能登方面の道路を走っていると、いきなり「かほくイオンまであと◎△キロ」なんて表示に
出くわすことがある。はたしてここからそこまで「あと何キロ」と表示するような距離なのだろうか、
といつも疑問に思うけど、家人曰く、「(かほくイオンのほうが)知り合いにあう確率は高い」とのたまう。
それくらい、奥能登の人間がこぞって出かけている場所の一つ、ということか。

かほくイオンには数えきれないくらい行ってしまっているが、
その近くに、非常に気になっていて、まだ1回しか行ったことのない場所があった。
それは、西田幾多郎記念哲学館。こっち、という矢印表示は何度となく目にし(イオンに行く度)、
1回だけ講演会に友だちといったことがあって、それが初体験。
ただそれきり、行く機会はなかった。
そこに先日、2回目の訪問が可能になった。
平日の夕方、中途半端に時間があいて、近くのガソリンスタンドで給油して、
用事のために(商品を取りに)イオンのほうへ行くべきか、その先の茶房へ行くか、
どうしようか迷って、そうだ、哲学館に行ってみよう、と思いついた。

新しい場所に行くのは非常に臆病というか警戒心が強くなってしまうのだが、
一度止めたことのある駐車場で、一度は上がったことのある階段、その経験が後押ししてくれた。
受付のおねえさんも、びっくりした感じで(?)こんな時間に来館者があるとは
思っていなかったとも思えるような表情(に見えた)。
割引もなく、でもたった300円でこの空間をほとんど一人占めできたのはラッキー。

安藤忠雄(でしたっけ?)の建築設計したそびえるような建物、展示スペースはその一部でしかなく、
ふんだんに空間を使い、庭的な部分も広く見晴らしもよく、
なんでもっと人が来ない? と思うくらいすごい場所。
まあ、静寂を好む人たちにとっては、人が来ないほうがいいのかもしれない。

彼の思想、を理解しているかどうかとかではなく、とにかく一度訪れて損はない。
私がいちばん気に入ったのは、地下に設計されてある「空の庭」。
ここは、とにかくすごい。
三方をコンクリートの壁に区切られた(1面は出入り口)、四角く切り取られた空だけが見える
座禅やヨガにも最適な庭。
数分間そこにたたずんでいたが、いろいろな鳥の鳴き声が聞こえ、
時折区切られた空を鳥が横切る。
誰にも来てほしくない。

21世紀美術館のタレルの部屋(でしたっけ?)と同じ思想だと思った。
21美は人がたくさんで騒々しいけど、こっちは静寂を独り占めできる。

良い場所を見つけた、と思った。
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# by iwashido | 2015-06-15 22:42 | 朔のつぶやき | Comments(0)

珠洲市の図書館が新しくなるらしい。
平成30年度(西暦で言うと2018年)をめどに開館を目指す方向で
現在検討委員会が答申を出すところまでいっている(はず)。

図書館が話題になるのは読書好きには嬉しい話のはずで、
私とて嬉しくないわけではない。でもなんというか複雑な思いもある。
この地域の特性というか地域性に根差した、本当に必要な図書館はなんなのか、
その辺の議論はまだまだ足りないと思う。深い考察と洞察力のある見通しもかけている。
うまく言えないけど、公共がやらなければならない部分と、
民間のほうがうまくいく試みのすみわけとか。本当にお金をかけなければならない部分はどこか、とか。

誰かに任せておいて、うまくいくレベルの話ではないような気がする。
新しくなるのを楽しみにする、というのもちょっともどかしい。
本当に本が好きなら、本という物体がこの世に残っていてほしいなら、
私にはもっとなすべきことがある(様な気がしてきた)。

私は昔から媒介変数。
誰かと誰か、誰かと何かをつなぐのが得意。
つないだら、背景に引いていく、そういう感じのが好き。
今のメインの仕事の立場を踏まえた上で、
何かできることを模索します。
きっと何かあるはず。
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# by iwashido | 2015-05-12 22:25 | いわし洞文庫 | Comments(0)

「図書」5月号を読んだ。
岩波書店の底力を感じさせられた(様な気がした)。

まず、巻頭の「ウソ日記」(最相葉月)。ウソ日記、さっそくさせてみたくなる(生徒に)。
それから平野啓一郎の、大学時代の回想と小野紀明先生の「西洋政治思想史」講義の思い出の文。
自分がその授業を受けていたような気分になり、ゾクゾクする。
うーん、受けてみたかったな。自分にとってのこれに近い体験は「言語学」のそれかな。

細川哲士氏の筆による「両界橋の謎~古文書の余白に」もすごい。
橋の名前から始まって、その土地の由来をどんどんたどっていく(舞台は東京の高尾駅近く)。
そしてその結末の文の見立ての確かなこと!
(…腕力で勝った方の意見がその後大勢を占めることになった、と記憶している。)
歴史は書き換えられ続けている。

そしてなんともうならされてしまったのは次のエッセイであった。
「私の遺伝子の小さな物語」。イリナ・グリゴレ。
手術をした後の身体が伝えるメッセージを細胞レベルにまで還元し
また意識は時空を超え、過去(先祖)と未来(ここではないどこか)を行き来する。
科学の歴史を三百年にすぎないと看過する凄さ。
古いしきたりは、中世の慣習は、本当に無知蒙昧の象徴なのか?
白川静の文字学に通ずる、呪術と祭礼の意味を帯びた儀式の文字への影響を思い出させる。

中世がいいと言っているわけではない、古代社会へのノスタルジーですらない、
ただ物事の・文字の起源にさかのぼることを忘れてはいないか、と警鐘を鳴らすだけ。

ギリシア語をよめるようになりたい、と思っていた頃の記憶を思い出してしまった。
今年は貪欲に勉強したいものである(いろんな意味でね)。

人文書、売れない時代にこのような初心者の初心を思い出させてくれる
良質な文章をたくさん載せたPR誌を無料で読めて幸運であった。
「ちくま」も面白く読んでいるけど、かなわない、と思った。
(毎号そう思えるほど読み込んでいるわけではないけど。今回はたまたま。)
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# by iwashido | 2015-05-07 23:47 | 読書日記 | Comments(0)

近くの田んぼに。

朱鷺がいました。
(5月3日のことです)
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写真は後ほどアップ(しました)。

こんな車通りの多い(?)道のちかくの田んぼへようこそ。
羽を広げてると朱鷺色の羽がわかりますが、ただ田んぼにおられたら
ちょっとこぶりのサギか、くちばしの長い鶏? とか思いそう。。

「朱」色の「鷺」なんですね、トキは。

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# by iwashido | 2015-05-04 10:53 | 季節のできごと | Comments(3)

3月が去る前に。

2月が逃げた、
1月は遠の昔に行っちゃってるし。

3月来たけど去る予感。だってもう今日は3日でしょ。
明日は高校の卒業式。
卒業式だってのに進路確定していない生徒まだ多数。
国公立の発表は6日から。
なんとも悩ましい日々です。

でもでも、春の足音は近づいているよ。
ふきのとう見つけたし(食べちゃったし)、
たんぽぽのゆらぎも感じるし、ハクチョウたちも旅立ちそうだし。

もうすこししたらツバメも来るよ、つくしも頭をだすよ。
だからだから、みんな日々を大切にすごそうね。
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# by iwashido | 2015-03-03 05:56 | 季節のできごと | Comments(0)

2月正月。

2月です。
明日は節分、明後日は立春。
寒いことは寒いけど、少しずつ春は近づいています。

そんなんで背景(スキン)を少し変えてみました。
気まぐれにときどき変えています。
またしばらくしたら、変わりますでしょう。
その変遷を目にできた人はラッキーかも?
(それくらいまめに投稿できればいいのだけれど・・・・)
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# by iwashido | 2015-02-02 06:03 | 季節のできごと | Comments(0)

時代遅れ

いろんなことが急速に変化している。
私たちが子どもの頃は、自宅に黒い電話があって、呼出(呼)というのも
クラス名簿にまれにあった。それがそのうちいつのまにやら
どんどん影が薄くなり、いまやデフォルトは「携帯電話」になっている感さえある。
そしてちょっと前までは、メールといえばPCメールアドレスで、
PCが家にあってインターネットが自宅で閲覧できることが特権的な時期もあった、
しかし今やブラウザの主流の半分はスマートフォンと呼ばれる端末で
メールといえば「スマホで受信」、メールさえ時代遅れで、LINEやフェイスブックで
連絡を取り合うことが通常で、そこに登録していないというだけで情報から疎外されても
それは入っていないほうの勝手、という論理さえ成り立ちそうである。

私は昭和に生まれて、昭和の時代に学生時代を過ごした世代なので、
強引な2分法であてはめればアナログ派であろう。
インターネットはけっこう早い時期からやっていたけれど、そこで止まっている。
ブログとミクシィまではついていけた、でもフェイスブックやスカイプには乗り遅れた。
携帯もいまだガラケーで、ショートメールのみの送受信で、一部連絡先には
多少の迷惑をかけているのかもしれない。メールといえばPCメールで止まったままなのだ。

それでいいのかどうか、実はよくわからないけれど、私はやっぱり他人にそこまで
自分を広げられない狭いというか臆病な面がある。
FBで安易に「いいね!」とか言われてその数を気にする自分が嫌だ。
発言に対して「いいね」か「やだね」でしか答えてもらえないようなコミュニケーションは
いやだなと、思ってしまう。
私の理想のコミュニケーションは、ソクラテスのいう「魂の産婆術」、でも会う人全員と
そんなことをやっていては身が持たないであろう、現代では。

FBは、確かにあるコミュニティではある、しかしそれが全てと思いたくない。
拒否をしているわけではない、遠巻きに見ていることしかできない自分がいるだけだ。
いろんなこと、つっこんで語り合いたいけど、なかなかうまい方法にたどりけない。

今年の目標は「BREAK THROUGH」ブレイクスル―、壁を越えていきたいのだけれど。
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# by iwashido | 2015-01-25 15:09 | 朔のつぶやき | Comments(0)

『ドーミトリー ともきんす』(高野文子)を読むことができた。
書評等で取り上げられたのも読んでいたが、やはり実物にまさるものはない。
漫画という表現形式を借りた、一流の理科本ブックトーク。
これは高校図書館の蔵書に必備かもしれない、とひとりごちる。

知らない人のために説明すると、高野文子という漫画家さんの作品で、
架空のドーミトリー(寮)ともきんす、に、
トモナガくん(朝永振一郎)、マキノくん(牧野冨太郎)、ナカヤくん(中谷宇吉郎)、ユカワくん(湯川博士・・名前忘れた、ノーベル賞受賞者の)という4人の学生さんが住んでいるという設定で、
彼らの著作物やエッセイ・日記・本の紹介になっている。

幸いなことに、朝永振一郎著作集(みすず書房)が手近にあり、トモナガくんの若き日の
滞独日記を漫画と並行して読むことができた。
これがなんともすばらしい。ユカワくんとトモナガくんは専攻を同じくする(物理学)学生で、
ユカワくんのほうが先に功績というか論文を認められ、世間に知らしめられた頃、
トモナガくんはドイツに留学し、なんとも言えない、少し悶悶とした日々を過ごす
その頃の日記が、著作集の別巻2「日記・書簡」に掲載されている。

トモナガくんは泣き虫で、「ぼくは物理なんてきらいです」と、漫画の中のトモナガくんは
ノタマウのだが、その感じと、日記の読後感はパラレルである。
また、ボタニスト(植物学者)となる前のマキノくんも漫画に出てきて、
牧野植物学大図鑑(だったっけ?)はさすがになかったけど、類似品の北隆館の
牧野植物画を拡大して使用してある図鑑ならあって、そこに出てくる植物がはどれも
「植物観察には虫眼鏡と筆がいちばん」と言い切るマキノ直筆の愛ある植物図が
たくさん載っていて、デジカメのない時代だからこそ、人は自分の目を信じて
真実に迫ろうとしていた気迫というか愛をひしひしと感じてしまった。

ドーミトリーのモデルは、北海道にあったという中谷博士の別荘だそうだし、
なんといっても万感せまるのは、
作品のおわりのほうに掲載される、「科学と詩」を考察したのユカワくんの詩であろう。
いま手もとに『ドーミトリーともきんす』がないので、正確な引用はしかねますが、
この詩は素晴らしい。科学と詩は、同じところから出発して
たどる道筋は違うけれど、行きつく先(目指すもの)は同じはず・・というような
書いてしまえば味気もない結論が、明確な論旨とイメージで表現されています。
文系だの理系だの区別する前に、この詩はぜひ一読をおすすめしたい
若い人たちに、と強く思った。
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# by iwashido | 2014-11-29 10:33 | 読書日記 | Comments(0)

11月22日(土)に「図書館大好き わたしとあそんで」の小さな学習会を開きます。
時間は午後1時開場、1時15分頃よりスタート。
場所は珠洲市立図書館2階の和室(階段上がって右)。
テーマは「学校図書館にできること」という題で、
石川・学校図書館を考える会の代表・下崎睦子さんをお招きしてお話を聞き、交流するのが主旨です。

思えば10年前。珠洲に来て、子どもの通う学校の図書室が、会議室・倉庫状態に近いことに
驚き、まず棚整理のボランティアに入りました。その翌年、読み聞かせボランティアグループを
発足させ、朝読書の時間に読み聞かせなどを行う活動を開始しました。
しかし、「読み聞かせ」「ボランティア」ではできない、専任で専門の司書のいる学校の図書館の輝きを
知るにつれ、ただボランティアをやっていたのでは本質に届かないことに危機感を抱き
通信教育で司書の資格を取りました。
その後、今から5年前になりますが、「図書館を考える集い」という名前で
津幡図書館の初代館長・前田幸子さんを呼んで学習会をしました。
その時はそれ1回で終わってしまいましたが、翌年から珠洲市の学校にも司書が配置され、
少しずつ人数が増えて、今では4人の司書さんが市内12の小中学校を担当しています。

今、珠洲市でも新しい図書館の建設に向けて、検討委員会が立ち上がりました。
市民の意見をもっと交わそう、新しい図書館を楽しみにしようという会も始まり、
これまでに2回、集い(ワークショップ)が持たれました。
なんというか、やっと、やってきたことがつながったという思いで感動しています。
時代が動いた。あきらめずにつづけること。徳川家康の待ちの攻め方に学ぶ点はあります。

図書館・学校図書館。違いは何? 同じことは何? できることは何があるの?
人口の少ない・民主主義がなかなか成熟しないところで市民の合意を作るには?
そもそも図書館は必要なの? 文化って何?

考えればきりがない連想ゲームになりますが、とにかく人と人・人と本をつなぐために
私たちに何ができるか、考えるきっかけづくりになることを期待して、今回の企画をやっています。

(主催:「石川・学校図書館を考える会奥能登メンバーズ」改め
     図書館大好き・わたしとあそんでinすずのと /共催:LOGOS文庫) 
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# by iwashido | 2014-11-16 14:17 | いわし洞文庫 | Comments(0)

本と出合うタイミング

1年に出版される本は現在どれほどの量なのか、
数値としてすら知らないけど、すべての新刊を読むのはまず不可能。
新刊書店でなくても新古書店ででもいいけど、100円の本ですら購入を迷ってた時期もあった。

今すこし余裕ができて(精神的に)、本当に自分が読みたかった本と、背どり的な意味合いの本
を区別できるようになった。必ずしも新刊でなくても、図書館でですら出会いにくい本と
目の前で(棚の中で)出会えるのはちょっとうれしい。

小川洋子の『シュガータイム』、別にそう珍しい本でもない。
きっと図書館で探せばあるだろう、でも買ってしまった(新古書店で)。
理由は、とある新聞の読書週間特集の記事で、食べ物関連本のおすすめで
あげられていたから。

一時的な摂食障害に陥った女子大学生と、身長があまfり伸びない
血のつながらない弟が出てくる。それから肉体関係にならない年上の恋人。
トピックスだけあげつらうとすごく週刊誌的だけど、そこは小川洋子の描く
静謐な世界で何の祖語もなく話が進んでいく。
読み終わってなんとなくだけど、『博士の愛した数式』に通ずるモチーフを感じたりした。

最近、現実世界で、「ひらめき(直観)」の重要性を感ずる。
なんとなく、ふと、思った(ひらめいた)いつもと違う感じや違和感は
きっと大切にしたほうがいい。世界が論理的にだけ構成されているという証拠はないのだから。

この前、大きな棘を抜こうとした。
抜けたかどうかはわからない、でも傷が棘になっていた(象徴的に)。
抜けたかどうかはわからなくても、自分は今けっこうすっきりしている。
傷があるままの自分を受け入れられるような気がしている。
だからもう無理に癒されなくても構わないのです。
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# by iwashido | 2014-11-11 21:47 | 読書日記 | Comments(0)

Under The Moon

見ましたか、月食? 

私はみた、というより「体験した」。

月食の月の下でヨガを体験@鉢が崎。

人生、変わりそう? 変わるかな? 変えてみせるさ。

頑張れ、自分。
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# by iwashido | 2014-10-11 22:18 | 朔のつぶやき | Comments(0)

「・・それは専門家にしても同じなんです。フリーハンドで、つまり枠組みそのものを再設定しながらビジョンを描くというか、プランニング出来る存在が、日本にはほとんどいない。
 そのためのステージが存在しないんですよ。
 「計画 → 即事業 → 即設計」という感じで施工まで一気に進んでしまう。
 たとえば公共事業にしても、地元に予算が落ちるようにとか建設業の仕事を増やしたいとか、そういう動機で先に決まってしまっていて、「これ本当に必要なの?」と思っても、そこを否定した途端プロジェクトが丸ごとなくなってしまうような。
 「本当にこれをつくっていいんだろうか?」とか、
 「これをするならどうやるべきか?」というところを自由に考えて仕切れるプランナーが育っていないし機会もない。だからなにも生みだされてこない。
 結果として、そのときどきの掛け声やスローガンはあっても、長期的なビジョンが生まれないんです。
 でもそれを持ち合わせていないと、個々の問題や事情ばかりが浮き上がってしまう。」

 ~『ひとの居場所をつくる ランドスケープ・デザイナー田瀬理夫さんの話をつうじて』西村佳哲著/筑摩書房より ”ビジョンに根拠は要らない”p102~103 の一節を転記。

 西村佳哲氏は彼が『自分の仕事をつくる』という本を筑摩書房から出版したころから注目していた。
 彼の問いの立て方が自分の問題意識に近いように感じたからだ。一度お手紙を出してリビングワールドのポストカードか何かを購入したこともある。デザインにとどまらず、働き方・生き方を研究しデザインするという発想が新鮮だった。

その後も彼は何冊か著作を出し、各地でワークショップや講演なども重ね、変わらず「つくる」「書く」「教える」仕事に携わっているようだ。そして私は最近この本(『ひとの居場所をつくる』)を見つけました。

考えていることはいろいろあって、そのときどきでつぶやいたりさけんだりしながら、いくつかのことはつぶやきが現実になり、何も進化していないわけではない。でも、根本的なところで、根源的に、議論したりはなしあったりということが出来にくい状況ではある。問いの立て方が悪いのか、進め方、誘導の仕方が未熟なのか、話してすっきりしたということはあるが、じゃあどうしたら、というところにまで遡っていけない。べつにそれで日常が困るというわけではないが、何か新しい動きが出る時に、もっと適切なサポートができるようになれていない。

なんというか、答えが見えてきそうで、でも陽炎のように消えていく。
「仕事」というより「仕組み」というか生き方というかライフスタイル。
お金を生み出すのもそうだけど、つながりをつくるとか問題解決の方法を知るとかそういうこと。

私は思い上がっていたのだろうか。
もっと謙虚に何事からも学べる人になりたい。
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# by iwashido | 2014-09-20 11:35 | 朔のつぶやき | Comments(0)

今日は新月

8月25日。
今日は新月です。

何か新しいことを始めるには良い日。

というわけで、新しいOSに入れ替えてみました。
(XP → Ubuntu へ。)

このブログが初エントリー。

そんな難しいことにPC使わないから、当面はこれでやってみます。
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# by iwashido | 2014-08-25 00:01 | 朔のつぶやき | Comments(0)

お盆です

今年はお盆に五日間の連休が取れました。
とはいえ、うだうだと家にいる日々。
例年にない雨のお盆となっております。

片付けるべき課題をこなして、この週末中には
度が合わなくなった眼鏡をなおすというか、新調したいものです。

今読んでいる本・・
『ひとりの体で(上・下)』 ジョン・アービング/新潮社

お盆中にとらわれていた本・・
『ねじまき鳥クロニクル』 村上春樹/新潮社

<井戸を掘りたい。もしくは自分の井戸を見つけたい。>
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# by iwashido | 2014-08-16 12:01 | 季節のできごと | Comments(0)

図書館に関する本が。

図書館に関する本が今いろいろ手元に集まりつつある。

きっかけは『知の広場』という本を読んだことからだ。
イタリアの図書館事情を始めとする、世界的な視野での「図書館の今・知の今」をレポートした
本書は必読と思い、書評などから県立図書館で借りた。購入してもいいくらい。

目下、学校図書館とはいえ図書館で働いている立場として、日本の図書館の最低限の動きは
押さえておきたく、近くで立ち読みもままならない「図書館雑誌」を購読したいがために
日本図書館協会に入会した。これは個人でだれでも入会できます。しかも非正規雇用者は
自己申告で年会費を安く申請することも可能。それを利用して図書館雑誌を読むことに。
(別に情報をうのみにするつもりはなく、あくまで相対的に利用してるつもり。)
そしたら、公益社団法人化の入会キャンペーン中で、JLA発行の書籍が1冊選べると。
なんか情報リテラシー系の本を選んでしまった。

それから、立教大学の司書課程の准教授をされている中村百合子先生のブログから
面白そうな報告書や個人出版物のお知らせを過去ログから見つけて、
勇気をもってメールで連絡してみましたら、さっそくその本が送られてきた。
1冊は『情報を判断する力』という、立教大学社会の教育講座司書課程主催の
連続公開講座の記録集で、2011年の3.11後に「情報リテラシー」がいかに発揮されたか、
もしくはされなかったかについての反省に基づいた、知のあり方・図書館の存在意義などを
ある意味深く遠い視座を以って考察するための助けになるような講演論文集だと思った。
われわれ学校図書館関係者がいう情報リテラシーを、もっと広い視座で捉えなおすことができそう。

もう1冊は、その中村先生のお仲間である足立正治先生の退職記念に作成された
「Here Comes Everybody~足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と
学校図書館の可能性」という本。
足立先生のことはこの本とブログで少し拝見しただけだが、竹内敏晴氏の「からだとことば」
に関する活動は私も少し関わったことがあり、『ことばが墾かれるとき』は私にとっても
重要な意味を持つ本だった。カールロジャースのエンカウンターにもお世話になったこともある。
そういうことが、学校図書館に結び付けられるということは、
私のような経歴をもつものでも、学校図書館にかかわる意味はあるんだ、
と再認識することができ、今、自分の勤務する学校図書館をどういう場にしたいかといえば、
やっぱり私も「ひろば」のような場所を学校内に作りたいと願っているので、
大変示唆に富んだ面白い内容の本である。
(関連ブログ・サイトについては後で書き直してリンクします。ブログ技術未熟者なので。)
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# by iwashido | 2014-07-26 17:29 | 読書日記 | Comments(2)