2016年 02月 20日
草に座れば
八木重吉の詩集にたしか、
「わたしの まちがいだった
わたしの まちがいだった
草にすわれば それがわかる」みたいな詩があったはず(ちがっていたらごめんなさい)。
私は今日、己の大いなる過ちに気が付いた。
それは高校生が主体的に(地域交流的な授業の一環で)取り組んだ
公共図書館での活動として行った、「読み聞かせ」の場面。
男子二人が、読み聞かせ担当になったと、私のところにきたので、
最低限のルール(本の持ち方、題や作者も読むこと、終わったら表紙もみせる、等)を教えて
絵本の読みあいをして、思っていたよりセンス良いことを実感して当日を迎えた。
遅れて行った会場になっているミニ児童室の畳の上には
2歳前後の幼児数人と、お母さんと、高校生がいた。
テーブルの上には私が選書しておすすめ、とした絵本が表紙を見せて並べてあった。
「どう?」と聞くと「もう何回も読んでもらってる子がいる。気に入ったみたい」とのこと。
その時はちょうど『おおきなかぶ』を読んでいたが、なんだかいい感じである。
それは別に「おはなし会」と名うった、それだけの行事じゃなくて、「高校生と遊ぼう」みたいな、
手作りボーリングや、輪投げや、工作(紙飛行機づくり)や、読み聞かせをそれぞれ体験して
シールを集めて、4つのシールで景品がもらえるという、地域ふれあい事業みたいなものだった。
担当だった二人の男子以外にも、子どもらに(ごく自然に、弟に読むように)絵本をよんであげている子も
いて、彼らはきちんと、2歳か3歳の幼児の名前をよび(名札を作ってポイントカードにしていた)、
○○ちゃんはこの本読みたいってさ、とか、×○ちゃん2階に行く? とか、コミュニケーションをしていた。
すべてがものすごく自然だった。無理に並ばせて座らせて「読み聞かせ」タイムですよ、というような
押しつけがましさもなく、何の本と何の本を何分以内に読まなければ、という強制力もなく、
本来、本というのはこういうふうにして体験していくのかも、と思わせる自然さが満ち満ちていた。
本と言えば「何冊」とか「書誌データ」とか、今日は何冊かりられて、何冊帰ってきたみたいな数字ではなく
本と人が自然にリンクしていた。
私はこうやって自分の大いなる過ちに気が付いたのだった。
私のまちがいだった・・・・。
自分のやってきた、無理をした「読み聞かせ」も、いつまでたっても人の名前をを憶えない貸出態度では
利用者が満足するはずないのだった。
本当に愚かな自分である。
「わたしの まちがいだった
わたしの まちがいだった
草にすわれば それがわかる」みたいな詩があったはず(ちがっていたらごめんなさい)。
私は今日、己の大いなる過ちに気が付いた。
それは高校生が主体的に(地域交流的な授業の一環で)取り組んだ
公共図書館での活動として行った、「読み聞かせ」の場面。
男子二人が、読み聞かせ担当になったと、私のところにきたので、
最低限のルール(本の持ち方、題や作者も読むこと、終わったら表紙もみせる、等)を教えて
絵本の読みあいをして、思っていたよりセンス良いことを実感して当日を迎えた。
遅れて行った会場になっているミニ児童室の畳の上には
2歳前後の幼児数人と、お母さんと、高校生がいた。
テーブルの上には私が選書しておすすめ、とした絵本が表紙を見せて並べてあった。
「どう?」と聞くと「もう何回も読んでもらってる子がいる。気に入ったみたい」とのこと。
その時はちょうど『おおきなかぶ』を読んでいたが、なんだかいい感じである。
それは別に「おはなし会」と名うった、それだけの行事じゃなくて、「高校生と遊ぼう」みたいな、
手作りボーリングや、輪投げや、工作(紙飛行機づくり)や、読み聞かせをそれぞれ体験して
シールを集めて、4つのシールで景品がもらえるという、地域ふれあい事業みたいなものだった。
担当だった二人の男子以外にも、子どもらに(ごく自然に、弟に読むように)絵本をよんであげている子も
いて、彼らはきちんと、2歳か3歳の幼児の名前をよび(名札を作ってポイントカードにしていた)、
○○ちゃんはこの本読みたいってさ、とか、×○ちゃん2階に行く? とか、コミュニケーションをしていた。
すべてがものすごく自然だった。無理に並ばせて座らせて「読み聞かせ」タイムですよ、というような
押しつけがましさもなく、何の本と何の本を何分以内に読まなければ、という強制力もなく、
本来、本というのはこういうふうにして体験していくのかも、と思わせる自然さが満ち満ちていた。
本と言えば「何冊」とか「書誌データ」とか、今日は何冊かりられて、何冊帰ってきたみたいな数字ではなく
本と人が自然にリンクしていた。
私はこうやって自分の大いなる過ちに気が付いたのだった。
私のまちがいだった・・・・。
自分のやってきた、無理をした「読み聞かせ」も、いつまでたっても人の名前をを憶えない貸出態度では
利用者が満足するはずないのだった。
本当に愚かな自分である。
by iwashido
| 2016-02-20 22:06
| いわし洞文庫
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