<   2016年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

連休です

ゴールデンウイーク突入~

今年はゆっくり休息するのだ!
とはいえ、やることは山積み。

某SNSサービスに振り回される自分に疲れた。
交友関係を数値化・可視化するな。
いいとか悪いとかいえない微妙さの表現を強いるな。

つながりたいようでつながりたくない。
無理につながっているくらいなら一人でただよっていたい。

合わせ鏡の乱反射をみるのに耐えられなくなることがある。
私ってきれいでしょ?
私ってすごいでしょ?

誰もが自己顕示と自己嫌悪の紙一重の間をさまよっている。
[PR]
by iwashido | 2016-04-29 10:09 | 朔のつぶやき | Comments(0)

一冊の本に。

某月某日、某書店にて。

暇つぶし、もしくは微妙な時間調整のために書店に立ち寄る。
まずは隔週刊雑誌の連載チェック、一回読んだはずだけど再度なぞる。
ほかにも気になる月刊誌の連載などもブラ読み。

別に買わなくてもよいのだけれど、書店にきたら何か買わねば、と思ってしまう。
もちろん買う気にならない売り場もあるけど基本は応援(すでにボランティア的気分?)。
しばらく出ていなかった定期購買中の連載コミックの最新刊、買ったか買ってないか
しばし迷って、やっぱり買ってないと判断し購入するつもりで1冊抜く。

このままレジに行ってもいいのだけれど、コミック1冊というのもしゃくなので、
何か面白そうな文芸書があれば、と思って単行本の棚を見る。
とはいえ、売れ筋の本なら借りて読めばいいとか思ってしまうし
話題になっている本はすでに読んだり、読んだ気になっていて購入するほどでもない。
ちょっと気になる題名もしくは著者の本が並んだコーナーがあったけど、
よく読めば過去の遺産の再編集だったりする。

うーむ、と悩み、文庫コーナーへ。
ガツンとさせられる本が読みたいなら岩波文庫かな~と思いつつ
新潮文庫の棚の前で足が止まる。”村上柴田翻訳堂”の文字が目に入る。
挟み込みチラシで見ていたこれは、文庫だったのね(ハードカバーと思っていた)。
文庫なら1冊買ってもいいやと、村上堂のほうを1冊抜く、
そしてその隣というか、流れとして「む」の棚を見る。
これだって再編集本なんだけど、とった本の、開いたページの文字に目が釘付け。

「図書館の話をしよう。・・」

え、図書館? なんでここで図書館?
でもこの人のいう”図書館”って興味あるし。

「僕はそこに行けばいつでも、自分のためのたき火を見いだすことができた。」
「図書館とは、もちろん僕にとってはということだけれど、「あちら側」の世界に
通じる扉を見つけるための場所なのだ。」

これだけで即決、買いましょう、レジに進む。
ちなみにその本の署名は「村上春樹 雑文集」新潮文庫。
思いっきり再編集本なのだけれど。

役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そういうことは
本質的ではなくてもいいのだ。図書館とは本来(かどうかわからないけど)
ある種の人にとって「あちら側の世界への通路」もしくは「小さなたき火」だったのだ。

ここ数か月の迷いや悩みが吹き飛ぶほどの、
完璧な(私にとってはということだけれど)定義を見つけてしまった。
少なくとも自分の立ち位置をよくわからせてくれる手助けになりました。

ありがとう、本屋さん。
ありがとう、新潮文庫。
そしてありがとう、村上さん。
[PR]
by iwashido | 2016-04-24 08:27 | 読書日記 | Comments(0)

危険なカーブ、もしくは断崖絶壁の間一髪回避。

奥能登の桜も散り始め。
今日道の脇に、今まさに満開の一本の桜を目に楽しみ、今年の花見終了って感じ。

桜の花が咲くのが嬉しいとは思えなくなるほどやさぐれた春でした。
いつまでも2月であればいいのに、と思うような春でした(2月は好きな月なのです)。

原因は? 人から見ればささいな、でも自分にとってはかなり致命的な一言で
世界のすべてが崩壊しかけた。
この人(たち)は、私の何を見ていてこういうことをいうのか?
仕事の本質ってなんなの? 人生の生きる意味は? 
そちらからみれば良かれと思っての提案だったのでしょうが
それは私の(仕事の)存在意義を否定しかねない本質的なミスリード。

もしあそこで、(偶然だったかもしれないけど)友の助けがなければ
精神的に潰れていたかもしれません・・・それくらいの激震でした。

今回の一連の出来事で少し、社会の事を学びました。
組織で大切なのは「ハーモニー(調和)」。それを乱すことは得策ではない。
一人で頑張ってどれだけ成果を上げたと思っても、全体の中での正しい位置づけがない限り
成果は認められない、もしくは認められにくい。意味がないわけではないが、理解されるのに時間がかかる。
私が見ている世界と、私以外の人が見ている世界は違う可能性がある。
この世とあの世の境目は実に曖昧。そんなに遠くへだったったものではない。
一歩間違えれば誰もがそのカーブを曲がりきれずに向こうへ行ってしまう、
人間とはそれくらい些細なものです。

言葉は、光です。
海に潜って拾ってくる真珠のような言葉を、
書物の中から拾い上げましょう。
本に潜り書物に潜り、それぞれがそれぞれの真珠をつかめますように。

今日はどの本に潜水しましょうか。
[PR]
by iwashido | 2016-04-16 23:49 | 朔のつぶやき | Comments(0)

本を読むということ。

自分がもっている本が図書館にあると嬉しい。
あ、こんなマイナーな本でも置いてある、ニーズがあるんだ、とにんまり。
先日別の本を探していて、自分のお気に入りに本を図書館で見つけた。
『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス/筑摩書房、2011)。
作者はドイツ人だが、フランス語で書かれた、ギリシア(エーゲ海)の島の女性の物語。
この本出版されてすぐ読んで、もちろん買って持っていて(今も)、
主人公の女性と自分を重ねて読むほどに気に入っている1冊。
地味な話であるが、感情移入できればエキサイティングに読める。

もう1冊は『雪と珊瑚と』(梨木香歩/角川書店、2012)。これは買ったけど手放した本。
でもすごく気になっていて、図書館にあるのが(本当の利用という意味で)嬉しい本。
再読して気づく点は多々ある。一回めでわからなかった意味、読み落としていた人間関係など
別の視点で読めてくると何倍も楽しめる。

ネグレクトに近い状況で育った二十歳すぎの主人公が
シングルマザーで1歳の幼子を育てながら自己実現というかカフェをつくって、
という枠組みだけでいったらよくありそうな話なのだけれど、
「女が子どもを育てる」というのがどういうことなのか、
母性は女性に必須の感情なのか、母性の欠如=人間失格なのか?
というような本質的な問いがちりばめられていてこれもまたスリリングな本。

子どもを育てる、というのはある種「喰うか喰われるか」的な切実な葛藤を含む。
子どもだって必死、だけど親だって必死。
そういう親に巡り合った子どもは大変、だけど生きて、生き延びて。
虐待というわかりやすい言葉からは漏れ出てしまう「何か」がある。

この本についてはまだ結論が出ません、今も読書中ってことです。
[PR]
by iwashido | 2016-04-03 05:16 | 読書日記 | Comments(0)

「新月いわし洞」から「古本LOGOS」への変遷と変転。


by iwashido
プロフィールを見る
画像一覧