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100年後/100年前

朝日新聞で「心/先生の遺書」の連載が始まった。
今、私たちが「こころ」夏目漱石、としてよく知っているはずの作品である。
なぜいま? という問いには、ちょうど100年前の4月20日に、
そのころの朝日新聞で連載が始まったからである。
朝日新聞は、その当時の組み方をほぼ再現する形で、
投書欄ページの下のほうに、「心」の連載を掲載している。

4月のはじめに、そのことを新聞の告知で知った私は、急に夏目漱石全集で
「こころ」を読みたいと思った。幸いにして、勤務する図書館には
夏目漱石全集/岩波書店版がそろっていた。
新聞連載の再掲では、さすがに旧字旧かなというわけにはいかないようだが、
全集ではルビも含めて旧仮名表記である。
これはなかなかよい。

とはいえ、それは何度も読んでよく知っている作品だからだろう。
きっと内容を知らない他の作家やほかの作品ではこうはいかない。
私は古いタイプの人間なので、本をデータとして読むことに慣れない。
ネットでは情報は読めても、「本」もしくは「文学」として読めないような気がしている。
新潮文庫で読むのとはまた違った腑に落ちかたがある・・・ような気がしているのは
気のせいなのかな?
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by iwashido | 2014-04-24 23:31 | 読書日記 | Comments(0)

「図書館」を巡るいくつか意見

今、図書館に注目が集まっておる(らしい)?
昨年は九州のほうにTUTAYAが運営する図書館がマスコミを賑わした。
(その図書館運営・方法論に関する是非はここでは取り上げない。)
そのほかにも、従来型の図書館イメージを脱する各地の試みは時折耳に入る。
そして今、学校図書館にも、ある法改正の動きがあるのである。
知っていますか?

それは「学校司書法制化」に関する動きである。
今、学校図書館法では、12学級以上の学校には「司書教諭」の配置が義務づけられている。
これは「教諭」であり、教員として採用された人が任命?というか割り振られる。
それとは別に、学校図書館法の中に明文化されてはいないが、実際に本の貸出業務をしたり、
図書の発注や受け入れをしたり、現実的な仕事をする人が、現に学校図書館を支えている。
それがいわゆる「学校司書」。ただ、法的な資格の規定は(学校図書館法内には)なく、
事務職採用だったり、図書館担当職員と呼ばれたり、もちろん中には司書資格も司書教諭の資格も
持っている人もいれば、なくても経験で誰よりもその学校の図書館を知っている人だったり
立場はいろいろである。

学校司書の法制化。このことを初めてしったのは、去年の秋出かけたとある研修会で。
そこは各地の「学校図書館を考える会」や、親子文庫で読み聞かせなどで学校に出かけている
人たちの全国大会の分科会の一つで、その時、もう次の国会に提出されるから
とにかく意見が欲しい、そして周りの人たちにこのことを伝え議論してほしい、
ということだった。

私の所属する「学校図書館を考える会」の会報(No.66)にもこの話題が出ていた。
その会報が印刷された時点(2014.1.25)の話題で、「学校図書館を考える全国連絡会」が提案している、骨子案に関する意見書(「学校司書法制化に関する要望」)に概ね賛同したい、ということであった。
全国連絡会の要望書では「学校司書」という職名を法律に載せることは、「間違いなく大きな前進」(「」は筆者)と考えているように読める。しかし、本当にそうなのか。

私の今に至るまでの職業遍歴は長い道のりの途上である。
現在から遡ると「司書(嘱託)←ブックカフェ(古書店)←主婦←臨任講師←団体事務員(パート)←主婦兼フリーター(子育て期間)←書店アルバイト←出版社勤務←フリーター←大学卒業・・・」
かなり端折ったがそれでもこんな感じ。何をやってきたんだろう、という感じですね。
すごろくの最初のほうが年収はよかった。結婚と同時に辞めなければよかったのだよな。
それはともかく、
子育て期間中に、ボランティアとして子どもの通う図書室で読み聞かせや整理などをしていた時なら
「学校司書法制化」の話に賛同したと思う、実際「わたしのようなものでよければ使ってほしい」と思わなかったといえばウソである。誰もいない図書室より、ボランティアでも人がいたほうがいいと思いました、正直。

しかしその後、通信教育で司書資格を取り、何度かの面接で悔し涙を流した後、
空に虹がかかるようにほんの一時開いた扉にうまく間に合い、縁があって今の勤務先に拾われた。
そして正規(雇用)ではないけど、専任・専門の司書として、同じ学校にほぼ毎日通っている中で、
やっぱり責任のある人が常駐していないと図書館にならないや、と痛感している。
中途半端な人がいても、授業に寄与する活動はできないように思う、正直。

高校の図書館は、(もちろん問題はまだまだあるのですが)小中学校に比べれば司書の専任配置率は高いのではないかと思う。しかし、事務職扱いなので、直接授業に出たり、部活や委員会の指導はできないことになっている。あくまで教諭の補佐として、働く(実際はともかく)。
小中学校の場合、学校数が多かったり、1校の生徒数が少なかったりして、全校に専任の配置は難しく、兼任だったり、短時間勤務だったりするようだ。そういう現場からみると「学校司書」を法律に載せることは、前進と捉えられてもしかたがないのかもしれない。

私の職員名簿上での職名は「司書(嘱託)」となっている。「学校司書」ではない。あくまで「司書」。
もちろん司書資格はある。
だから、学校図書館法にも載せるのは「司書」でいいではないか、と思う。いや、「司書」であるべきではないか。
きっとそういうことをいうと、今現在、司書資格がなくても、司書教諭以上に図書館のことを知りつくし、生徒のために身を粉にして働いている現状の「学校司書」たちの雇用がどうなるのだ、とつきあげられるのは目に見える。いやしかし、学校図書館とはいえ「図書館」であるのだから、「司書」の人を採用してください、資格がないなら何年かのうちに取るよう経過措置を加えればいいのでは? と思ってしまう。。。(極論ですが)

私の考える理想は、今ほとんどすべての学校の保健室に「養護教諭」がいるように、
学校の図書館にも専任で専門の「司書教諭」がいればいいと思う。
そしてその司書教諭は、できれば司書資格も合わせ持ち、図書館のことだけに専任できるようにする。
そんな司書教諭の採用があるなら、応募してみたい。そういう授業なら、考えてみたい。

きっと私たち(多くの日本人)は図書館の本当の役割や姿を知らないのだ。
図書館は無料貸本屋なのか。受験生の勉強部屋なのか。
そうではないだろう。
図書館は自立した市民になるための、自主的で自発的な学びを育てるための教育機関であり、
世界に開かれた扉であるべきだ。

なんだか中途半端ですが、今回はここまで。
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by iwashido | 2014-04-12 15:05 | 朔のつぶやき | Comments(2)

「新月いわし洞」から「古本LOGOS」への変遷と変転。


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