2019年 12月 01日
彼岸の図書館、此岸の古本屋。
ご無沙汰してしまった。。
表面的には停滞、もしくは態度硬化な9~11月でしたが、内部では激しく(?)せめぎ合っていました。
要するに、自分で自分をしばるような、もしくは狭い箱に入っているような。
村上春樹的に言えば「井戸を掘って」いたのかもしれません。
そういえば、昨年の12月に、思い切って東京上野へ「ムンク展」を見に行ってから
意外といろんなとこに出かけていたのでした、さすがに日帰りは無理なんで、
実家や娘のところに立ち寄らせてもらいつつ、新幹線やサンダーバードの便利さに助けられて。
8月には再び東京・有楽町で生・伊藤比呂美の文学教室(講演会ね)にも行ってきたし、
10月にはなんと大阪へも行ったんです。子どもたちが「シューカツで東京行った・大阪行った」
というのを聞くたびに、うらやましくなり、自分だって! と思うところがガキっぽいけど。
大阪へは「JLA(日本図書館協会)中堅職員ステップアップ研修」の聴講生として、
別に何の資格にもならない、ただの聴講だったわけですが、たまたまFBから飛んできた
「聴講生を追加で募集しています」という記事につられてしまった。でも当たりでした。
12回の連続講座(3か月くらいの、土日や平日にわたって開催される)の、最後の会、
「人文系私設図書館Lucha Libroについて」というタイトルで、奈良県東吉野村に移住し
古民家の自宅を開放して、週末(月10日間くらい)自分たちの蔵書で「人文系図書館」をされている
青木ご夫妻のお話でした。その少し前に、東京で取次兼出版社をしているH&Bさんのメルマガで
『彼岸の図書館』という本の出版案内が来ていて、タイトルでもう惹かれるものがありました。
ただ、その本は、関東のほうの一人出版社さんの出版物で、10冊以上の注文じゃないと対応してもらえない、
と付記されていたので、10冊を注文する自信がなく、著者に直接会える機会があるなら
ダメ元で頼んでみようかしらん。。そんな下心ありありでの参加でした。
関西の大学で、研究生(大学院生)だった青木真兵さんと、大学図書館の司書だった奥さんの海青子さんが、
「命からがら移住した先の東吉野村で、人文系図書館ルチャ・リブロ」を立ち上げるまでの実験と
経緯を、対談形式の『オムライスラジオ」での実況を本にしたのが『彼岸の図書館』(夕書房・刊)です。
私は、どちらかというと用心深いというか、周囲をあまり信頼できていないので、
「失敗したらどうしよう。。」とか「変な人と思われたら。。。」とか思って、見通しが立たないと
公言できない・アピールできない弱みがあります。たとえ人に「すごいよ」とか「いいよ」と言われても
「本当かなあ?」「お世辞で言ってるんだよね・・。」と深読みしてしまうわけです。
このお二人は、夫婦という最強のタッグを存分にいかし、若さと、内田樹先生の系列に連なるものという
立ち位置を最大限に利用して、自分たちの移住・住み開きを公開するという方法を取りました。
これは素直に見習いたいかもしれない。
自分の蔵書を貸出しするのは、私の周囲では「家庭文庫」という形で、児童書や子育てや読み聞かせにかかわる
人たちへ貸出しをする、石井桃子の系譜の人たちがいます。でも文庫もかつての勢いはありません。
みな細々と、月1、2回の「集い」や「読書会」などで続けるか、地域の図書館や公民館や学校に
場所を移して続けているようにも思えます。
私は、かつて文庫ということをしていた時期もありましたが、地域に自分を開ききれず、
実際的な文庫活動で子どもが来てくれたのは2、3年でした。それも常連数人くらいの。
でもまあ、その時のことはよい思い出ですし、素直に楽しかったです。
ちょっと前は、古本屋を名乗りましたが、これも名乗りきれず、でも止められず今に至っています。
ルチャ・リブロさんの話を伺い、本を読んで、そうか、迷いは迷いのまま外に出す、という方法
があることを知りました。正解はないのだ、歩みがそのまま道となるように、定められた道はないのだ
とやっと気づくに至りました。
彼らが「彼岸の図書館」というのであれば、私は「此岸の古本屋」を実践していけばいいのかも。
古本屋、というのはやっぱり商売なんです。古い本を趣味で集めるだけではなく、
「商い」として、求める人に提供(売る・買う)しなければならない。
商いはそんなに卑しむべきことなのでしょうか? 1円でも安く、送料は無料で、できるだけ早く
届けてほしい、という仁義なき戦いが、商店街の衰退に加速度をつけました。
私だって魚や肉をそういえば最近、個人店で買うことは稀です、でも特別な日のスペシャルなお刺身は
商店街の魚屋さんのほうが、美味しいです、けた外れに。
お肉だって、もし特別な部位の特別なお肉(すき焼きとか、ステーキとか)はお肉屋さんが知ってると思う。
私は人ごみが苦手なので、あんまり大きなスーパーは行かないです、たとえ安くても。
せかされるような自動レジも苦手だし。。ゆっくりであることが楽しい、というのもあってもいいのでは。
中途半端だし、私も商店街の衰退に加勢している側かもしれない。でも。
商売をあきらめたくない、という気持ちもあります(一応商売の家で育ったので。。)。
結論はありませんが、もしこの記事を読んで『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち」という本に
興味を持たれましたら、古本LOGOSでも扱っていますので、メールやメッセージでご連絡ください、
税込2200円、送料は半額負担してくださると助かります、、もしくは店頭での受け渡し?など。
(っていつなら店やってるんですか~と突っ込まれるとイタイのだけど・・)
冬のほうが元気なので、12月~2月は、月1回は開けます、日程は後日このブログなどで。
そうだ私はやっぱり古本屋をやっていきたいのだ。無理のない形で。
表面的には停滞、もしくは態度硬化な9~11月でしたが、内部では激しく(?)せめぎ合っていました。
要するに、自分で自分をしばるような、もしくは狭い箱に入っているような。
村上春樹的に言えば「井戸を掘って」いたのかもしれません。
そういえば、昨年の12月に、思い切って東京上野へ「ムンク展」を見に行ってから
意外といろんなとこに出かけていたのでした、さすがに日帰りは無理なんで、
実家や娘のところに立ち寄らせてもらいつつ、新幹線やサンダーバードの便利さに助けられて。
8月には再び東京・有楽町で生・伊藤比呂美の文学教室(講演会ね)にも行ってきたし、
10月にはなんと大阪へも行ったんです。子どもたちが「シューカツで東京行った・大阪行った」
というのを聞くたびに、うらやましくなり、自分だって! と思うところがガキっぽいけど。
大阪へは「JLA(日本図書館協会)中堅職員ステップアップ研修」の聴講生として、
別に何の資格にもならない、ただの聴講だったわけですが、たまたまFBから飛んできた
「聴講生を追加で募集しています」という記事につられてしまった。でも当たりでした。
12回の連続講座(3か月くらいの、土日や平日にわたって開催される)の、最後の会、
「人文系私設図書館Lucha Libroについて」というタイトルで、奈良県東吉野村に移住し
古民家の自宅を開放して、週末(月10日間くらい)自分たちの蔵書で「人文系図書館」をされている
青木ご夫妻のお話でした。その少し前に、東京で取次兼出版社をしているH&Bさんのメルマガで
『彼岸の図書館』という本の出版案内が来ていて、タイトルでもう惹かれるものがありました。
ただ、その本は、関東のほうの一人出版社さんの出版物で、10冊以上の注文じゃないと対応してもらえない、
と付記されていたので、10冊を注文する自信がなく、著者に直接会える機会があるなら
ダメ元で頼んでみようかしらん。。そんな下心ありありでの参加でした。
関西の大学で、研究生(大学院生)だった青木真兵さんと、大学図書館の司書だった奥さんの海青子さんが、
「命からがら移住した先の東吉野村で、人文系図書館ルチャ・リブロ」を立ち上げるまでの実験と
経緯を、対談形式の『オムライスラジオ」での実況を本にしたのが『彼岸の図書館』(夕書房・刊)です。
私は、どちらかというと用心深いというか、周囲をあまり信頼できていないので、
「失敗したらどうしよう。。」とか「変な人と思われたら。。。」とか思って、見通しが立たないと
公言できない・アピールできない弱みがあります。たとえ人に「すごいよ」とか「いいよ」と言われても
「本当かなあ?」「お世辞で言ってるんだよね・・。」と深読みしてしまうわけです。
このお二人は、夫婦という最強のタッグを存分にいかし、若さと、内田樹先生の系列に連なるものという
立ち位置を最大限に利用して、自分たちの移住・住み開きを公開するという方法を取りました。
これは素直に見習いたいかもしれない。
自分の蔵書を貸出しするのは、私の周囲では「家庭文庫」という形で、児童書や子育てや読み聞かせにかかわる
人たちへ貸出しをする、石井桃子の系譜の人たちがいます。でも文庫もかつての勢いはありません。
みな細々と、月1、2回の「集い」や「読書会」などで続けるか、地域の図書館や公民館や学校に
場所を移して続けているようにも思えます。
私は、かつて文庫ということをしていた時期もありましたが、地域に自分を開ききれず、
実際的な文庫活動で子どもが来てくれたのは2、3年でした。それも常連数人くらいの。
でもまあ、その時のことはよい思い出ですし、素直に楽しかったです。
ちょっと前は、古本屋を名乗りましたが、これも名乗りきれず、でも止められず今に至っています。
ルチャ・リブロさんの話を伺い、本を読んで、そうか、迷いは迷いのまま外に出す、という方法
があることを知りました。正解はないのだ、歩みがそのまま道となるように、定められた道はないのだ
とやっと気づくに至りました。
彼らが「彼岸の図書館」というのであれば、私は「此岸の古本屋」を実践していけばいいのかも。
古本屋、というのはやっぱり商売なんです。古い本を趣味で集めるだけではなく、
「商い」として、求める人に提供(売る・買う)しなければならない。
商いはそんなに卑しむべきことなのでしょうか? 1円でも安く、送料は無料で、できるだけ早く
届けてほしい、という仁義なき戦いが、商店街の衰退に加速度をつけました。
私だって魚や肉をそういえば最近、個人店で買うことは稀です、でも特別な日のスペシャルなお刺身は
商店街の魚屋さんのほうが、美味しいです、けた外れに。
お肉だって、もし特別な部位の特別なお肉(すき焼きとか、ステーキとか)はお肉屋さんが知ってると思う。
私は人ごみが苦手なので、あんまり大きなスーパーは行かないです、たとえ安くても。
せかされるような自動レジも苦手だし。。ゆっくりであることが楽しい、というのもあってもいいのでは。
中途半端だし、私も商店街の衰退に加勢している側かもしれない。でも。
商売をあきらめたくない、という気持ちもあります(一応商売の家で育ったので。。)。
結論はありませんが、もしこの記事を読んで『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち」という本に
興味を持たれましたら、古本LOGOSでも扱っていますので、メールやメッセージでご連絡ください、
税込2200円、送料は半額負担してくださると助かります、、もしくは店頭での受け渡し?など。
(っていつなら店やってるんですか~と突っ込まれるとイタイのだけど・・)
冬のほうが元気なので、12月~2月は、月1回は開けます、日程は後日このブログなどで。
そうだ私はやっぱり古本屋をやっていきたいのだ。無理のない形で。
by iwashido
| 2019-12-01 12:04
| ロゴス&LOGOS
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