2020年 04月 20日
コロナ禍を ものともとせず ツバメ来る
今年も納屋にツバメがやってきて早一カ月。。(今年は来るのが早かったと感じた)。
近くに停めてある私の車は汚してくれるし、納屋の二階にあがられてしまえば
洗濯物にフンがつくこともあるし、ちょっと困ることもあるけど、毎年の風物詩。
こういうのって、いいよね。人間が何かでおたおたしていても、繰り返される自然の摂理。
満開の桜並木の横を何度かドライブ出来て、これもまた来年までお預け。
ところで。3月末から4月初日を境に、私は所属が変わって、もう社会的には
無職(もしくは失業者)、家族の扶養に戻り、ぐだぐだとした日々を過ごしている。
2月3月は早かったけど、4月は鈍い、のろのろと過ぎていく。
結局、人は、相手あっての自分。
たとえば、先生は生徒がいてこその「先生」。
司書は、本を借りてくれる、図書館を利用してくれる人あってこその「司書」。
今私は「古本屋」としての己を確立するべく、あがいているし、今までも足掻いていた。
昨日は、腰が痛く、また精神的にも(土日は特に)鬱傾向が助長されるので
「起きられない」「布団から出られない」とうだうだしていたわけです。
こういう時こそ、読めなかった長編文学や硬い評論を読めばいいのだが、
体調が悪いと脳にも影響が出るようで、難しい文を読み解く気力がない。
で、手が伸びるのは、マンガ。吉田秋生の『夜叉YASHA』(小学館フラワーコミックス)は
今の日本の、この状況を先取りしているかのような、ウイルス災害が描かれている。
こちらは人為的に遺伝子操作された、未知のウイルスが都内の大学でバイオハザードが発生し
次次に感染者が広がり、河原で死者を焼く、とか、都内は暴動により荒む、とか
もう他人事ではない近未来が描かれているとしか思えない。。
これを20年近く前に想像で描いた吉田秋生先生ってすごいですね。
「夜叉」の主軸は、遺伝子研究の過程で2つに分割されたある人間の受精卵が、
別々の子宮で育まれ、数奇な運命の下に成長した(外見は)うり二つの兄と弟の愛憎の物語
であるが、これはけっこうハード。最後に救いがあるっちゃあるけど、そこまでに多くの人は死ぬし
殺されるし、バイオや医学の世界ってシビア-な世界だなぁ、と思わされる。
それに比べると『バナナフィッシュ』や『イブの眠り』(夜叉の続編、とされる)は救いがある。
そこには、ある種の「愛」が描かれているからではないだろうか。ぜひ読んでみてほしい(夜叉も含めて)。
それで昨日、そんな感じでお布団にごろごろしながらマンガを読んでいたら、ケータイに着信が。
知らない番号でも出ますよ、仕事用として公開しているし。そしたら、催事で本を委託しているお店から
「値段の書いていない文庫本をレジに持ってこられたお客さんがいて、いくらでしょうか?」との問い合わせ。
あんな、特に選書もできていない、毎回使いまわししているような文庫でも、買ってくれる人がいるのか!
と思うと、目頭が熱く成るような感動。同じ電話がそのあともう一度来ました(ありがたいです・・)。
あ、そうだ、私もう古本屋なんだ! と自覚した瞬間でありました。
たった一人でもいいのだ、たった1冊でもいいのだ、本を必要とする人がいて、それに対価を払おう
としてくれる人がいて、商売が成立するという奇跡のような現実。
私はやっぱりこっちの世界のほうが、好きだ。
コロナ騒ぎで実店舗の積極的な営業や、飲食の提供は延期となったままですが
今はそれを傘に、自宅の整理整頓からまず始めましょう。家にため込んである買取本の整理と、
2階の子供部屋兼仕事部屋を、他の人が来れる程度にまで整理すること。
「LOGOSさんを 司書と呼びとむ生徒いて 〇〇県立△△高校」
これは、俵万智の「万智ちゃんを 先生と呼ぶ生徒いて ××県立橋本高校(だったかな?)」のパクリです。
さようなら、昨日までの私。再スタートの春です。
by iwashido
| 2020-04-20 08:37
| 季節のできごと
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