2025年 01月 13日
この月が 人生最期になろうとも わが生き方に 悔いはないのか
1月某日 十四夜らしい。
台所から何気に撮る(iPad)。今日、キジが鳴くのを聞いた。2回も。

久しぶりに聞いた、この前は運転する車の前を走って行った。もしかしたら家の庭に巣を作っているかもしれない。
キジが鳴いたからと言って、すぐ地震が来る訳ではなかろうが、去年の元旦の地震の前にはよく鳴いていた。また鳴いてるよ、近くにいるんだね、そんな気楽な感じで。
だから、怖い。自分の中では雉🟰地震🟰台所、の等式が成り立ってしまった。
刷り込まれた、洗脳だ、恐怖はこうして見えない敵を作る。
雉に罪は無い、むしろ人間が愚かなのだ。
今日が最期になろうとも、、、それがなまじ言葉だけではないことを身を持って体験したから、本当にあの日思いもよらぬ終焉を迎えた生の証がたくさんある。だから、生きているだけで奇跡だ。それなのにまいにち毎日、何かくだらないことに腹を立て、暴言を撒き散らし、ヒトに喰ってかかるような発言をしたり(メールのやり取りなどで)。こういうところに人間性が出てしまうのだ。心狭いのだ、世間知らずの理想主義者なのだ。
病気の治療で不安になっている友人から「年賀状しまいします」という賀状が届き、その時点では病気のことなど知らなかった私は迂闊にも、それ揶揄するような返事を書き、病気治療中、、、ということ知らされたのであるが、、、
何事に波風立てず、年上をたて、刃向かわず、従順に流れを読むことがよしとされるこの社会で、争い、はむかい、事荒げ、平気で正論を振り回してきた。その挙げ句がいまだ。
なんかもーどーでもよい、という境地である。この月を見ていると。
🎵 十四番目のー 月がー 一番好き〜🎶(by ユーミン)
by iwashido
| 2025-01-13 18:12
| 朔のつぶやき
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