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LOGOSさんの月に1,2回古書店

LOGOSの「地下2階の本棚」・・徒然読書雑記

村上春樹「タイランド」(『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)収録)

★村上春樹を好きな人もいれば、あまり好きでない人もいると思う。
どれだけたくさん本が売れようと、どれだけ有名な賞を取ろうとそんなことは小説家の本質と何も関係がない。宮沢賢治だって樋口一葉だってニーチェだって、生前そんなに本が売れたわけではなくて、死後に残された作品を世に送り出した肉親や編集者がいたということだ。村上春樹は十分に有名だけど、有名であることと好き嫌いはまた違う。

『神の子どもたちはみな踊る』は確か以前持っていたはずなのに、棚に見当たらなくて、きっと衝動的に一箱古本市か何かで売ってしまったんだろう。だからブックオフに寄った時に購入した。A....という通販を利用することもできるが、最近、その倉庫の過酷な労働実態を書いた本を読んだので(その前からだけど)あまり使わないようにしている。便利で何が悪い? な世の中だけど、これが私にできるささやかな抵抗である。

『神の子どもたちはみな踊る』の中に、目立たない小作品として収められている「タイランド」は、更年期のホットフラッシュに悩まされる女主人公(甲状腺の専門医)が、東南アジアで開かれた学会の後に、休暇を取ってタイで過ごす話だ。冒頭のアジアなまりの強い飛行機アナウンスの描写がうまい。主人公のホットフラッシュの息苦しさは日ごろ体験しているので、すんなりと物語世界に入っていける。

村上春樹は、心に何らかの石やトラブルを抱えた女性を描くのが上手だ。上手というか、構造的によくわかっているなあ、と感心する。それはたとえば『1Q84』に出てくる女性警察官あゆみ、だったり、「眠り」(『TVピープル』(文春文庫)収録)に出てくる不眠に悩む女主人公だったりさまざまである。『ノルウエィの森』の直子の変奏曲といってもいいのかもしれない。

「タイランド」で、女主人公は、休暇の間ずっと世話をしてもらったタイ人運転手のニミットに、自分の抱えているある秘密(悩みの源泉)を打ち明けようとする、しかし彼はそれを遮る、「夢をお待ちなさい」と言って。それは、その前日にニミットの好意により連れて行かれた老占い師の占いの言葉でもあった。日常では収まりきれない歪みやひずみを、「占い」と「夢」という形で、東南アジアリゾートという非日常性の中でうまく昇華している。

「生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター」(P142)とニミットは言う。生きることだけに多くの力をさいてしまうと、うまく死ねなくなるのだ、とも。

『神の子どもたち・・』に収められた作品は、どれも少しずつ阪神大震災のことが微妙に絡んでいるので、理不尽さや行き場のない怒りや悩みで困っているときにはとても効くような物語群である。「かえるくん、東京を救う」や「蜂蜜パイ」はおすすめです。生きることはある意味とても理不尽だ、でも死ぬまでは生きるしかないのだ。

# by iwashido | 2019-09-29 12:33 | Comments(0)

激しく停滞。

9月になった。相変わらず暑かった。
台風が来て、図書館の屋根が飛ばされて、祭りが終わった。

でも自分は激しく停滞している。
何もやる気が起こらず、視力も衰え(眼鏡が合わず?)、体もあちこち痛い。
だめだな~。。。

そんなわけでこの文章もやっとこさ書いています。
仕事も、仕事以外も、もう少しお時間ください。

この楽しくない気持ちはどうしたら移動するのでしょうか?

「地下2階の本棚」にある本でも読んでみるか、
それとももう本など読むのも執着するのもやめるか?

# by iwashido | 2019-09-26 18:47 | Comments(0)

あれは「開けゴマ」、だったのか

ずーっと昔から興味もっていて、でもぜんぜん進んでいなかった課題が
今頃になって「ほらほら、どないするねん?」って感じで迫ってくる。
「お前、この機会逃したらもう一生チャンスないぜ? 最初で最後やで?
ぐだぐだゆーとらんで、さっさと態度決めや」まるで脅されているかのような
脳内バトル。

たとえばです、今最近読んでいるのは『敗戦後論』、先日お亡くなりになった
加糖典洋氏が書いたちくま学芸文庫などを読んだりしているわけですが、
「戦後の起源」「ねじれと隠蔽」など、戦後が一筋縄ではいかない複雑な
力学によって生じた精神の活断層のようなもので、その落差に気が付こうと
気が付き枚と、私たちはかなりやばい橋を渡ってしまっているわけで、
「平和憲法があるから大丈夫」とだけ言ってしまえる無邪気さには戻れなく
なってしまった。日本はその前に「明治維新」というOSの大幅入れ替えを
やってしまっているから、話はさらにややこしく、これは西洋のヘーゲル的な
「正・反・合」では説明できない。むしろオーエルの「1984年」的解釈で、
私たちは近代化という名の元で書き換えられた歴史を生きているのかも。

いいんだ、いまさら話をややこしくするつもりはない。ただ、この『敗戦後論』
という本の中に「太宰VS D.J.サリンジャー」という節があって、
サリンジャーは最近映画にもなったし、ライ麦畑は相変わらず売れているし、
村上新訳で新しい読者もつかんだりでほんと永遠のバイブルになりそうな
訳なんですけど、私は、今から40年近く前の高校生の時、なぜか
読んで、ひかれて、原書(ペンギンペーパーバック)も買って読もうとした。
ホールデンの「ライ麦畑の捕まえ役になりたいんだ(野崎訳)」という
このフレーズに激しく同調し、いまだにその呪縛から逃れられない。
永遠のこども、というわけですか。社会的逸脱者? 反逆児? なんとでもいえる。

この辺のことを、きちんと具現化しないとなぁ。
いまいる職場で「捕まえ役」をやり続けるのはもう限界だね。
もう無理、もう未来が見えない。迷走している。
3年後に命が終わるかも知れないと思って、もう嫌なことはしない。
やりたいことを中心に、失敗して人に「ざまみろ!」と罵倒されても
それでもいいよ。だって私の人生なんだから。
岩波書店の「図書」で連載中だった「ミンネのかけら」が良かった。
富原真弓さん、トーベ・ヤンソンと、シモーヌ・ヴェイユをつなげてくださって
ありがとう。私の中で大事なものが、リンクされつつあります。


# by iwashido | 2019-08-11 15:02 | 朔のつぶやき | Comments(0)

零(0)の発見。

今にも沈没しそうだった舟ですが、
なんとかのたりのたりと日々乗り越えています。
そこここでぶつかりそうになったり、ぶつかったり、穴があいたりふさいだり、
そういうことを繰り返しています。

6月の夏至前後に、どちらかといえばあまりよくないことが、
私の周囲(ちょっと遠い周囲)で立て続けに起こり、
一歩間違えれば誰だってどうなってもわからない現実を、見せつけられました。
身内はまあ元気です。

今はそこから一歩一歩、かたつむりの歩みで復活中。。な感じ。

たとえ話です。
ギリシア・ローマの時代には、「0(零)」という概念はなく、
数えられるものだけが数で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳなどという表記で示されていました。時代が流れて、インド人が0(ないものを表す表記・数字)を視覚化したことで、
現代につながる数学・数論の流れが活性化しました。
私たちには当たり前に理解できる、ゼロを中心に据えた数直線という概念は、
ゼロ発見以前にはイメージもできなかったのです。

今までの自分の心理的状況は、この対極で
「マイナスないしは虚数」が私の精神の根幹でした。
私の精神に、実数(プラスの数)はなかった(あくまで、たとえ話ね)。
ようやく最近、私にとっての「0の発見」的なことがあって、
実数・有理数・具体的なことのほうにも数直線がのびつつあります。

家族に話したら「インド人すごいね~0の発見ね~」といなされましたが、
私がいいたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ。。。







# by iwashido | 2019-07-17 08:32 | 朔のつぶやき | Comments(0)

今日は第3日曜日につき。

沈没しそうな舟が一艘、なんとか持ちこたえて今日も日永のたりのたりしている。
必要なのは、静寂な場所と、無遠慮な他者のまなざしからの少しばかりの逃避。

先日ある集まりで「カミソリみたいな感受性を持った生徒が、数年に一度くらい、いますよね」
みたいな発言をしたのだが、もしかしたらそれって、ある時点での自分自身だったのかも・・・。
ま、自分のカミソリなんて、あまり切れ味鋭くないなまくらな100円ショップ並だけどさ。

あまりそういうのを全開にすると、日常生活なんてやってられない。
音が気になり、視線が気になり、発言やつぶやきの一語一句にさざ波立っていたら身がもたない。
それである時、私はそれらを封印した、もしくは硬い種のようなものに閉じ込めた。
生き延びる道はどちらかだ。自分は周りとは違う、確固たる存在なのだと自他ともに認めさせ、
結果を出してどうどうと王道を行くか(こうかくと誤解されそうな表現だなぁ。。)、
本音を隠して、周囲に合わせてそれなりの生き方で満足するか・・。
もっと人は一人一人違っていいのではないだろうか。当たり前そうで当たり前でないこと。

でも「特別」ってなんだろう。考えれば誰もの生が唯一一回性であり、特別である。
ナルシシズムの極地のような特別は(本人は気づかなくても)あまり気持ち良いものではないし、
客観性を保ちつつも、屹立して立ち続けるのはある種の精神的強さと処世術が必要なのかも。
つまりはマイペース? ってこと?
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存在そのものへ。事象そのものへ、まなざしを鍛えませんか。
というわけで、今日はLOGOSの入りにくそうな店にいます。
Nちゃんがいないのが、寂しく感じられます。
(そう思うなら、いなくなる前にもっとちゃんと話をしておけばよかったね)
 
「ブックティとやま」楽しかったです。写真をあげておきます。(BOOKDAYとやま FBより )




# by iwashido | 2019-05-19 11:31 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

一つずつ片づける。一歩ずつ進む。

何を言っても言い訳にしかならないので、せめてこのブログで発散。
別に誰もよまなくてもいいし。
でも、書くことで、言葉にすることで確実に世界は少しだけ動く、ような気がする。
ほんの少し、猫の額ほどかもしれないけれど。

私は一つやりだすと、すぐそれに関連する別のことに気をとられ、
いつまでも最初に思っていたことをやり遂げられない性質である。
たとえば、部屋の掃除をしようとする、するとそこに積んであった本を片付けているうちに
その本の1冊の読書に没頭したりとか、本の箱詰めをしようとして洋服の冬物整理のことを
ふと思い出し、クリーニングに出すとか洗濯を始めてしまったり。
まあそんなことは誰にでもあることだろう。

基本的に、人間が怖いので、できるだけ近づきたくない、
でも一人でずっといられるわけでもない。
基本的信頼感の欠如、それは自分に対しても他人に対しても。

12月頃から、ずっと喉に不調を感じ、飲み込みにくいような、ひっかかるような、
今までだったらごっくんと呑み込めたものがスムーズにいかない。
耳鼻科にいって、ファイバースコープをしても、消化器内科で胃カメラをしても
特にこれといってわかる潰瘍や異物があるわけでもない。
要するに更年期のヒステリー球とか、不安神経症とか言われるやつなんだろう。

昨年末に、実家に帰省した時、どうしても喉のつまり感が消えず、妹にたのんで
市内の救急外来にまでいった。夜9時頃なのに、結構な患者さんが来ていた。
私を見てくれた医師はまだ若い感じのお医者さんだったが、
「喉というのは、とても繊細な器官なんです。そうでなければ、モノを食べたり、
声を出したりという行為はとてもできません。だから、以前の嫌な記憶(感覚)
を覚えていて、ちょっとしたキズやひっかかりが必要以上に痛みを感じさせる
場合があります」というようなことを言ってくれた(かなり想像でおぎなってます)。

昔から、玉薬を飲むのは苦手でねえ、よく「飲んだ」と言ってはゴミ箱に捨ててたな。
何か言いたいことをずっと押し黙って来たのではないか。
自分から進んで、小さい四角い箱に自分を押し込めて、手も足も縮めて、
村上春樹的なメタファーでいえば、函男というか、冷蔵庫の中に閉じこもって
生きて生きたのではないか・・・そんなことを思った。
それは誰が悪いとかいう問題ではなくて、ね。
こうであるべき、こうしなければ、そんなふうに自分を強いてきたのかな、、、。

今年はちょっとずつ、自己主張をする、我慢しすぎない、我儘に生きる。
そんなことを思う、ゴールデンウイークの二日目であった。
明日は用事があって、お出かけします~。運転気をつけよう。


# by iwashido | 2019-04-28 10:54 | 朔のつぶやき | Comments(0)

哲学は人生論、人生は哲学?

諸事情により、本日の計画(予定)はすべてキャンセル、
そして丸一日の休養をいただいております。LOGOS定例OPENも、金沢一箱古本市もごめんなさい。

先日、福井の勝木書店(本店)へ行った。一時期、駅前再開発のため閉店になるとかならないとか、
移転したとかしないとか噂レベルの話が飛び交ったような気もしたが、先週の日曜にはやっていた。
2階にある、みすず・岩波の単行本がずらりとそろったコーナーがお気にいりですが、
今回は1階のレジ前新刊スペースの前から動けなくなった。
下は売れ筋・話題の本の文芸書平積みの上の棚に、「読みたい」と思うような本が
目白押しに並んでいる。主には日本の文芸書、でも文学だけでなくエッセイも評論も、
時には海外文学も入り混じって絶妙な棚配置の前から、動くに動けない。

左から右へ、上から下へ順に目を動かすうち、サリンジャーの幻の短編新訳(このサンドイッチ、マヨネーズが。。)とか、ナナクロ社の本とか、まあこの本の密度は何? というような磁場になっていた。
あとで良く見たら、どうもこの並びは「書名の50音順」に並んでいることに気付いた。
だから「猫が」とか「猫に関する・・」などという猫本が続いて並んでいたわけだ。

ダンナ曰く、「ここで働く人たちは、自分がいかにいい本屋で働いているか、気づいているのかな?」
というけれど、それは当人に聞いてみないとわからない。もと書店員だった彼には、このような
昭和的な本屋で、かつ人文書にもこれだけ棚をさけるというのは、理想に近いものらしい。

階段の横に、いろいろな作家の方からの寄せ書き・色紙で「応援します」的なコメントが
多く展示されていたので、幸いなことに今すぐ移転閉店ということにはならなかったようです。
(裏話も詳細はしらないので、もしまったく違う展開が待っているのだったら、ごめんなさい。)

結局自分は、今村夏子の新刊と、國分功一郎の『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)
を購入。今村夏子は、旦那が読みたいと言ってた本なので、買ってあげた感じ。
國分氏の本は、この前図書館で借りて読んで結局購入した『中動態の世界』(医学書院)が面白く
またエキサイティングで、現時点での今年度ナンバー1図書であるところの影響による。

これは、あるメールマガジンで連載されていた「人生相談」を本にまとめたものだそうだ。
人生相談、よく新聞紙上で掲載されていますよね。いろんな人が、それぞれの立場から、
時にはあたりさわりなく、時には核心をつくような、時には受け止めるだけでOK,いろんな回答がある。
この國分先生の「人生相談」の素晴らしい点は、相談に「哲学」という視座を導入した点だ。
寄せられている質問が特別高尚だとか哲学的だとか、そういうわけではない。
「子持ちの彼女への愛は本物か」「先行きが見えず不安」とか「会社の先輩に行きたくない飲み会に誘われる」等、ごく普通の、日常生活上だれもが一度以上は思い当たる質問ばかりだ。

このような質問に、テツガク教師である筆者は、大全力で、現代思想からギリシアにまでさかのぼる
膨大な哲学・思想のエッセンスをもって立ち向かう。例えば「子持ちの彼女への愛は本物か」という質問にはドゥルーズキーワードをもって、「彼女のためにソープ通いをやめるべきか」という質問には、マリノフスキーの『未開社会における性と抑圧』をもって、「行きたくない飲み会に誘われる」という質問には『読む哲学事典』(田島正樹)を参照するように、と答えるのである。もちろん、本が紹介されるまでには、質問者の想いを組むような考察があり、書かれた文章から書かれていな部分を補う想像力があり、質問者の本当の悩みは何なのかを探り当てようとする、國分氏の哲学的な眼差しが本書を支えているのはいうまでもない。

今の時代に「哲学」とかいうと、もう時代遅れの、過去の遺物の、理想ばかりをふりかざす無用の長物と思われる場合が多いのかもしれないが、この本を読むと、改めて哲学とは人生であり、人生とは哲学であることに気づかされ、非常に力をもらえた。

何よりも秀逸だと思った言葉は、「どうしたら前向きに語学を勉強することができるか」という質問に対して、
國分氏があげた引用である。。。もし、私が、朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一氏選、で一面に掲載中の)に、推薦する権利をもらえたとしたら、これを推薦したい。
日本を代表するドイツ語学者の関口存男氏が書かれた、ドイツ語の教科書『関口・初等ドイツ語講座』(三修社)に、國分氏が帯文を寄せたくらい、尊敬する先生だそうだ。これくらいの気持ちがあれば、人生なんでもやって行けると思ったし、やはり人生は哲学なのだ(別に概念や語句を丸暗記することではないですよ)と強く激しく同意する次第なのであった。

(関口存男の言葉)
「世間が面白くない時は勉強に限る。失業の救済はどうするが知らないが個人の救済は勉強だ」










# by iwashido | 2019-04-21 14:36 | 読書日記 | Comments(0)

人生は、楽しんだものが勝ち、なのかな?

新しい元号が「ら行」の言葉なので、ちょっと新鮮に思っています。。。
何だったかの短い文章に、「自分は「ら行」の言葉が好き」と書いたので。
らりるれろ、って、ちょっと響きが日本語離れしてると思いませんか?
「あ」行や「な」行に比べると、って話ですけど。

自分、頭硬いな~って最近思う出来事にひんぱんに遭遇。
とてつもなく既成概念にしばられている。
こうあるべき、最低限これくらいはクリアーしてないと意味ない、認めない。
そんなこと思っている間に、若い人たちはどんどんオリジナルな発想で
既成の権威やあるべき姿をあっさり乗り越え自由に行き来しているのに。

ああ、時代が変わるんだね。
いい意味でも悪い意味でも。
どんなに努力しても、変えられないものもあるけど、見方を変えることで
すっかり変わる場合もある。

ダンナが「ラジオ深夜便」で面白い話を聞いた、と教えてくれて
ある女性物理学者で、湯川博士に師事したくて京大に行って、
結婚して三人のお子さんを育てながら研究もして
日本物理学会の会長を務めたこともあって、
猿橋賞も受賞したこともあって、
次の5つのことを大事にした人。
「一、自分の可能性に限界を引かない
 二、行動に移す
 三、めげない
 四、優先順位をつける
 五、集中力を養う・・・。」

調べたら、米沢富美子氏で、既に故人なのですが、
ラジオ深夜便のアンコール放送だったそうです。
それで本を借りてみた。『人生は、楽しんだ者が勝ちだ~私の履歴書』
(日本経済新聞出版社/米沢富美子・著/2014年刊)

すごい人生。凄すぎる。とても優秀なお母さんだったのに、時代の波に押され、
「女に学問は不要」と高校卒業後証券会社に勤務(昭和10年・1935年頃)。
昭和19年(1944年)、著者が5歳の時、ある出来事がおこる。
「三角形の内角の和は二直角(180度)」と童謡でも歌うように口ずさんだ母に
お絵かきしていた娘が食いつく。平行線を2本引いて、内角の和の証明法を
図解してくれた、というのだ。「こんなにも面白いものが世の中にあるのか!」
5歳にして天地開闢のように打たれる娘。自分の娘に才能を見出した母親。

でもこの感じ、ちょっとわかる。レベル違うけど、数学って面白かった。
物理学を志したけど、数学はずっと一番好きだった、というのもわかる。
私は物理なんて最初からわかんなかったけど。。。

ダンナが言いたかったのは「世代を超えて果たされる夢(望み)もある」ということ。
言われてみれば、自分もそうだ。父も母も、勉強したかったのに家業や
家のために、最高学府には進学できなかった。その代り娘三人、四大に進ませてくれた。
自分の届けなかった部分に、子どもが届く、というのは私にもあったし。

お母さんの代わりに、当時(昭和30年代)珍しかったリケジョ、しかも物理学を
志し、「米沢を女とは思わなかった、一人の科学者だと思っていた」と言わせしめた
力量。結婚も研究もどっちもとれば、というプロポーズに応えた彼女。
すごすぎる。
せめて5か条のどれかは、守ってみよう。
まずは自分の可能性に限界を引かないことかな(笑)?



# by iwashido | 2019-04-03 23:49 | 読書日記 | Comments(0)

Living for Today を実践しちゃったNさん

3月です!
旅立ちの季節! いろんなことがめまぐるしくて沈没寸前・・・。

この一年は、とにかく苛立っていました。。主に自分のふがいなさについて。
かなり思い上がっていた部分もある。
所詮、どんなに頑張っても人は一人では生きてはいけない。
与えられた仕事を、システムの一部として、誠実にやればいいものを、
ついやりすぎてしまい、一人で疲れていた・・。
もう止めます。オンとオフをきっかり切り替えるようにします。

それで、「自分が人生で一番楽しかった時はいつか?」と考えてみると、
実はもしかしたら「今」なのではないか、、、と思った訳です。

文句ばっかり言っていますが(特に家では)、子どもも手を離れつつあり、
所詮つなぎ仕事とはいいつつも、好きなように一人でできる格好の職場を与えていただき、
新聞5紙が無料で読め、本に囲まれ、通勤にも時間がそんなにかからない。。。
夢のようではないですか? そう思うことにした。

ある友人が、一度自分を見直す?ためにか、珠洲を離れて行きました。
でもまあ、荷物は残っているし、まったく縁が切れたわけでもなく
自由にどこでも行ける年齢でそういう立場です。
彼女が残していってくれた本の中に『その日ぐらしの人類学』(小川さやか・著)
という新書がありました。彼女はかなりこの本に影響されているのかも、と
読んで思いました。でも持って行かなかったということは、
もう読みこんでしまって、理解したということなのでしょう。

アフリカ的感受性と、子どものような無邪気な好奇心で、
珠洲にいろいろ新しい試みを残していったNさん、旅立つには今は絶好の時期!
自分で自分を虐待的状況に追い込むのをやめて、
もう少し気楽に人生を楽しんでもいいのかも。やっとそう思えました。

ふきのとうも芽吹いて、てんぷらにして食べました。
白鳥もいつのまにか居なくなって・・・寂しいデスネ。
今日はゆっくり休んで部屋を片付け、次の準備をします。
今日はオフの日で~!!



# by iwashido | 2019-03-03 10:05 | 朔のつぶやき | Comments(0)

LIVING BOOKING & WRITING.

LOGOSさんの月1回古書店は、明日OPENです。。

明日は珠洲食祭「まるかじりイベント」の日で
市役所前大通り(春日通り)は車両通行止めで、そこにテントがずらりと。

商店街通りは寂しいものですが、いつも通りのマイペースで
本の整理と販売を行っております。
今回は早めに閉めますので、10時~3時の間でお願いします。

100円均一で投げ売りの箱も作ろうかな。
とにかく本を動かさないと。本を読む快楽(中毒)を広めないと。
人間、やばいよ。光と音にだけ反応する、獣に戻る前に考える力を
復興させないと。手短なほうへ、便利な方へ、簡単なほうへ流れすぎるのは
ヤバいと思うな。

店前に駐車は出来ません。
市役所・シーサイド・ラポルトすず等の公共駐車スペースにお願いします。

本に関するあらゆることに、今年は貪欲に打って出ますか!?

(古本LOGOSは古本屋です。現在は飲食の提供は行っておりません。
 本を買ってくださる方に、お茶くらいは出すかもしれません。。。本を買いましょう!)


# by iwashido | 2019-02-23 16:47 | Comments(0)

誰にも言わない。

2月です。
今年(2019年)は、節分(2月3日)・立春(2月4日)・旧暦新年=春節=新月(2月5日)というゴールデンラインでした。年末からの不調が徐々に解消されつつあります。はー、やっと新しい年来た~って感じ。一つ区切り越えて、この3連休ようやく正月休み気分(することは多々あり忙殺さててはいるのですが)。

あなたの一番やりたいことは何ですか。
そんな言葉をある人に向けて発したけれど、それはそのまま自分にも返ってきて、
「私の一番やりたいことはなんだったのか。何に時間を使っていれば楽しかったか」
それを思い出し、実行していかないと。残された時間はそう多くないかもしれない。

先日、橋本治が逝き(1月29日)、昨年は石牟礼道子も逝き(2018年2月10日?)、西部邁も世を去った(2018年1月21日)。なんだかとても大きな変化が迫っている気がする。
手始めには改元でしょう。予定調和的な改元。
私は、昭和が終わり平成が始まった時は東京にいたけれど、半旗が掲げられていた昭和64年1月7日土曜日の風景は良く覚えている。時代が変わる瞬間に2度も立ち会えるとは(生きていれば、だけど)。

年末の広河隆一の騒動、あーいうことは日本では「悪い」とすら思っていない男が多いのではないか?
能を語る時に欠かすことのできない世阿弥は、時の将軍・足利義満の寵愛を利用して、
河原乞食に過ぎなかった歌舞伎や猿楽を「芸術」の域に高めた、と
白洲正子の『お能・老木の花』(講談社文芸文庫)にあるけれども、
そういう感覚は(支配者層には)まだ根強く残っているのでは。

そういえば先日、金沢の能楽堂で、「能」というものを初めて見た。
ダンナが「巴」を見たいといので、2月の定例会の演目を見に御伴で行ったのだが
思いのほか、エキサイティングであった。
自我なんて薄っぺらいものをそぎ落とした抽象的なところがむしろ、よかった。

太鼓と、鼓と、笛だけでオーケストラのような音響効果の下地を作るわけですが、
その太鼓と鼓の響きに、民俗学的な、いわばアフリカ打楽器のような
ある種の情念を感じた。そうかこれが日本民族の魂の叫びなのかも。

平家物語を、朗読のCDで聴いたときに初めてその良さが理解できたように、
正月のラジオで「歌会始め」の御歌の朗詠を聞いたときに、
今まで文字だけで文学を理解しようとしていてできなかったことが
いとも簡単に腑に落ちた、取れなかった天上裏に隠された探し物が
ごとんと落ちてくるように。

大事なことは誰にも言わない。秘すれば花、と世阿弥が残したように。

橋本治は自分が死ぬなんて思っていなかったのではないかな。
PR誌「ちくま」の巻頭連載がもう読めないと思うととても残念。
こういうことを大見得切って言える人は、もう出てこないのかもしれないな。
出でよ、第2の橋本治!
ご冥福を心から祈ります。。。本当だよ。社交辞令じゃないよ。
(会ったこともないのにね。でも文章では何度か出会ってたのかな。)



# by iwashido | 2019-02-11 09:42 | 朔のつぶやき | Comments(0)

2019、A HAPPY  NEW YEAR!

あけましておめでとうございます。
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12月は何かと身体的不調が続き、思った以上に病院にお世話になった。
極めつけは年末の「初胃カメラ」体験。
病院や学校は監獄である、と看過したM.フーコーの言葉を思い出すようなひととき。

でもその監獄に、喜んで身を投じている私たちがいるのもまた事実な訳です。

年始は、新年早々、雪の上を歩いてこけて、左ひざをひねり、古傷悪化の今日。
正座できないという理由で欠席した忘年会以上に、もうしゃがむのも困難。
椅子用のコタツが欲しいくらいです。年を取ったんだね、私たち(ってか私)。

新年早々暗い話題で始まってしまいましたが、
今年はポジティブに物事を見るように心がけたい、いや本気です。
嫌なことがあるとすぐに逃げたり、シャットダウンしてしまうある意味LD的な社会性を
持つ傾向があるのですが、そこまで自分を晒さずに、
他人とはある距離感を持ってつき合うようにしようと思います。
いつまでも思春期の子どもじゃあるまいし。

苦手、と思っている人は、実は自分の代わりにその課題に取り組んでくれた人
なのかも知れなくて、私がそのことで手を煩わせなくても済むように、
誰かが采配してくれたと思えば、納得できるのかも。
私が立ち向かうべき課題は他にあるのだ。

25年間の冬眠から目覚めよう。
初心に帰り、ここから始める。そんな一年にしたいです。

このブログをもし読んでいてくれる人がいるなら、その方に感謝を。
少しだけ、肩の力を抜いて、日々もう少し笑顔をもって、過ごしていきましょう。


# by iwashido | 2019-01-02 16:28 | 季節のできごと | Comments(0)

半島のソクラテス、奥能登のホールデン。

友だちに貸してもらって読んでいた本が面白かった。
『ありがとうもごめんなさいもいらいない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』。
図書館職員泣かせの長いタイトルは、最近の流行なのかしらん。
フィールドワークを仕事とする人類学者ならではの題である。
(奥野克巳・著/亜紀書房/2018年発行)

亜紀書房という出版社のHP(ブログ)「あき地」での連載時タイトルは
「熱帯のニーチェ」だっただけあり、各章の冒頭にはニーチェの著作からの
引用文が掲載されている。これにならえば「奥能登のニーチェ」と言いたいところだが、
物議を醸しそうだし、こちらは浅学非才の身分なので、やめといた。

物心ついてから、「将来の夢は?」「大人になったら何になるの?」と聞かれて
まともに答えられたためしはない。一応大人と言われる年代ではあるが、
なりたいものになれたか、自己実現できたか、と問われれば疑問符しかない。

なりたいと思ったものは、かろうじて2つあった。
一つは「魂の産婆」、もう一つは「ライ麦畑の捕手」。
これを読めば私の精神構造がいかに愚かなものであるかを晒すようなものだが、
それぐらいしか思いつかない。どちらも「職業事典」とか「なり方ガイド」
があるものではない。年収も不明、そもそも職業なのかどううかも怪しい。

高校の倫理の時間に、ギリシア思想に端を発する西洋精神史の端緒を学んだ時、
ソクラテスのようになりたいと思った。これをマジで実践したら、今でいえば
「ウザい」「メーワク」「浮いている」奴だろう。
それから、ある種の人間には青春のバイブルになっている「Catcher in the Rye」
の野崎孝訳を読んで(その頃は、村上訳はまだなかったので)、
そうだ、私もこれになりたい! と激しく思った訳である。愚かである。

私はずっと、世の中は、正しいか正しくないかを基準に動いているのかと
思っていた。でも、実際はそんなことはちっともなくて、
特に日本はそういう原理では動きようのない国で、
もっと情やつながりで物事が決まっていくのだとようやく最近理解した。
夏目漱石が『三四郎』の小説の登場人物に言わしめたように、
日本はもしかしたら「滅びるね」なのかもしれない。
それですら、人類の思い上がりで、地球も自然も人間だけのものではないのだから、
もっと別な視座が必要なのかもしれない。
でもまああまり短絡的な物言いはするものではない、それだけはようやく学んだ。

今年最大の読書の収穫は、『孤独の発明 または言語の政治学』である。
三浦雅士・著/講談社。「群像」の連載を加筆修正して550Pの大作になった。
大変エキサイティングで、面白い本に久々に巡り合うことができた。
これを読むと、古典が読みたくなる、というかそこから理解しないと
日本という国のありようは理解できない。
戦後や明治維新という分断された視座ではなく、
もっと通層低音のように響いてくるコエ(うごめき?)に耳を澄まさなけれなならない。

平家物語と、梁塵秘抄が、ようやく今につながる回路を見出せそうな感じ。
そう思うと、奥能登はとても面白いフィールドなんだな。


# by iwashido | 2018-12-15 18:28 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

LOGOSさんの12月の古書店

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11月も今日で終わり。

来月の予定らしきものを掲載してみます。

緑の○印の日がOPEN予定(10時半~16時くらい)。

平日と斜め線の日はごめんなさい、CLOSEDです。

土日で無印な日は、予約(っていうか行きます・行きたい)
的なご連絡をいただければ、こっちで作業や仕事をして
予約優先OPENな感じ・・・?

まずは営業日を増やしてみる。
恥ずかしながら。
古本屋の端くれとして。

# by iwashido | 2018-11-30 12:04 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

会うはずの ない本に出会う 古本屋

「神経衰弱」が得意だった、というと、大概の人は「嫌な奴だね」という顔をする。
トランプのゲームだけど、まあギャンブル性は低くて、記憶力の勝負だから
強いヒトと苦手なヒトに分かれるよね。

なんとなく、モノの場所をぼんやりと覚えている。
明確にくっきりはっきりではない。なんかこの辺? とか
ちょっと昨日とこの本の場所違うんじゃない? とか、在ったはずの本がないとか。

先日、とある本の整理をしていて、さあもう終わりにしよう、、、と思った矢先、
一冊の本がふと目に入った。この本の題名、どこかで見た。。でもどこだったろう?
古本である、著者の名前もその時の私には初見に近かった。
でもこの人の名前どこかで見たし、この書名には見覚えが、、、と考えたら
あるHPで、「読書体験記」の優秀作品のヒトが、この本を通して得た体験を
書いたその元になっていた本であった。

本の名前は『絵のなかの散歩』(新潮社/洲之内徹・著/ハードカバー箱入)。
ある高校生が、仙台で洲之内コレクションを見た感想などを体験記に昇華していた。
私は仙台に行ったこともないし、不覚にも洲之内コレクションがどんなものか
その時は知らなかった。
白洲正子や青山二郎や小林秀雄は知っていたけど、洲之内徹は知らなかった。
私の本(文學)の知識なんてその程度。だってロゴなヒトなんだもん。

それはともかく、その本はのっけから、三男の死を知る話から始まる。
題は「あかまんま」なんて、花の名前が入ってるけどつまりは彼岸花だから
まあそういう話ですよね。
うーんなんというか、濃い文章である。ものすごく濃い塩水を飲んだような。
最近こういう文章に会わない。世に出る本は、とても薄い飲みやすい文ばかり。
1時間でわかるとか、1日1文で教養が身に着くとか、身につくわけないだろう!?
教養なんて、誰かが書いたもの鵜呑みにして身に着くわけないだろう!!
身銭を切って、疑って、恥をかいて、失敗して身につけるものだろう? 

絵の話はもちろんキレキレだし、小林秀雄がほめたくらいだから。
トップに出てくる青い魚が入ったかごを頭にのせる少女の絵もGOOD。

全部熟読してないけど、面白かったのは洲之内は戦後、故郷の松山で2年間、
古本屋をしていた、とあったこと。上手くいかなくて汁粉屋に変えて
それもまた上手くいかなくて、いろいろあって小説を書いて芥川賞の候補
に何回かなったけど、最終的に銀座の画廊の店主(管理人?)をしながらモノを書いた。
戦後だからね。岩波書店だって元をたどれば発端は古本屋らしいし。

そうか、いいんだ。上手くいかなくてもいいんだ。
この上手くいかなさはきっと何かにつながっている。
古本屋としては失敗でもいいんだ。商売になんかなるわけないんだ。

いや、私が言いたいのは、なんでここでこの本と出会えちゃうかな、ってこと。
偶然みたHPの、石川県の高校生が書いた体験記の文章を覚えていて、
その本の発端はある年の高文連の全国大会の会場が仙台で、その仙台の空が
青くて、洲之内コレクション展を仙台の美術館だかどこかでやっていて。。。ということで
その本の題名を私が覚えていたということ。出版社名や判型(単行本か文庫か)などは
わからなかった。「手に入らなければ盗んででも自分のものにしたいのがいい絵」だとか
普通言うかな? 手に入らなければ盗んででも自分のものにしたいのは、いい本なのかな?

そして箱の上の方にのっていたその古い初版の『絵のなかの散歩』という題名を
見た時、「どこかで見たな・・」と思えたこと。これはまるで神経衰弱。
ねじれの位置にある本と出会えるのが、リアル本屋の醍醐味。
ネットではこういうことはあまりない。
関連性のある方へと、自動的に導かれるあの感じが嫌い。
誰と友達になるかなんて、あんたに指示されたくないし、これを読めとか買えとか
言われたくない。そういうのは私が決めます。数なんて多くなくていい。

私は出会えるはずのない本と出会いたい。
それはきっと、どこかにある本屋と呼ばれる場所なんだ。






# by iwashido | 2018-11-14 23:42 | 読書日記 | Comments(0)

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