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古本LOGOSの 月1,2回古書店。

草に座れば

八木重吉の詩集にたしか、
「わたしの まちがいだった
 わたしの まちがいだった
 草にすわれば それがわかる」みたいな詩があったはず(ちがっていたらごめんなさい)。

私は今日、己の大いなる過ちに気が付いた。

それは高校生が主体的に(地域交流的な授業の一環で)取り組んだ
公共図書館での活動として行った、「読み聞かせ」の場面。
男子二人が、読み聞かせ担当になったと、私のところにきたので、
最低限のルール(本の持ち方、題や作者も読むこと、終わったら表紙もみせる、等)を教えて
絵本の読みあいをして、思っていたよりセンス良いことを実感して当日を迎えた。

遅れて行った会場になっているミニ児童室の畳の上には
2歳前後の幼児数人と、お母さんと、高校生がいた。
テーブルの上には私が選書しておすすめ、とした絵本が表紙を見せて並べてあった。
「どう?」と聞くと「もう何回も読んでもらってる子がいる。気に入ったみたい」とのこと。
その時はちょうど『おおきなかぶ』を読んでいたが、なんだかいい感じである。

それは別に「おはなし会」と名うった、それだけの行事じゃなくて、「高校生と遊ぼう」みたいな、
手作りボーリングや、輪投げや、工作(紙飛行機づくり)や、読み聞かせをそれぞれ体験して
シールを集めて、4つのシールで景品がもらえるという、地域ふれあい事業みたいなものだった。

担当だった二人の男子以外にも、子どもらに(ごく自然に、弟に読むように)絵本をよんであげている子も
いて、彼らはきちんと、2歳か3歳の幼児の名前をよび(名札を作ってポイントカードにしていた)、
○○ちゃんはこの本読みたいってさ、とか、×○ちゃん2階に行く? とか、コミュニケーションをしていた。

すべてがものすごく自然だった。無理に並ばせて座らせて「読み聞かせ」タイムですよ、というような
押しつけがましさもなく、何の本と何の本を何分以内に読まなければ、という強制力もなく、
本来、本というのはこういうふうにして体験していくのかも、と思わせる自然さが満ち満ちていた。

本と言えば「何冊」とか「書誌データ」とか、今日は何冊かりられて、何冊帰ってきたみたいな数字ではなく
本と人が自然にリンクしていた。

私はこうやって自分の大いなる過ちに気が付いたのだった。

私のまちがいだった・・・・。

自分のやってきた、無理をした「読み聞かせ」も、いつまでたっても人の名前をを憶えない貸出態度では
利用者が満足するはずないのだった。
本当に愚かな自分である。
by iwashido | 2016-02-20 22:06 | いわし洞文庫 | Comments(0)

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