2011年 11月 06日
「かめれおん日記」その2。
「・・・私が何事かについて予想をする場合には、
いつも最悪の場合を考える。
それには、実際の結果が予想より良かった時に
ホッとして卑小な嬉しさを感じようという、
極めて小心な策略もあるにはあるようだ。
・・・(中略)・・・
何事についてもこれと同様で、ついには、
失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するようになった。
落胆しないために初めから欲望をもたず、
成功しないであろうとの予見から、てんで努力をしようとせず、
辱しめを受けたり気まずい思いをしたくないために
人中へ出まいとし、
自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、
自分から他人にものを依頼することが
全然できなくなってしまった。
外へ向かって展かれた器官をすべて閉じ、
まるで掘上げられた冬の球根のようになろうとした。・・・」
(「かめれおん日記」 中島敦、『百年文庫 灰』の巻より抜粋)
いつも最悪の場合を考える。
それには、実際の結果が予想より良かった時に
ホッとして卑小な嬉しさを感じようという、
極めて小心な策略もあるにはあるようだ。
・・・(中略)・・・
何事についてもこれと同様で、ついには、
失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するようになった。
落胆しないために初めから欲望をもたず、
成功しないであろうとの予見から、てんで努力をしようとせず、
辱しめを受けたり気まずい思いをしたくないために
人中へ出まいとし、
自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、
自分から他人にものを依頼することが
全然できなくなってしまった。
外へ向かって展かれた器官をすべて閉じ、
まるで掘上げられた冬の球根のようになろうとした。・・・」
(「かめれおん日記」 中島敦、『百年文庫 灰』の巻より抜粋)
by iwashido
| 2011-11-06 15:20
| 読書日記
|
Comments(0)