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LOGOSさんの月に1,2回古書店

カテゴリ:朔のつぶやき( 138 )

思いがけず見つけた場所。

能登方面の道路を走っていると、いきなり「かほくイオンまであと◎△キロ」なんて表示に
出くわすことがある。はたしてここからそこまで「あと何キロ」と表示するような距離なのだろうか、
といつも疑問に思うけど、家人曰く、「(かほくイオンのほうが)知り合いにあう確率は高い」とのたまう。
それくらい、奥能登の人間がこぞって出かけている場所の一つ、ということか。

かほくイオンには数えきれないくらい行ってしまっているが、
その近くに、非常に気になっていて、まだ1回しか行ったことのない場所があった。
それは、西田幾多郎記念哲学館。こっち、という矢印表示は何度となく目にし(イオンに行く度)、
1回だけ講演会に友だちといったことがあって、それが初体験。
ただそれきり、行く機会はなかった。
そこに先日、2回目の訪問が可能になった。
平日の夕方、中途半端に時間があいて、近くのガソリンスタンドで給油して、
用事のために(商品を取りに)イオンのほうへ行くべきか、その先の茶房へ行くか、
どうしようか迷って、そうだ、哲学館に行ってみよう、と思いついた。

新しい場所に行くのは非常に臆病というか警戒心が強くなってしまうのだが、
一度止めたことのある駐車場で、一度は上がったことのある階段、その経験が後押ししてくれた。
受付のおねえさんも、びっくりした感じで(?)こんな時間に来館者があるとは
思っていなかったとも思えるような表情(に見えた)。
割引もなく、でもたった300円でこの空間をほとんど一人占めできたのはラッキー。

安藤忠雄(でしたっけ?)の建築設計したそびえるような建物、展示スペースはその一部でしかなく、
ふんだんに空間を使い、庭的な部分も広く見晴らしもよく、
なんでもっと人が来ない? と思うくらいすごい場所。
まあ、静寂を好む人たちにとっては、人が来ないほうがいいのかもしれない。

彼の思想、を理解しているかどうかとかではなく、とにかく一度訪れて損はない。
私がいちばん気に入ったのは、地下に設計されてある「空の庭」。
ここは、とにかくすごい。
三方をコンクリートの壁に区切られた(1面は出入り口)、四角く切り取られた空だけが見える
座禅やヨガにも最適な庭。
数分間そこにたたずんでいたが、いろいろな鳥の鳴き声が聞こえ、
時折区切られた空を鳥が横切る。
誰にも来てほしくない。

21世紀美術館のタレルの部屋(でしたっけ?)と同じ思想だと思った。
21美は人がたくさんで騒々しいけど、こっちは静寂を独り占めできる。

良い場所を見つけた、と思った。
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by iwashido | 2015-06-15 22:42 | 朔のつぶやき | Comments(0)

時代遅れ

いろんなことが急速に変化している。
私たちが子どもの頃は、自宅に黒い電話があって、呼出(呼)というのも
クラス名簿にまれにあった。それがそのうちいつのまにやら
どんどん影が薄くなり、いまやデフォルトは「携帯電話」になっている感さえある。
そしてちょっと前までは、メールといえばPCメールアドレスで、
PCが家にあってインターネットが自宅で閲覧できることが特権的な時期もあった、
しかし今やブラウザの主流の半分はスマートフォンと呼ばれる端末で
メールといえば「スマホで受信」、メールさえ時代遅れで、LINEやフェイスブックで
連絡を取り合うことが通常で、そこに登録していないというだけで情報から疎外されても
それは入っていないほうの勝手、という論理さえ成り立ちそうである。

私は昭和に生まれて、昭和の時代に学生時代を過ごした世代なので、
強引な2分法であてはめればアナログ派であろう。
インターネットはけっこう早い時期からやっていたけれど、そこで止まっている。
ブログとミクシィまではついていけた、でもフェイスブックやスカイプには乗り遅れた。
携帯もいまだガラケーで、ショートメールのみの送受信で、一部連絡先には
多少の迷惑をかけているのかもしれない。メールといえばPCメールで止まったままなのだ。

それでいいのかどうか、実はよくわからないけれど、私はやっぱり他人にそこまで
自分を広げられない狭いというか臆病な面がある。
FBで安易に「いいね!」とか言われてその数を気にする自分が嫌だ。
発言に対して「いいね」か「やだね」でしか答えてもらえないようなコミュニケーションは
いやだなと、思ってしまう。
私の理想のコミュニケーションは、ソクラテスのいう「魂の産婆術」、でも会う人全員と
そんなことをやっていては身が持たないであろう、現代では。

FBは、確かにあるコミュニティではある、しかしそれが全てと思いたくない。
拒否をしているわけではない、遠巻きに見ていることしかできない自分がいるだけだ。
いろんなこと、つっこんで語り合いたいけど、なかなかうまい方法にたどりけない。

今年の目標は「BREAK THROUGH」ブレイクスル―、壁を越えていきたいのだけれど。
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by iwashido | 2015-01-25 15:09 | 朔のつぶやき | Comments(0)

Under The Moon

見ましたか、月食? 

私はみた、というより「体験した」。

月食の月の下でヨガを体験@鉢が崎。

人生、変わりそう? 変わるかな? 変えてみせるさ。

頑張れ、自分。
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by iwashido | 2014-10-11 22:18 | 朔のつぶやき | Comments(0)

自分の仕事をつくり、ひとの居場所をつくる

「・・それは専門家にしても同じなんです。フリーハンドで、つまり枠組みそのものを再設定しながらビジョンを描くというか、プランニング出来る存在が、日本にはほとんどいない。
 そのためのステージが存在しないんですよ。
 「計画 → 即事業 → 即設計」という感じで施工まで一気に進んでしまう。
 たとえば公共事業にしても、地元に予算が落ちるようにとか建設業の仕事を増やしたいとか、そういう動機で先に決まってしまっていて、「これ本当に必要なの?」と思っても、そこを否定した途端プロジェクトが丸ごとなくなってしまうような。
 「本当にこれをつくっていいんだろうか?」とか、
 「これをするならどうやるべきか?」というところを自由に考えて仕切れるプランナーが育っていないし機会もない。だからなにも生みだされてこない。
 結果として、そのときどきの掛け声やスローガンはあっても、長期的なビジョンが生まれないんです。
 でもそれを持ち合わせていないと、個々の問題や事情ばかりが浮き上がってしまう。」

 ~『ひとの居場所をつくる ランドスケープ・デザイナー田瀬理夫さんの話をつうじて』西村佳哲著/筑摩書房より ”ビジョンに根拠は要らない”p102~103 の一節を転記。

 西村佳哲氏は彼が『自分の仕事をつくる』という本を筑摩書房から出版したころから注目していた。
 彼の問いの立て方が自分の問題意識に近いように感じたからだ。一度お手紙を出してリビングワールドのポストカードか何かを購入したこともある。デザインにとどまらず、働き方・生き方を研究しデザインするという発想が新鮮だった。

その後も彼は何冊か著作を出し、各地でワークショップや講演なども重ね、変わらず「つくる」「書く」「教える」仕事に携わっているようだ。そして私は最近この本(『ひとの居場所をつくる』)を見つけました。

考えていることはいろいろあって、そのときどきでつぶやいたりさけんだりしながら、いくつかのことはつぶやきが現実になり、何も進化していないわけではない。でも、根本的なところで、根源的に、議論したりはなしあったりということが出来にくい状況ではある。問いの立て方が悪いのか、進め方、誘導の仕方が未熟なのか、話してすっきりしたということはあるが、じゃあどうしたら、というところにまで遡っていけない。べつにそれで日常が困るというわけではないが、何か新しい動きが出る時に、もっと適切なサポートができるようになれていない。

なんというか、答えが見えてきそうで、でも陽炎のように消えていく。
「仕事」というより「仕組み」というか生き方というかライフスタイル。
お金を生み出すのもそうだけど、つながりをつくるとか問題解決の方法を知るとかそういうこと。

私は思い上がっていたのだろうか。
もっと謙虚に何事からも学べる人になりたい。
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by iwashido | 2014-09-20 11:35 | 朔のつぶやき | Comments(0)

今日は新月

8月25日。
今日は新月です。

何か新しいことを始めるには良い日。

というわけで、新しいOSに入れ替えてみました。
(XP → Ubuntu へ。)

このブログが初エントリー。

そんな難しいことにPC使わないから、当面はこれでやってみます。
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by iwashido | 2014-08-25 00:01 | 朔のつぶやき | Comments(0)

ある土曜日の出来事。

この前の土曜日、金沢の表参道商店街(通り)?のイベントに
一日だけ出店させてもらいました。金沢で一箱古本市をしかけておいでる、あうん堂さんたちの
「おでかけ本隊」のお仲間にいれてもらいいました。
この横っちょぽけまーとは、手作り雑貨がメインの、その中に飲食あり、体験教室あり、古本隊ありの
なかなかバラエティに富んだ、ゆるやかなイベントのようです。
本を目当てにがっつり人が来る、というのではありませんが、お子さんづれや老夫婦、自然派ライフを楽しむ家族、ふつうのカップル、などなどいろんな方たちが古本テントの前を通り過ぎ、本を手に取り、お買い上げいただきました。

そのなかで、ちょっとだけ気になる場面がありました。2、3組の親子づれでこのイベントに訪れたような母と子ども(小学生)。午前中に一度立ち寄り、閉店間際にまた立ち寄ってくれました。
私が出店していた本ではなかったけれど、ブースを分け合ったあうん堂さんが、小学生向けの読み物や図鑑などを並べた箱から本を手に取り、子どもは図鑑が欲しかったようなのですが(古本なのでせいぜいが300~500円、100円の本もあり)、お母さんなかなか「買う」とは言いません。
あげくには「○○ちゃん、この図鑑、すこし古いのだよ。図鑑はやっぱり最新のがいいから、図書館で借りてもいいし、ここで無理に買わなくても。」
私は内心「え~!」って思ってしまいました。
そのお母さん、とてもおしゃれで、金銭的に苦しそう(?)という雰囲気はみじんもなく、決して教育に理解がないタイプには見えません。その子は、できればここで何か1冊本が欲しい、読みたい、買ってほしいオーラありありで、「買う、買って、読みたい」というようなことを連発しているのですが、なまじ教育熱心なだけに
「古い図鑑を買う」のはいくら安い値段でも得策ではない、と考えているようでした。

最終的には、その子が欲しがっていたうちの1冊である、マンガ物知り百科、みたいなソフトカバー本を100円で1冊かってもらいましたが、その時の子どもの嬉しそうなこと! お母さんから100円もらって、じぶんであうん堂さんにお金を渡して本を受け取っていました。

図書館で本をかりることを否定するわけではありませんが、図書館の本はしょせん借り物、
見えない鎖につながれた公共の本です。時期が来たら返さなければいけません。
まあ最新の図鑑がいいのはもっともではありますが、多少古くても、図鑑とはこういうもの
であると体験したり、基本的な物事を学んだり知識をえるには役にたつこともあります。
世の中の保護者さんたち、ぜひ本を買うお金を必要以上に縮小させずに、
ある程度の無駄も覚悟で、身銭を切って本を買うことの大切さも教えてほしいものだと、
思ってしまったのでした。
(身銭をきって本を買いすぎてきた体験より。)
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by iwashido | 2014-05-18 22:59 | 朔のつぶやき | Comments(0)

連休。

世間は連休である。
とはいえ、自分も連休であった。
とはいえ、人ごみが嫌いなので、ことさら出かけようとは思えなかった。
そんなわけで、実にのんびりとした4日間を過ごしてしまった。

平日はめまぐるしい。時間がないわけではないが時間に追われてしまう。
本を読んだり、考えたりする時間の確保が難しい。
それが休日にしわ寄せてくる。
休日もイベントやお出かけが入ると、読んだり考えたるする時間が取れずイライラする。
その穴埋め的に、こういう時に噴出するんだろう。

前は、休みであればどこかに出かける予定を入れないと落ち着かなかったが、
やっとそちらの脅迫観念からは抜け出せた。
でも、今、他者に対して責任ある行動や信頼を獲得するために、
約束を守る的な、決められた日に決められたことをするある種の
行動規範が必要になった。
その覚悟を決めるための、この空白のような四日間は貴重であった。

私はわたしのことをやりとげます。
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by iwashido | 2014-05-06 15:47 | 朔のつぶやき | Comments(0)

「図書館」を巡るいくつか意見

今、図書館に注目が集まっておる(らしい)?
昨年は九州のほうにTUTAYAが運営する図書館がマスコミを賑わした。
(その図書館運営・方法論に関する是非はここでは取り上げない。)
そのほかにも、従来型の図書館イメージを脱する各地の試みは時折耳に入る。
そして今、学校図書館にも、ある法改正の動きがあるのである。
知っていますか?

それは「学校司書法制化」に関する動きである。
今、学校図書館法では、12学級以上の学校には「司書教諭」の配置が義務づけられている。
これは「教諭」であり、教員として採用された人が任命?というか割り振られる。
それとは別に、学校図書館法の中に明文化されてはいないが、実際に本の貸出業務をしたり、
図書の発注や受け入れをしたり、現実的な仕事をする人が、現に学校図書館を支えている。
それがいわゆる「学校司書」。ただ、法的な資格の規定は(学校図書館法内には)なく、
事務職採用だったり、図書館担当職員と呼ばれたり、もちろん中には司書資格も司書教諭の資格も
持っている人もいれば、なくても経験で誰よりもその学校の図書館を知っている人だったり
立場はいろいろである。

学校司書の法制化。このことを初めてしったのは、去年の秋出かけたとある研修会で。
そこは各地の「学校図書館を考える会」や、親子文庫で読み聞かせなどで学校に出かけている
人たちの全国大会の分科会の一つで、その時、もう次の国会に提出されるから
とにかく意見が欲しい、そして周りの人たちにこのことを伝え議論してほしい、
ということだった。

私の所属する「学校図書館を考える会」の会報(No.66)にもこの話題が出ていた。
その会報が印刷された時点(2014.1.25)の話題で、「学校図書館を考える全国連絡会」が提案している、骨子案に関する意見書(「学校司書法制化に関する要望」)に概ね賛同したい、ということであった。
全国連絡会の要望書では「学校司書」という職名を法律に載せることは、「間違いなく大きな前進」(「」は筆者)と考えているように読める。しかし、本当にそうなのか。

私の今に至るまでの職業遍歴は長い道のりの途上である。
現在から遡ると「司書(嘱託)←ブックカフェ(古書店)←主婦←臨任講師←団体事務員(パート)←主婦兼フリーター(子育て期間)←書店アルバイト←出版社勤務←フリーター←大学卒業・・・」
かなり端折ったがそれでもこんな感じ。何をやってきたんだろう、という感じですね。
すごろくの最初のほうが年収はよかった。結婚と同時に辞めなければよかったのだよな。
それはともかく、
子育て期間中に、ボランティアとして子どもの通う図書室で読み聞かせや整理などをしていた時なら
「学校司書法制化」の話に賛同したと思う、実際「わたしのようなものでよければ使ってほしい」と思わなかったといえばウソである。誰もいない図書室より、ボランティアでも人がいたほうがいいと思いました、正直。

しかしその後、通信教育で司書資格を取り、何度かの面接で悔し涙を流した後、
空に虹がかかるようにほんの一時開いた扉にうまく間に合い、縁があって今の勤務先に拾われた。
そして正規(雇用)ではないけど、専任・専門の司書として、同じ学校にほぼ毎日通っている中で、
やっぱり責任のある人が常駐していないと図書館にならないや、と痛感している。
中途半端な人がいても、授業に寄与する活動はできないように思う、正直。

高校の図書館は、(もちろん問題はまだまだあるのですが)小中学校に比べれば司書の専任配置率は高いのではないかと思う。しかし、事務職扱いなので、直接授業に出たり、部活や委員会の指導はできないことになっている。あくまで教諭の補佐として、働く(実際はともかく)。
小中学校の場合、学校数が多かったり、1校の生徒数が少なかったりして、全校に専任の配置は難しく、兼任だったり、短時間勤務だったりするようだ。そういう現場からみると「学校司書」を法律に載せることは、前進と捉えられてもしかたがないのかもしれない。

私の職員名簿上での職名は「司書(嘱託)」となっている。「学校司書」ではない。あくまで「司書」。
もちろん司書資格はある。
だから、学校図書館法にも載せるのは「司書」でいいではないか、と思う。いや、「司書」であるべきではないか。
きっとそういうことをいうと、今現在、司書資格がなくても、司書教諭以上に図書館のことを知りつくし、生徒のために身を粉にして働いている現状の「学校司書」たちの雇用がどうなるのだ、とつきあげられるのは目に見える。いやしかし、学校図書館とはいえ「図書館」であるのだから、「司書」の人を採用してください、資格がないなら何年かのうちに取るよう経過措置を加えればいいのでは? と思ってしまう。。。(極論ですが)

私の考える理想は、今ほとんどすべての学校の保健室に「養護教諭」がいるように、
学校の図書館にも専任で専門の「司書教諭」がいればいいと思う。
そしてその司書教諭は、できれば司書資格も合わせ持ち、図書館のことだけに専任できるようにする。
そんな司書教諭の採用があるなら、応募してみたい。そういう授業なら、考えてみたい。

きっと私たち(多くの日本人)は図書館の本当の役割や姿を知らないのだ。
図書館は無料貸本屋なのか。受験生の勉強部屋なのか。
そうではないだろう。
図書館は自立した市民になるための、自主的で自発的な学びを育てるための教育機関であり、
世界に開かれた扉であるべきだ。

なんだか中途半端ですが、今回はここまで。
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by iwashido | 2014-04-12 15:05 | 朔のつぶやき | Comments(2)

3月です。

いつまでたっても寒い日が続くけど、3月です。
日差しは確実に伸びてきました。だってもう来週は春分。

なんだかなぁ、の日々ですが、一年前の今頃は大変でした。
家族の一人がけがをして、入院・手術。
自分は人生の大一番の勝負?のような転職に直面し。
(大したことじゃないのですが・・)
結果としては悪くない選択をしたと信じたいけど、そう言い切れない弱みもあり。
しかし人間、まずは生活をしていかなければなりません。

毎朝ラジオを聴きながら朝の準備をします。
平日は時計代わりにニュースとかを聞き、土曜日はのんびりと
8時の「ラジオ文芸館」を聞くこともあります。
先週の文芸館で、橋本治の小品を朗読していました。
大学を卒業して浪人的なスタンスを選んだ少年の、なぜ大学に行こうとしたか、
そしてなぜ今大学にはいかずに知り合いの蕎麦屋で出前のバイトをしているか、
そして自分はこれからどうしたいのか、などが橋本治節で語られる小説でした。

橋本節だから、少年の内面はくどいくらいに順を追って説明してくれます。
こうだからこう、そうだからそうで、だからおれはこんな風に考えたんだ。
みんなはこういうけど、俺はそうは思わなくって、でもこんな風にも思えるけど、
やっぱりおれはそういうことはできない。だからこんなんで。。。
と呟かれる内面は、多くはないかもしれないけどある特定の世代の本音の一部だろう。

今の職場では、今まさに受験生たちが卒業生となり、進路選択に直面し
まだ続いています。首尾よく希望どおりの進学先を手にしたもの、希望に近いけど
少しそれた人、妥協もあり、無謀な挑戦もあったかもしれません。
本当にリアルな情報を知らないまま、偏差値や模試の結果や自己採点も基に
できるだけ失敗しないよう、進路を選ばざるを得ない陸の孤島。
長い人生で何が成功か失敗か、そんなことは最後の最後までわかりません。
少しくらいの失敗や妥協にめげず、胸をはって歩いて行ってほしいです。
またいま成功と言われる合格通知を手にした人も、驕らず、油断せず、
自分の人生はここからです、さらなる精神の高みを目指して精進してほしいものです。

ひさびさに読書がしたくなりました。
さあ、本を読みましょう。
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by iwashido | 2014-03-15 16:10 | 朔のつぶやき | Comments(0)

大晦日。

2013年が終わろうとしています。
なんだか早い1年でした。

何もできないままに、大みそかカウントダウン。
大掃除も部屋の片づけも中途半端。
頼まれ仕事も道半ば。
紅白歌合戦も始まりました。
年賀状も全部書ききれないまま年を越しそう。

自分にはある意味転機になった一年でしたが、
そのきっかけは、もしかしたら家族の一人に起きたある7トラブルで。
3月のあの頃から、急に我が家を取り巻く流れが変わりました。

人生万事塞翁が馬、ではないけれど、
禍の背景には、幸運の神様が隠れているのかもしれません。
もうだめだ、と思える事態に直面しても、もう少し踏んばってみよう。
冬至がいつのまにか過ぎて日差しが長くなるように、
好転していくかもしれないよ。

むしろ怖いのは、一見ものごとがうまくいっているように
思えるときだよね。
来年は、もっと心を広く持てますように。
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by iwashido | 2013-12-31 21:45 | 朔のつぶやき | Comments(0)

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