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古本LOGOS 「彼岸の古本屋」ときどき日記。

高校生に古典学習は必要か?

1月某日  何の検索をしていたのかわからないが、あるブログが引っかかる。
      SNSよりブログを更新するほうがいい、と思ったのは
      やはり開かれてあるからか。会員でないと、登録してないと読めない
      匿名性は時に無責任になり、エコーチェンバーを引き起こす。。
       
私は高校までは理系で、文学の「ぶ」の字も理解していなかったし、国語で点を取ることが出来なかったので理数系に逃げた。数学も意味は分からないけど、やり方を真似れば点数を取りやすいことに嵌ってしまい、「理系で入って文系専攻を選べる学部」を探して某大学に進学した。専攻は文学ではなくて哲学・言語学系。でも意味なんてちっとも分かっていなかったと思う。その頃も古典を読むということの意味は分かっていなかった。
時間は流れ、ある本に出合う。本というより文章。毎月届くPR誌に連載されていたそれは、数年後に新書になった。『古典を読んでみましょう』(橋本治・著/ちくまプリマー新書)。PR誌で読んでいたから新書を買う必要もなかったのだけれど、買ってしまいたくなる質なので購入。読むと面白いのである。句読点もなくいきなりずらずらとひらがなの文章が提示され、さあこの文の意味がわかるか? と問われる。わかるわけない、わからない。その後作者による丁寧な解説があって、ああそういう意味なのか、とわかる。そして「わからなくていいんだ、古典というのは分からなくてもいいし、昔、本というのは貴重なもにだったの」と言われる。
今は、本というのは、あんまり「貴重」とは思われていないのかも、と思う。みんなすぐ捨てるし、買わないし、ネットで読むし。紙はカーボンニュートラルに反するしね。
今ここにその新書がないので、内容や見出しを説明することはできないのだが、私はその本を読んだとき、「高校時代に古典の時間があってよかったなぁ」と思った。個人的にね。
その頃はこうまでIT化が進むなんて誰も考えていない時代で、古典や漢文も暗唱や音読や文法が重視された。わからないけど、ともかく覚えろと言われて「祇園精舎の鐘の声・・」や「徒然なるままに日暮し・・」と冒頭部の書き出しを覚えさせられた。それがその新書を読んだときに結びついたのである。ああ、そういう意味だったのね。。。
もちろん私は古典文学の研究者でもないし、大学や高等教育機関の関係者でもない。でもさぁ、古典は読んだら面白いし自分につながっていることがよくわかった。
過去を知らないと人間は正しい判断ができない。戦後生まれの私たちでさえ「明治維新」と「8月15日の玉音放送」のおかげ(?)で日本はミンシュシュギの国になってみんな平等になってアメリカのおかげ(?)で豊かになった、って思ってたりしない? しない人は賢い、深く広く見ている、でも私なんて浅はかだから、ほんのちょっと前まで歴史は嫌いだったし古典も文学も読むのなんて好きじゃなかった。。。最近だな、ほんと最近、わたしたちはもっと昔のことを学んで、それこそ文化人類学じゃないけど、「時代人類学」というか、進歩史観じゃなくてそれぞれの時代を相対的に、その時代を生きた人の気分になって、いいとか悪いとか、ヘーゲルの正反合じゃなくて、ありのままに理解してみないと、このままいい気になって「経済第一主義」みたいになって「金持ちになれば成功」とか、「カーボンニュートラル」なんてことばに踊らされて、どこかの都合の良い国の属州になって、その国の利益に貢献刷るためにいろんなものを買わされて、気がついたら何もできなくて、大地震があれば津波が来たり、新幹線が水没するような土地に住んじゃったりさせられるんじゃない? 
 時間のある方は、ぜひ上記リンク(古典をトモダチにするには?)の膨大な過去ログとかユーチューブ動画をぜひ見ていただき、なぜ「古典」が必要とか不必要とかいう議論が出てくるのかを見定めてほしい。答えはない、あるかもしれないけど自分で考えてほしい。ちなみに私は必要派。学校内でとか授業内でとかいう視座を外して、人間として必要。自分たちのルーツがどこにあるのかを勝手に翻訳して都合の良い解釈に流れ込ませないため、滅亡させられないための武器になりうる。古典はもしかして、社会(歴史・思想史)とリンクして教えたほうがいいのかも、というアイデアが下りてきた。文法はもちろん必要なんだけど、その作品が生まれた社会背景や、当時の思想(宗教)状況も理解してほしい。今の授業では、「宗教的なこと」を押し終えるとアウト? ポリティカルコレクト【ポリコレ】に抵触すると問題? これもよくわからんなー。。いろんな価値観が(過去に)あった、これからも価値観は変化するし、誰かがルターのような、ニーチェのような、ニュートンのような、コペルニクスのような思想的転換を提示するかもしれないときにつまらないことで潰さないでほしい。
 誰かの感想ブログの中で「数学はその学問体系(というか教える内容)の中に、虚数(ありえない数)や負の数(-)という概念を取り込んで発達した(ギリシア時代には零【ゼロ】はない数だからなかった)」とあった、それなのに文学を含む国語は、学問的概念じゃないからしょうがないのかもだけど、「悪意」や「負の思想」や「ありえない考え」を低く見る、教えない、後回しにする、自分で考えろと突き放す。方法論としてあまりに確立されていない。現在だけにフォーカスしていては現在の問題は永遠に解決できないだろう、日本の今の立ち位置を相対化するためにも、古典学習は必須、だけど教え方が難しいんだろうね。。。せめて種をまこう。思想の種まで「種苗法」に準してしまうことはあってはならない。(まだ続きたいけどいったん終了します。支離滅裂なことを書いてすみません。順次校正していきます)

by iwashido | 2022-01-07 23:22 | 読書日記 | Comments(0)

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