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古本LOGOSの 月1,2回古書店。

夏の終わりの台風騒動。。

8月某日  暑い夏でした。台風も日本を縦断中です。
      いまの状態の能登半島に台風直撃されたらどうしよう、
      と思っていたので、最悪のケースは避けられたようで良かったです。

      自分は、7月中旬から約4週間、膝の手術のため某病院に
      入院していました。不愉快な住環境からの一時的な逃避、
      三十年来悩まされてきた膝痛に、大鉈を振るって整形外科
      手術を行いました。私が死んでも(火葬されても)
      手術で入れた人工関節は、骨と共に残ります。そういう足になった。
      まだ完全に馴染んでおらず、通常のようにスタスタ歩くのは
      無理ですが、ゆっくり、転ばないよう、杖を使ったりして
      車の運転も可能な状況にはなりました。日々療養中です。

      病院では三食の食事を提供され、きちんと眠る時間を確保でき、
      リハビリと入浴時間以外はほぼ読書したり、新聞読めて
      楽しい4週間でした。家に戻っても、まだマンガ読んで
      ダラダラ、最低限のことしかしない、非常にルーズな生活態度
      です。幾つか買取依頼を承っている方、もう少しお時間下さい。

      こうなってくると、身体がいかに大切か痛感いたします。
      本を読むだけならともかく、それに付随する、売る、仕入れる、
      文章を書く、投稿する、発表する、などは肉体が伴います。
      自分だけの心地よい仕事場が欲しいです。怠けてばかりですが。

      そんなわけで、ブログの更新も滞り、通販サイトも閉めたまま
      ですが、もう少しリハビリ通院最優先で、年相応の肉体と
      健全なる精神を取り戻すべく足掻いておりますので、
      ご理解のほど宜しくお願いします。(古本LOGOS)
夏の終わりの台風騒動。。_c0107612_17393807.jpeg
     

# by iwashido | 2024-08-30 17:40 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

短距離ランナーの孤独(フィクション)

8月某日 晴れ
     いつからオリンピックは真夏に開催されるようになったのだ。
     昔、ジャポネという国では10月に開催され、開会式の日を記念して
     その国の祝日にした、という話を「オリンピックの歴史」の講義で
     聞いたような気がする。別にボクたちの国では一年中太陽は友だち
     だから、なんていうこともないのだけれど。

     今日は陸上競技、男子100メートル予選の日だ。7組行われ、
     各組上位3着までは自動的に決勝に進める、それ以外に選外でも
     タイムの良かった三人がお情けで決勝進出に加えてもらえる。
     世界が変な平等主義になったせいで、ボクのようなサードパーティ
     の国で足だけ速くて学歴もなく、ストリートでスリまがいのことに
     手を出しかねない人間にも、特待生という名目でトレーニングの機会
     が与えてもらえるようになった。選手の競技人口の拡大か、
     人種差別解消のためか、よくわからないけれど。
      
     オリンピックは国と国を繋いで平和を希求するなんて、よくいうよ。
     それなら特定の地域への意図的な爆弾投下はすぐさま止めて欲しい。
     世界はもう何年も前から戦争状態だ、それが武力攻撃という形を
     取らなくても、経済という名目で国と国は戦っている。 
     ともかく今日は大事な予選なのだ、一組目の3レーンなんて、
     ちょっとドキドキする。コーチは言った、大丈夫だ、お前の
     走りは誰にも負けない、その若いカモシカにような足で真っ直ぐ
     100メートルを全力で走り切れ。おなじ組に誰がいようと
     関係ない、たった10秒だ、息を止めていても走ることができるさ。

     女子の800メートル予選が終わって次はボクたちの番だ。
     待機場所からフィールドに出る、1時間前は棒高跳びの横で
     アップをしていた、30分前には招集がかかり、地下のロッカールーム
     でスパイクとソックスの点検をした、それからリラックスする
     おまじない。ボクの石を握り人生で一番楽しかった瞬間を思い出す、
     仲間たちと村中を気ままに走っていたとき、きっかり100mある
     橋の上の徒競走で一着になったとき、スポーツ特待生に選ばれたとき、
     そしてオリンピック代表選考レースを走り切ったとき。
     順位は関係ない、ボクはただ走ることが好きなのだ。

     そしていま、ボクは大観衆の見守るトラックの片隅にいる。
     なんだろう、こんな感じは初めてだ。皆んながボクたちを見ている。
     そしてテレビカメラが近づいて来る、レーンの各選手を紹介する
     のだ、国の名前が入ったランニングシャツと、自分の名前が印刷
     されたゼッケンを指で指し示す。隣のレーンの男はやけに陽気で
     シャツはイエローだし、頭は編み込みに腕には入れ墨、そして
     ボクにまで笑顔でウインクをしてくる、大丈夫さ兄弟、これは
     壮大なお祭りなんだ、リラックスして走ろうぜ! そう語り
     かけられたようだ。国の代表者の人たちの8割、少なく見積っても
     7割の人の肌は茶色い。黒い、というほど黒くはないが.少なくとも
     白くはない。一番外側のレーンの、北欧諸国の代表は、金髪碧眼で
     まるで物語に出て来る王子様のように見えた。ロッカールームでも
     異質だった。USAの代表も黒に近い肌の人だし、フランスも然り。
     アフリカ諸国やカリブ海、インド洋諸島の人も同様だ、ボクたち
     は仲間だと思う。

     テレビクルーの姿がトラックから消えて、スタートの用意をするように
     促された。スタートの練習は少し足りなかったかもしれない、なんだか
     ルールがその都度改正され、AIだかコンピュータテクノロジーの進化
     で正確に順位が測定される、そしてスタートも、昔のオリンピック動画
     ではフライングでやり直しはよくある出来事だったのに、今では
     フライングは1回でもしたら、失格だ。

     フライングだけはしないように気をつけよう、1から60まで正確に
     一分間のリズムで刻むことはできる、ピストルがなって1秒、スタート
     してしまえばこっちのものだ、ボクはただ走ればいい。
     多分この組の選手でボクは一番若手で経験が少ないだろう。
     世界選手権なんて大会に出たこともないし、オリンピックも初出場、
     こんな立派なスパイクを与えられたのも一年くらい前だ。でも靴が
     いいと走りがこんなに違うなんて、知らなかった。ボクのタイムは
     みるみる縮んで、選考代表基準記録を出すことができたので
     この場所にいることができるのだ、神よ、感謝します。ボクらを
     生ませしめた大いなる女神、我が民族の聖なる神。

     隣の隣のレーンの選手の十字架のペンダントが光ったと思ったら
     レディ、ーセット、ピストルの音が鳴った。ボクは人より感覚が
     過敏だと言われる、目に入るもの、耳に入る音に優先順位がつけられ
     ないのだ。ピストルを聞いてから1秒、フライングするよりも出遅れ
     たほうかいい、とコーチは言った。フライングは失格だが、出遅れは
     挽回できる。綺麗に一斉スタートができた、と思ったところに鈍い
     ピストル音、誰かがフライングしたのか、ボクの目には横一線に
     見えたけれど、走ることを止め、スタートラインに戻ろうとした時、
     審判がボクの方に近づいてきて、赤黒のカードを提示した。

     失格だそうだ。フライングスタートをしたのはボクだった。
     抗議をするが受け入れられない。OH、NO! というが
     むしろサバサバしていた。こんな大観衆に身守る中で昔の
     コロシウムのようなところで競馬のように走ったって何が
     楽しいもんか、きっとコーチには怒られるだろう、おまえには
     欲が足りない、ハングリー精神ってものが、何がなんでも
     勝ってやろうという気持ちを持て、と言われてもわからない。
     ボクは孤児だから、たとえ金メダルを取ったって心から
     喜んでくれる人もいない、お金も欲しくない、あったって
     使うところもない、住まいはストリート、それで充分だ。

     コーチの落胆する姿を想像したら悪いことをした、と
     言って謝ろう。でもボクはむしろさっぱりとした気分で
     二度目のスタートが始まる前に会場を後にした。

     耳の奥で、故郷の風音が聞こえたような気がした。
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# by iwashido | 2024-08-04 16:59 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

★告知★ 古本LOGOS 震災対応休業中のお知らせ

7月15日より、古本LOGOSは、約一カ月程度、休業させていただいてます。
これまでは、例年の催事、日本の古本屋(ネット注文)、目録販売と買取など
のできる範囲でのお仕事をさせていたいておりましたが、
家の片付けがいっこうに進まず、店主体調も不安定であり、集中して
お休みをいただき、今後の展開を真剣に考える時間もいただきたく
しばらく休業させていただいております。

★ 古本LOGOSをなんらかの形で続けたいとは思います。
 ただしそれが、珠洲で可能なのか、別の場所にするのか、 
 無店舗の通販、催事に絞るのか、それさえも決め切れずにいます。
 もともとが無店舗のようなものでしたが。。。

★珠洲市内で復興の狼煙を上げられている各店と違って
 ほんとうに情けないのですが、気力がついていきません。
 長患いしていた膝の治療も兼ねて、しばらくお休みさせてください。

★また地震が来るかもしれない、と思うと正直怖いです。
 どうしてもあの場所で、という固執もあるようなないような、、、
 そもそもが無理な選択だったのでしょうか。今は何も考えず
 真っ白なシーツになって眠りたいのです。。

★本音を言えば、古本LOGOSは奥能登にあって欲しい、
 だけど心安らかに暮らすには今は奥能登にいるのは厳しい、
 というのが店主の心情です。能登はいいですか。ほんとうにやさしいですか。
 こちらで生まれ育っていない私には、今はHard Days NIght です。
 かといって金沢がいいというわけでもないのですが。。。

ともかく8月中は積極的な活動を控える方向です。
ご理解のほど宜しくお願いいたします。
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# by iwashido | 2024-08-02 16:48 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

ワタシの第一阿呆列車日記(フィクションです)

6月某日 梅雨入りした日は大雨だったが、その後また暑い日が続く。
     そのくせ体調不良で鼻風邪はひくわ、脚は痛いわ、ろくなことがない。
     そんなある日、ある飲み会のお誘いがあった、北陸(金沢や富山)に
     住むある有志、同窓会みたいな感じであつまろー、というお誘い 
     である。昔なら電話や直接、もしくは往復ハガキでの出欠確認だ、
     でもいまは、SNSという最強ツールがある、LINE がある、
     年齢の差を超えて誰でも気軽にお誘いできる、そしてまた断るのも
     昔ほど気兼ねはない。ごめんなさい、都合悪くて、次回また、
     それだけ文字入力できれば誰に気兼ねすることもない。
     幹事が把握したいのは、結局のところ参加人数なのだから。。。

     行かない、という選択肢もあった、しかし私はそのつながりに
     幾許かの恩恵を感じている、午前中に弟夫婦と姪っ子と遊ぶ予定
     もある日だった、しかも会場は富山市内、普通なら、行かない。
     でも、一人だけ仲良くしている後輩が、先輩自宅まで迎えにいくから
     ご一緒しましょうよ、ほら車内から盛り上がってテンション上げて、
     しかも6時開始の飲み会に、3時に迎えに来るという。3時?!
     ありえん。だって、金沢ー富山って新幹線使えば30分かからんのよ?
     鈍行でいったって1時間弱。うちは比較的駅に近い。
     3時から集まるために、わたしはメイクに最低でも30分はかけたい。
     シャワーから始まるならもっと時間が必要だ。無理、自力で行くって
     言おうか。でもなあ。せっかく言ってくれているのに。迷った挙句
     3時半くらいにゆるっと来てくれるなら、いこうかな、と返信した。
     後輩は即刻了解、の絵文字を送ってよこし、同乗するあと2人の
     名前も知らせてくれた。きっと高速道路は使わないのだ、
     下道、もしくは8号線をゆっくり盛り上がりながら富山に行くのだ。
     自分が運転するならありえない選択だが、世の中は持ちつ持たれつ、
     たまにはいいのかもしれない、心の中でそう決着した。

      基本的にお酒は好きなので、飲み会は嫌いではない。職場でない
     なら全然いい。誰か意中の人がいるとか、きっかけ作り、とかの
     下心もない。楽しくワイワイとお酒を飲んで、自分では作らない
     美味しい料理やおつまみを食べて、隣あった人と会話する。
     それだけのことが楽しくないわけがない。
     当初の予定では一次会でさっくり切り上げて、列車最悪終電に乗って
     金沢へ向かうはずだった。それがカラオケいくぞー、の流れに巻き
     込まれてしまった。運転手の友達は、先輩、11時過ぎたら、
     帰りましょ、ワタシ駅まで送るし、というのでそれならいいか、
     と思ってしまった。その頃から記憶が朦朧としている。
     歌は歌った、小栁るみこと南沙織。お父さんがいつも車のCDで
     かけてくれるやつ。何回も聞いているうちに刷り込まれた歌。
     みんな「昭和やね」「なんか、なつかしソングやね」とディスほめ
     してくれる.自分では気に入っているのだけれど。
      梅ロックのサワーが引き金だった。昼間の疲れもあって爆睡した。
     同期で親友のAちゃんがいれば、横っ面をひっぱたいてでも起こして
     電車で一緒に帰ったことだろう。ところが彼女はもう結婚して
     この土地を離れた。哀しい。彼女がいれば。彼女のような親友は
     もうできない、とわかっていても、もしかしたらAちゃん来るかな、
     そんな昔の残像を求めて参加したのかもしれない。

     気がついた時には空は明るくなっていた。眠り落ちした4、5名が
     あー、ヤベー、とか言いながら目を擦りこすり起きてくる。
     幸にして会場が駅近だったのと、始発でも帰れそうな時間帯だった
     ので、もう学生ではなくボーナスが出たばかりの人もいるメンツで
     とりあえず追加料金の精算をする。基本料金は、幹事が既にカード払い
     済みで、ポイントためつつ、みんなからは現金で集金していた。
     そこまでは、覚えている。え、なにこれ、予定と違うんやけど。

     とりあえず駅まであるいた。鈍行で帰る人、富山市内在住の人、
     そして新幹線で帰るわ、と言った私の3手に分かれた。だってさ、
     一刻も早く自分のアパートに帰って、自分のお布団で寝るんだもん。
     だって新幹線なら富山金沢市、30分かからないんだから。
     始発の新幹線は空いていて、好きな座席座りたい放題なので
     自由席の、一番ドア近くの後ろに気兼ねしないでリクライニング
     出来る座席に倒れ込むようにして座った。各駅停車らしいので、
     新高岡の次が金沢だ。あー、このリクライニングめちゃいいわー、
     鈍行で帰ることにしなくてよかった、と思って目を瞑った。

     あ、起きなきゃ。気がついたら、車内の電光掲示板の文字が変だ。
     ティ、ユー、アール、ユー、ジー、エィ。。。。TURUGA?
     つるが🟰敦賀?? お疲れ様でした、まもなく終点敦賀に到着です
     お忘れ物のないようご準備ください。車内のアナウンスも変だ。
     私は金沢行きの新幹線に乗ったんじゃなかったっけ?
     ああそうか、3月に北陸新幹線は福井を通り越して敦賀まで
     繋がっちゃったんだ。え、だからってなんで私が敦賀に来るのよ?
     敦賀なんてさ、学生時代に高速で嫌になる程往復しました、小浜
     だっていきました、だけどその頃は新幹線なんて夢だった。
     憮然とした顔で座っていると、車内乗務員のお兄さんがやってきて、
     お客様、どうされましたか、ああ、乗り越してしまわれたんですね、
     悪意はありませんね、それなら誤乗車ということで、このまま
     金沢までお帰りになることができます、幸いなことに5分後に向かいの
     ホームから金沢行きの新幹線が発車します、自由席であれば大丈夫です、
     そう言われてわたしは敦賀駅の改札を出ることもなく、そのまま
     当初の目的地に向かって再び新幹線に乗ることになった。

     わたしの計算では七時には(本当は12時までには)自分のアパート
     に戻って布団乾燥機をかけたばかりのあったかいお布団にくるまって
     眠っているはずだった。それなのに。それなのに。
     アパートに着いたときには午前9時を過ぎていた。
     馬鹿らしい。電車に乗るためだけに電車に乗ったようなもんじゃん。
     これってだれかの小説にあったっけ?
     ほら、借金してでも電車に乗った人。着いたらすぐ、また折り返しの
     電車に乗ってヒマラヤ山系君といろいろ旅した人。阿呆列車とか
     いう本の背表紙をお母さんの本棚で見たような気がする。
     もういい、とにかく今はお布団でねるのだ、スマホの電源も切って、
     iPadもオフにして、誰からの問いかけにも対応しません。
     U子の脳みそはいまもう眠気で溶けそうなのです。
     ですから皆さんは、くれぐれも乗り越しすることないよう、
     アラームなどをきっちり設定して始発電車にお乗り下さい。
     これがワタシの第一の阿呆列車日記となりました。
      (フィクションです)
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# by iwashido | 2024-06-30 23:02 | 朔のつぶやき | Comments(0)

海にでるつもりじゃなかったのに(続)

5月某日 (ちょっと日にちが戻ります)
     金沢に出てしまえば、日本中どこでもいけるなぁ、という気持ちになるくらい
     半島の先というのは、遠方だ。若い時はそうでもなかった、日帰り平気(今もだけど)、
     この距離を遠いと思ったら奥能登では暮らしていけない、そう思い込もうとして
     自分なりには頑張った、でも今は、道の状態がまだ完全には治っていないのと
    (それでも元旦に比べれば格段によくなったのだけれども)、心理的負担、要するにストレス
     ですかね、まあいろいろ重なって、えいや、っと思い切らないと出ていけない。
     だからA氏からのお誘いが呼び水になって、もしかして私、新幹線乗ればどこへでも行ける
     んじゃないの? 出張扱いで出張費にすれば経費で落とせますか? などなど悪知恵も働き
     金沢に一泊して、翌日敦賀まで開業したという新幹線に乗り、京都を目指した。
     わたしはサンダーバードが好きでした。ゆっくりお弁当食べて京都まで一本で行けるのは
     サイコーでした、でもでもでも。なぜに皆はスピードを競う? 8分で乗り換え?
     モタモタする暇を与えない程、停車の3分前から出口前に行列ができ、停車してからお立ち下さい
     というアナウンスもなんの、しかもサンダーバード全席指定ってどういうことよー!
     と突っ込み満載の京都行。湖西線、いいよね。山の方ばかり見ていました。

     京都には大学時代の友人がいて、いろいろ事情があって子どもも巣立ち、一軒家一人暮らし
     なので、泊めてあげるよ、と言ってくれる。数年に一回くらいお邪魔している。
     図書館司書の通信教育のスクーリングも彼女の家から通った。
     京都よりは奈良に近い辺りなのであるが、京都は京都だ。大都会なのだ。

     彼女は日経新聞の読者で、読者プレゼントで「キュビズム展」の招待券プレゼントに当り、
     月曜日の夕方からだけど、行く? 2名までOKなのだよ、ということで、おすそ分けの
     1名にしてもらう。彼女はとても行動的で、しかもちょうど今年の3月で職場を
     定年退職して、まあ再就職活動中なのだけれども、話を聞くだけでもうらやましいほど
     いろんなところに出かけている。ポイ活も大好き、飛行機にのるために飛行機に乗って
     マイルをためて、本当に行きたいところに格安でいったり、ともかく発想が異次元である。
     京セラ美術館に行く前に、近くにある有名なホテル(もと都ホテル、今は外資が買収、
     VIPがたくさん泊まったり、レセプションパーティを開けるようなホテル)への無料シャトル
     バスに乗っていく。これも、涙ぐましい努力の末に勝ち取った会員カードのおかげらしい。

     Comfortというのはこういうことであるのか、というくらい居心地のよい空間。
     椅子、花器、飾ってある絵画、使われている石材など、格安ビジネスホテルで充分な
     我が精神が恥ずかしくなるほどに、奥行きと精神性を感じた。お金を払ってまで
     泊まろうとは思えないけれど、たまに来るのはいいな、、、と思った。庭園もあるしね。

     そしてキュビズム展、「現代アートを幼稚にした」という自覚のある一文とともに
     あまり個人的には好きくないいかにもなドラえもんより好きにはなれない金色の物体
     をみてそうか、現代アートは「幼稚」であることが価値なんだ、と理解し、
     ここ数年の現代アートブームの流れがよく分かった。アートというなら今の珠洲の風景
     こそまさにアートではないか。もうこのまま「震災アート」として永久保存しろや、
     と言ってしまいそうになるほどに精神は荒廃している。

     「キュビスム展」は良かった。セザンヌが、遠近法を無視した絵を描いたことが
     キュビズムへの道を開いたということらしい。物体を分解する。方程式のない因数分解か。
     もともと抽象画の方が好きなので(クレー、ミロ、Kandinsky展を学生時代に見たのが始まり)
     おおおー、という感じである。ありのままでないほうがよく伝わる、というものがある。
     一連の発展の歴史もよくわかった。途中「ロシアアバンギャルド」の作品が3枚ほど展示されて
     いたが、ここだけ漂ってくるものが違う。西洋史ではない、なにか。土着的、というかロシア的?
     ロシア正教と、ギリシア正教は仲良しなんだってね、ローマ帝国に屈しなかった二つの精神。
     加賀と能登みたいだな。経済性メジャーには乗れなくて、骨太で異質で田舎臭いなにか。
     ドストエフスキーやチエーホフが描き出そうとしたものに通じる何か。
     いまはよく言語化できない。もっと、本そのものを読まなくちゃね。元気になったらね。
     (わたしは、展覧会で作品写真を撮影することは好きじゃないので、掲載できる画像はないです。
      時間もぎりぎり2時間目いっぱいみていたので、ポストカードも1枚も買わなかったのは残念。)

     わたしにできることはなんだろう、できないことばっかりでめげそうになる、
     どこにいけばわたしのComfortは見つかるのか、、、長い旅は始まったばかりだ。
     あと最後の30年を、健康で幸せに生きることができるように、もっと自分に正直に
     なろう。大きな変化が始まりそうな予感がする五月の終わりであった。
   
海にでるつもりじゃなかったのに(続)_c0107612_10431436.jpg

# by iwashido | 2024-06-09 10:47 | 朔のつぶやき | Comments(0)

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