2024年 01月 11日
始まりの終わりか、終わりの始まりか。
1月某日 あれが来た。
あいまいな予感はあった、数日おきに震度1程度の揺れがあった。
年末に孫を連れて長男一家が来た、奥さんの実家にも行くため、
31日に帰宅した、そして友だちが泊まりに来た、新年になった、
午後から貰った年賀状に返事を書き、初詣と寺詣り、
ちょっと買い物をして自宅に戻り、とっておきの珈琲と
ヤマザキのケーキを食べていた時、初動の揺れがあった。
地震も三度目なので、咄嗟にテーブルの下に隠れる、家族の
安否確認をする、逃げる準備をしようとした時、再びの強い揺れ。
これまでに体験したことのない、強くて長い時間だった、
冷蔵庫は倒れて来るし、壁は剥がれて来るし、食器は割れるし
生きた心地がしなかった、わたしはひたすら娘の名前を呼んでいた。
収まったと思ったら、大津波警報のサイレン、もう取るものもとりあえず
リュックを背負って逃げる、長靴を履く、杖は何処にあるかわからない
のでひたすら山の方に向かって歩いて逃げる、クルマはもう出せない、
納屋がたおれたから、お向かいの方が車でさっと避難したが、津波は
てんでんこ、である。自分の身は自分で守るしかない。
津波警報が出たら行こうと決めていた、水道施設のある小高い丘の上、
階段と手すりはあるが、かなり急な勾配である、まだ陽のある時間
(4時10分の震度6強から、10分前後)だったのでもう泣きながら
登る、家族はまだ田んぼ道、とにかくわたしはここにいるから
と手を振って知らせる、夫は上がってきた、でも、義母と娘は
そんな高くて暗いとこヤダ、登れんし、というので近くの浄化施設
にも車や人が集まっていて、知り合いの車に乗せて貰ったと言う。
夫と、夫の知り合いの近所の方が、海の方を見ると、川に沿って
2回くらい波が上がったのを見たと言う、携帯ラジオを持っていた
のでラジオを入れると、輪島で津波1.4メートル、火災発生との
ニュース、余震は次々起こる、何が起こっているのか、これは
新しい地球の花火か祝砲か、まるで「裏庭」(梨木香歩)の
鏡の世界の中のラストシーンのよう、Tell Me, I Tell you,
照美は自分の名前を答えた、テルミ、と、それはTell meだった、
誰かが呪文を唱えたのか、禁断の扉を開けたのか、これが夢で
あれば全く良いのであるが。
現実に戻れば日が暮れてきた、足元が見えなくなる前に下に降りる。
一人が足元を照らし、杉葉や落ち葉で滑りやすいのに気をつけて
協力しあって6人で降りる、知人の方は車避難だったので言葉に
甘えて一時的に乗せて頂く。もう一人は軽自動車で自主避難。
施設前には車が集まっていた、娘と義母の所在を確認しつつ、
自宅周辺を見て回る、至る所に道路の亀裂や段差、下水管が浮き上がり
道路が陥没している。もう日も暮れて、海沿いの道はまともには
進めそうにない、自宅見て来るわ、といって運転手が降りたとたんに
また余震。そうこうするうちに、近くの小学校体育館が避難所になって
いると聞き、娘と義母はそこにいると連絡が来たので、家族は
一緒にいる方がいい、ということで学校前で降ろして頂く。
一時的でも誰かと一緒に暖かい車内で過ごせたので、少しは
気が落ち着く。地域のつながりに感謝。
体育館の中は石油ストーブが各所に置かれていて暖かく、
先程おにぎりの配布もあったとかないとか、でも興奮して
みんな喋っているし、疲れがどっと出て何かを食べる気分には
ならない、明るくならないうちは外にも出たくない、
畳3枚分のスペースに四人で工夫して横になる。
そうこうするうちにまた余震、でももう慣れてしまった。
とにかく今日は眠るのだ、一時間でも二時間でも、
今がなければ明日はない、未来はない、あるのは
ただ「いま」だけである。存在が剥き出しの姿を現した、
by iwashido
| 2024-01-11 11:00
| 朔のつぶやき
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