滅も大きい。

わたしたちはどこまでさ迷うのだろう。
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by iwashido | 2012-06-10 16:09 | 読書日記 | Comments(0)

風邪っぴきの読書。

数日前から咳が出るし、咽喉が痛い。
どうも風邪のようである。
そうでなくてもごろごろしているのに拍車がかかる。

だるい→横になる→読書→うたたね→だるい(以下繰り返し・・)→

昨日入手した、幸田文の『番茶菓子』(講談社文藝文庫)。
夏の古本市で入手した、寺田虎彦の『柿の種』(岩波文庫)に同等な、
読む価値のある1冊をGetできて幸運。

幸田露伴の娘で、エッセイの名手で、「台所の音」は
読んでいたけれども、身辺雑記・父露伴にまつわる文章は
もしかしたら初めて読むかも。

生きることと書くことが、彼女(文)には等価であったと、
解説にあるが、そうなのかもしれない。

出来事の背後にある、各人の心持ち。
人をもてなすことの、出来すぎと不出来の間の機微。
着物(和服)が映し出す、着た人の心情と精神と体調。。。などなど、
自分がざっくりと無視してきたことどもが丁寧に綴られる。

  「おしゃれなんか、と云う人は自分のおしゃれ心を
   わかっていない人なのでしょう。まずいところをそっと
   庇ってやりたい心、いいところをより磨きあげて大切にしたい心、
   それがおしゃれの本心です。優しいのが本来のものだと思います。」
      『番茶菓子』 131P「おしゃれの四季~雨の萩」の1節。幸田文・著
  
わたしはなんと「おしゃれ心」のない人間であるかと、痛感。

さっそく「ちくま日本文学全集 幸田文」も読んでみている。
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by iwashido | 2012-05-16 15:55 | 読書日記 | Comments(0)

今年初! の源法院一箱古本市。

長い冬が終わってようやく春~初夏へ季節が移りました。
桜さえ葉桜になっている金沢の町に、
一箱古本市に出店して来ました~♪
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お天気にも恵まれ、それなりに来場者が途切れることなく
行き来し、他の出店者さんの箱をのぞいたり
買い物をしたり、商売をしたりしていたら
あっという間に夕方4時になってしまっていて!

やはりお天気は重要かもしれない、と思いました。
それに、欲しかった本も入手できたし。
充実した一日でありました。
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by iwashido | 2012-04-29 22:13 | 読書日記 | Comments(0)

文藝作品の中の新潟。

久々に読書。
何ヶ月ぶり? ってな感じで図書館から借りてくる。

知人からのおススメというか問い合わせの確認を一冊。
『漁港の肉子ちゃん』(西可奈子・幻冬社)の中の言葉の
北陸弁のルーツはどこかと。

小説の中の町のモデルは石巻で、
でも小説としては「架空の北陸の漁港」として表現されている
その土地の言葉は、どう読んでも新潟のなまりだ。

「~らっけさ」
「そうらろ」
「うんめか(美味しいか)」

ばあちゃんの言葉を思い出す。
いまどきここまでこてこての越後弁を語れるものは少数だろう。
でもどことなく残っている。「ら」交じりの言葉は耳に残る。
北陸ではこういう「ら」音を聞いたことはない。
少なくとも石川県では。

新潟を北陸といえるかどうかは、意見のわかれるところで、
北陸(福井・石川・富山)は新潟を北陸に入れてあげてもいいよ、
って思っているかもしれないけど、
新潟は別に北陸だとは思っていないのではないか。
新潟はしいていえば「北信越」というくくりでつながっている。

偶然一緒に借りてきた絲山秋子の小説3冊の中に
新潟が出てくる作品があった。
『不愉快な本の続編』(新潮社・2011年9月刊)。
広島(呉)生まれの主人公が新潟と富山で暮らす章があって。

海の位置と太陽の位置の関係が、
瀬戸内と日本海側では真逆になる、という描写があって
私も瀬戸内で数年暮らしたから、そうだったなと実感。

富山の人が新潟を北陸と思っている、
という表現はその本の中に書いてある。
その辺の認識は正しいと思う。

昔は新潟って、なんもなくてつまらないところだと思っていたけど、
新幹線が出来て、高速道路もつながって、
東京からも近いし、
「新潟はちょっとした国の首都くらい立派な街」(上掲書P34)
になってしまったようだけれど、
こんなふうに文芸作品に取り上げられるとは思わなかったな。

よく観ることが、よい文章を書くためには大切なのだろう。
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by iwashido | 2012-04-13 11:42 | 読書日記 | Comments(0)

西の魔女からのメッセージ


 「 ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ へ
   
   オバアチャン ノ タマシイ、 ダッシュツ、 ダイセイコウ  」


                (『西の魔女が死んだ』 梨木香歩・新潮文庫P190)

 家族の死の意味を解釈しようとするとき、
 そこには幾重にも重なったフェイズ(面というか重層性)が存在する。
 
 現実的な意味、金銭的な意味、精神的な意味、心霊的な意味、その他いろいろ。

 でも、今回のことを大局的に私なりに考えると、
 上に引用した言葉が、ぴったりとくるように感じられることがある。
  (オバアチャン、は オジイチャン、に替えて読むのが正しいかも。)

 11月初めまで辛うじて保たれていた家族内の均衡が、
 11月半ばから急展開した。
 それは誰か一人のことではなく、生態系の変容というようなものか。
 
 同一性を保とうとするのが生命の本質だとしても、
 ある局面を超えたら、手のつけようがなく減退しもしくは成長し、
 終わりもしくは始まりを迎えることになる。

 今はまだ変化の過渡期。
 東の(能登の)魔法使い、見守っていてください。
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by iwashido | 2012-01-06 14:39 | 読書日記 | Comments(0)

「かめれおん日記」その2。

「・・・私が何事かについて予想をする場合には、
 いつも最悪の場合を考える。
 それには、実際の結果が予想より良かった時に
 ホッとして卑小な嬉しさを感じようという、
 極めて小心な策略もあるにはあるようだ。
  ・・・(中略)・・・

  何事についてもこれと同様で、ついには、
 失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するようになった。
 落胆しないために初めから欲望をもたず、
 成功しないであろうとの予見から、てんで努力をしようとせず、
 辱しめを受けたり気まずい思いをしたくないために
 人中へ出まいとし、
 自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、
 自分から他人にものを依頼することが
 全然できなくなってしまった。
 外へ向かって展かれた器官をすべて閉じ、
 まるで掘上げられた冬の球根のようになろうとした。・・・」

(「かめれおん日記」 中島敦、『百年文庫 灰』の巻より抜粋)
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by iwashido | 2011-11-06 15:20 | 読書日記 | Comments(0)

かめれおん日記。


「・・・こんなはずではなかったのだが、一体、どうして、また、
 いつ頃から、こんな風になってしまったのだろう?
 とにかく、気が付いた時には、既にこんなヘンなものになってしまっていたのだ。
 いい、悪い、ではない。強いて云えば困るのである。
 とのかくも、自分は周囲の健康な人々と同じではない。
 もちろん、矜持をもっていうのではない。その反対だ。
 不安と焦燥とをもっていうのである。
 ものの感じ方、心の向かい方が、どうも違う。
 みんなは現実の中に生きている。俺はそうじゃない。
 かえるの卵のように寒天の中にくるまっている。
 現実と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔てている。・・・」

(中島敦 「かめれおん日記」より抜粋、『百年文庫35巻 灰』ポプラ社/収録)

中島敦はいいです。
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by iwashido | 2011-11-04 11:37 | 読書日記 | Comments(0)

金沢にて、一箱古本市@源法院。

11月上旬だというのに夏日だとか~??
なんだかおかしい、今年の天気。。。

10月30日(日)は、秋らしい(?)、小雨まじりの天気の中、
金沢での年内最後の「一箱古本市@源法院」がおこなわれました。
いわし洞も、4ヶ月ぶりに参戦してまいりましたが・・・
開始時刻前から雨が予想されたため、最初からお堂内に箱を並べました。
金沢のお客さんは、やはり目が肥えているというか、
読み飽きたような本にはほとんど反応せず、
感度のいい、テーマ性のはっきりした箱(店)から多く買われていたようです。

いわし洞は今回、もっぱら受身というか、
ただその場所に参加できたことだけを味わっていたので
売れ行きは正直芳しくありませんでしたが、
いくつか心に留まった本やCDなどをゲットできて、満足でした。
写真さえ撮るのを忘れていました。。。

『私は夢中で夢をみた~
  奈良の雑貨とカフェの店 「くるみの木」の終わらない旅~』
 (石村由紀子・著/文藝春秋/2009年)
を、ホニャララ堂さんの箱から購入し、後半はずっとそれを読んでいました。
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by iwashido | 2011-11-03 11:17 | 読書日記 | Comments(0)

太郎の母としてではなく。

NHKラジオの土曜日朝の朗読で。
耳が吸い付くように聴いてしまった作品は
岡本かの子の「鮨」という短編。

ちくま日本文学全集の「岡本かの子」に、
あにはからんや、収録されていた。
さすがは「小さな本格派」?!

虚弱な男の子の、食べ物に対する嗜好というか、
食べたくても食べられない空腹感や、
母親が握ってくれた鮨を初めて食べるシーンの描写は圧巻。
朗読では多少割愛された文もあり、
全編通して読むと初めて全体が見えた。
(メインは、鮨屋の看板娘と、常連客(男の子のその後)の関わりかな?)

岡本かの子は、言わずとしれた、芸術界の巨匠岡本太郎の母であるが、
太郎の母としてではなく、
一人の生身の人間として、人生の後半に小説を書き始めた。
(それまでに短歌等ですでに文藝の世界には関わっていたけれど。)
かの子の小説家デビューといえるのは47歳であった。
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by iwashido | 2011-10-22 13:46 | 読書日記 | Comments(0)

百年前の言葉に。

夏目漱石は、1914年11月、学習院で
「私の個人主義」と題した講演を行っている。(以下、一部を転載)

・・・私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、
 といって何をして好いか少しも見当がつかない。
 私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独な人間のように
 立ち竦んでしまったのです。
 そしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、
 こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たい
 という気がしました。・・・・(中略)・・・
 私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一ヵ所突き破って見せるのだがと、
 焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、
 また自分で発見する訳にも行かず、
 ただ腹の底ではこの先自分はどうなるのだろうと思って、
 人知れず陰鬱な日を送ったのであります。・・・

  (夏目漱石「私の個人主義」、『ちくま日本文学全集023 夏目漱石』より)

百年近く前の言葉ではあるが、リアリティを持って迫ってくる。
大学の比較哲学(だったかしら?)の講義か演習で、
K先生から教えてもらっていたのは覚えている。

手にしているものが、己の「錐」であると
信じられるかどうか。
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by iwashido | 2011-10-21 09:08 | 読書日記 | Comments(0)

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