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LOGOSさんの月に1,2回古書店

第0回 「読書カフェ451」

先日、読書カフェを行いました。
「読書会」というとちょっとかしこまりすぎてしまう。
そこまでがっつり本を読んでなくても、おしゃべり感覚で、
本と、本と自分の関係や、本にまつわる思い出など、本文そのものの分析や
解釈に至らなくても、本をきっかけとしたおしゃべりができればいいな、、
と思って、以前からのLOGOS常連メンバーであるMさんとお試し実施。

まあ、これは結局いつもLOGOSでやっていることそのままだ。
ここに来る人は(今までのところ)、本を買いに来るわけではない。
ちょっと時間をつぶしに、おしゃべりをしに、息抜きに、時間潰しに来る。
それでいまは、非営利営業というか、珈琲やお茶を出しても、
「ご近所にお茶を出す」感覚で、まあいっぱいどうぞどうぞ、となって
金銭の対価は求めていないことがほとんど。これも4月からは改めたいけど。

イベントやカフェがなくても、フツーに本が読みたくて、静かな場所で
読書したくて、興味ある本があれば買っていける場所にしたいわけですが、
まあ選書センスは冴えてないし、値段もついているのとついていないのがあるし、
売ってるんだか貸してるんだかわからないし、最悪の状況でした。
でも徐々に、リカバリーを始めています。

「読書カフェ451」は、本が燃えだす温度である華氏451度にかけて、
本が燃えるくらい熱い議論をしたい、そういう願いも込めています。
いまのところそんな突っ込んだ議論にはならず、周辺をぐるぐるの
おしゃべりの延長にしかなっていませんが、回を重ねる毎に成長したい。
私も、まだ何もわからないのにやっている、やりだそうとしている。

私には「本」という媒介(メディア)が必要。
これは古いといわれようとも、スマートフォンやネットで代替できない。
頭がそうなっているし、最新の情報が欲しいわけじゃないし。
人気順のニュースじゃなくて、本質をえぐるような眼差しが欲しい。

ちなみに第0回で読んだ本(読むことにした本)は『あん』(ドリアン助川)
でした。樹木希林さんが映画に出たことで数年前ブレイクしましたね。
自分の中にある弱さ、人間のずるさや崇高さ、全部ひっくるめて人間だ。
それぞれ同じものを読んでも、読む重心が違うんだな、って気づかされた
時間でした。

# by iwashido | 2020-02-11 09:47 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

何かが足りない、それで僕は楽しくない。

今年は3回おみくじをひいたが(3つの別の神社で、ということ)どれも大吉だった。
その割に、気分は低調である。素直になれなくて・・・。

友達に先日「あなたはプライドが高すぎ!」と言われた。
そうなの? こういうのをプライドが高いというの? 私はただ、周囲が怖いだけなのに。

私が当然、と思っていることは今では通用しない、てか非常識でさえある。
もう本を読まなくても、大学へは進学できる。
本当の意味で勉強しなくても、テストで点数さえ取れれば合格だ。
情報ならスマホで検索すればすぐゲットできるし。
読書、というのは今すぐ役にたつとかそういうことではない。
はっきり言って、役には立たない(かも)。遠回りで、即効性はうすい。
でも、読書しなくて何が学問なの? と思う私は頭が固いのかな。

このままでは、自分で自分の首を絞めてしまう。
少しも楽しくない。これではいけない。周りも不幸だ。

楽しいのはどんな時か、というと、一人で心ゆくまで読書に浸っている時。
夜明けの瞬間。海越しに立山連峰が見える時。夜空に満月(や月)を見る時。
宇宙の音が聞こえる時。種が発芽するとき。

うーん抽象的だなぁ。。。

私は言葉を信じられない、でもその「信じられないもの」によってしか
救われないことをどこかで気づいてる。


# by iwashido | 2020-02-11 00:01 | 朔のつぶやき | Comments(0)

2019を振り返る。

一年前の記憶がない。。。
手帳を見ながら、昨年何をしたか、どこで失速したかを振り返る。

まずは1月、いつものように年始の会長・会長ご子息の店内拝謁があって、今年度の方針が決まる(はずだった)。
1月後半から催事出品に合わせて出品本への値段付け、箱入れ作業。
4月くらいまでは第3日曜日定例OPENを実行していた模様。

ただし、2月に急に名古屋(小牧)に呼び出されたり、4月に福井出張があったり、
なんやら予定外の時期に予定外の移動があり、そういうのが堪える齢になってしまった。

5月は、ここ数年定番となっているブックディ富山への出店。しかし準備不足は否めなかった。
富山くらいまでなら日帰りができるように、常日頃から体調管理をしておかないと。

6月、金沢香林坊のうつのみや書店での催事にちょこっと出品させてもらったが
これもまた選書セレクト・値段付けに迷って、ちょっと外してしまう。全然ストライクゾーンにない。

結局、毎日の生活に余裕がない⇒週末にイベントや補充が入る(ドライブ)⇒休めない、,めいっぱい。。。
となり、9月に、とどのつまりで失速したわけだった。

11月に、神様からのオクリモノのような、ある本の寄贈に巡り合い、
まったく生かしきれていないが、この本たちをベースに再起動したい、と思うようになる。
金沢書友会の目録にも参加させてもらい、目録という地味なコンテンツが
まだ必要な人もいるのだ、ということを再認識。インターネット・ヤフオク・メルカリも良いが、
紙ベースの安心感・じわじわと吸い上げる感じ(右肩上がりはないかもだけど)。
そりゃあ対面で本を売りたいですよ、リアル書店主義者ですよ、だけど
まあネットでしか届けられない場所にいるわけだし、原理原則よりも「程度」の問題で解決を。

12月12日の満月を境に、少し復活モードに。月一LOGOS再開のような形になる。
1月10日(金)には、満月の一つ前の月(14番目の月)に言祝がれる(感じを受ける)。
ユーミンをして言わせしめた「14番目の月が一番好き〰」。
次の夜から欠ける満月よりもね。一個前がいいよね。

というわけで今年は、日々の生活を大切に、そしてやるときは目いっぱい、動けるように
体調管理・睡眠管理をちゃんとやりましょう! ということなのでした(お終い)。

# by iwashido | 2020-01-13 15:56 | 朔のつぶやき | Comments(0)

新年だけど。

HAPPY NEW YEARですか。
年末から体調崩して3日も仕事やすんでそのまま年末年始に突入。
新年が迎えられるかと危惧したが、それでも地球は回った。

紅白(歌合戦ね)がどっちが勝ったか、世界の動きはどうかも確認せず
遠くで鳴る除夜の鐘をききながら眠ってしまった。そしたら朝が来ていた。
大晦日(12月31日)と新年(1月1日)の間には、超えるべき一本の線がある。
それが日本のお正月だ。何の根拠もないがそう思った。

ブログだって長文書くより短くても毎日書くのが大事らしいが、
今の調子では1か月1投稿で、これではどうにもならない。
去年は迷っている間にどんどん世界が先に進んで、おいてけぼりな自分って感じで
自己嫌悪にマイナス思考が渦巻き、よいことがあっても素直に喜べず
自爆していたが
新年だけど。_c0107612_01121191.jpg
、今年は前を向いて進んでいきたい(希望ね)。

旧知の知人が奥能登から脱出を図り、近くにいなくなる。
なんだかとても心細いが、やっていけるのかなぁ。
もともと友達も少なし社交的でもないので、まああまり変わらないのかな。
今年はいろいろな占いでみてもかなり幸運な一年らしいので、信じて進むかな。
おみくじも大吉だったし、新年の福引きでも2等(商品券ね)当たったしな~(笑)

今日は一日ダウンしていたが明日から日常に戻る準備体操をしませう。

# by iwashido | 2020-01-04 01:15 | 朔のつぶやき | Comments(0)

彼岸の図書館、此岸の古本屋。

ご無沙汰してしまった。。
表面的には停滞、もしくは態度硬化な9~11月でしたが、内部では激しく(?)せめぎ合っていました。
要するに、自分で自分をしばるような、もしくは狭い箱に入っているような。
村上春樹的に言えば「井戸を掘って」いたのかもしれません。

そういえば、昨年の12月に、思い切って東京上野へ「ムンク展」を見に行ってから
意外といろんなとこに出かけていたのでした、さすがに日帰りは無理なんで、
実家や娘のところに立ち寄らせてもらいつつ、新幹線やサンダーバードの便利さに助けられて。
8月には再び東京・有楽町で生・伊藤比呂美の文学教室(講演会ね)にも行ってきたし、
10月にはなんと大阪へも行ったんです。子どもたちが「シューカツで東京行った・大阪行った」
というのを聞くたびに、うらやましくなり、自分だって! と思うところがガキっぽいけど。

大阪へは「JLA(日本図書館協会)中堅職員ステップアップ研修」の聴講生として、
別に何の資格にもならない、ただの聴講だったわけですが、たまたまFBから飛んできた
「聴講生を追加で募集しています」という記事につられてしまった。でも当たりでした。
12回の連続講座(3か月くらいの、土日や平日にわたって開催される)の、最後の会、
「人文系私設図書館Lucha Libroについて」というタイトルで、奈良県東吉野村に移住し
古民家の自宅を開放して、週末(月10日間くらい)自分たちの蔵書で「人文系図書館」をされている
青木ご夫妻のお話でした。その少し前に、東京で取次兼出版社をしているH&Bさんのメルマガで
『彼岸の図書館』という本の出版案内が来ていて、タイトルでもう惹かれるものがありました。
ただ、その本は、関東のほうの一人出版社さんの出版物で、10冊以上の注文じゃないと対応してもらえない、
と付記されていたので、10冊を注文する自信がなく、著者に直接会える機会があるなら
ダメ元で頼んでみようかしらん。。そんな下心ありありでの参加でした。

関西の大学で、研究生(大学院生)だった青木真兵さんと、大学図書館の司書だった奥さんの海青子さんが、
「命からがら移住した先の東吉野村で、人文系図書館ルチャ・リブロ」を立ち上げるまでの実験と
経緯を、対談形式の『オムライスラジオ」での実況を本にしたのが『彼岸の図書館』(夕書房・刊)です。

私は、どちらかというと用心深いというか、周囲をあまり信頼できていないので、
「失敗したらどうしよう。。」とか「変な人と思われたら。。。」とか思って、見通しが立たないと
公言できない・アピールできない弱みがあります。たとえ人に「すごいよ」とか「いいよ」と言われても
「本当かなあ?」「お世辞で言ってるんだよね・・。」と深読みしてしまうわけです。
このお二人は、夫婦という最強のタッグを存分にいかし、若さと、内田樹先生の系列に連なるものという
立ち位置を最大限に利用して、自分たちの移住・住み開きを公開するという方法を取りました。
これは素直に見習いたいかもしれない。
自分の蔵書を貸出しするのは、私の周囲では「家庭文庫」という形で、児童書や子育てや読み聞かせにかかわる
人たちへ貸出しをする、石井桃子の系譜の人たちがいます。でも文庫もかつての勢いはありません。
みな細々と、月1、2回の「集い」や「読書会」などで続けるか、地域の図書館や公民館や学校に
場所を移して続けているようにも思えます。

私は、かつて文庫ということをしていた時期もありましたが、地域に自分を開ききれず、
実際的な文庫活動で子どもが来てくれたのは2、3年でした。それも常連数人くらいの。
でもまあ、その時のことはよい思い出ですし、素直に楽しかったです。
ちょっと前は、古本屋を名乗りましたが、これも名乗りきれず、でも止められず今に至っています。
ルチャ・リブロさんの話を伺い、本を読んで、そうか、迷いは迷いのまま外に出す、という方法
があることを知りました。正解はないのだ、歩みがそのまま道となるように、定められた道はないのだ
とやっと気づくに至りました。

彼らが「彼岸の図書館」というのであれば、私は「此岸の古本屋」を実践していけばいいのかも。
古本屋、というのはやっぱり商売なんです。古い本を趣味で集めるだけではなく、
「商い」として、求める人に提供(売る・買う)しなければならない。
商いはそんなに卑しむべきことなのでしょうか? 1円でも安く、送料は無料で、できるだけ早く
届けてほしい、という仁義なき戦いが、商店街の衰退に加速度をつけました。
私だって魚や肉をそういえば最近、個人店で買うことは稀です、でも特別な日のスペシャルなお刺身は
商店街の魚屋さんのほうが、美味しいです、けた外れに。
お肉だって、もし特別な部位の特別なお肉(すき焼きとか、ステーキとか)はお肉屋さんが知ってると思う。
私は人ごみが苦手なので、あんまり大きなスーパーは行かないです、たとえ安くても。
せかされるような自動レジも苦手だし。。ゆっくりであることが楽しい、というのもあってもいいのでは。
中途半端だし、私も商店街の衰退に加勢している側かもしれない。でも。
商売をあきらめたくない、という気持ちもあります(一応商売の家で育ったので。。)。

結論はありませんが、もしこの記事を読んで『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち」という本に
興味を持たれましたら、古本LOGOSでも扱っていますので、メールやメッセージでご連絡ください、
税込2200円、送料は半額負担してくださると助かります、、もしくは店頭での受け渡し?など。
(っていつなら店やってるんですか~と突っ込まれるとイタイのだけど・・)
冬のほうが元気なので、12月~2月は、月1回は開けます、日程は後日このブログなどで。

そうだ私はやっぱり古本屋をやっていきたいのだ。無理のない形で。



# by iwashido | 2019-12-01 12:04 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

LOGOSの「地下2階の本棚」・・徒然読書雑記

村上春樹「タイランド」(『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)収録)

★村上春樹を好きな人もいれば、あまり好きでない人もいると思う。
どれだけたくさん本が売れようと、どれだけ有名な賞を取ろうとそんなことは小説家の本質と何も関係がない。宮沢賢治だって樋口一葉だってニーチェだって、生前そんなに本が売れたわけではなくて、死後に残された作品を世に送り出した肉親や編集者がいたということだ。村上春樹は十分に有名だけど、有名であることと好き嫌いはまた違う。

『神の子どもたちはみな踊る』は確か以前持っていたはずなのに、棚に見当たらなくて、きっと衝動的に一箱古本市か何かで売ってしまったんだろう。だからブックオフに寄った時に購入した。A....という通販を利用することもできるが、最近、その倉庫の過酷な労働実態を書いた本を読んだので(その前からだけど)あまり使わないようにしている。便利で何が悪い? な世の中だけど、これが私にできるささやかな抵抗である。

『神の子どもたちはみな踊る』の中に、目立たない小作品として収められている「タイランド」は、更年期のホットフラッシュに悩まされる女主人公(甲状腺の専門医)が、東南アジアで開かれた学会の後に、休暇を取ってタイで過ごす話だ。冒頭のアジアなまりの強い飛行機アナウンスの描写がうまい。主人公のホットフラッシュの息苦しさは日ごろ体験しているので、すんなりと物語世界に入っていける。

村上春樹は、心に何らかの石やトラブルを抱えた女性を描くのが上手だ。上手というか、構造的によくわかっているなあ、と感心する。それはたとえば『1Q84』に出てくる女性警察官あゆみ、だったり、「眠り」(『TVピープル』(文春文庫)収録)に出てくる不眠に悩む女主人公だったりさまざまである。『ノルウエィの森』の直子の変奏曲といってもいいのかもしれない。

「タイランド」で、女主人公は、休暇の間ずっと世話をしてもらったタイ人運転手のニミットに、自分の抱えているある秘密(悩みの源泉)を打ち明けようとする、しかし彼はそれを遮る、「夢をお待ちなさい」と言って。それは、その前日にニミットの好意により連れて行かれた老占い師の占いの言葉でもあった。日常では収まりきれない歪みやひずみを、「占い」と「夢」という形で、東南アジアリゾートという非日常性の中でうまく昇華している。

「生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター」(P142)とニミットは言う。生きることだけに多くの力をさいてしまうと、うまく死ねなくなるのだ、とも。

『神の子どもたち・・』に収められた作品は、どれも少しずつ阪神大震災のことが微妙に絡んでいるので、理不尽さや行き場のない怒りや悩みで困っているときにはとても効くような物語群である。「かえるくん、東京を救う」や「蜂蜜パイ」はおすすめです。生きることはある意味とても理不尽だ、でも死ぬまでは生きるしかないのだ。

# by iwashido | 2019-09-29 12:33 | Comments(0)

激しく停滞。

9月になった。相変わらず暑かった。
台風が来て、図書館の屋根が飛ばされて、祭りが終わった。

でも自分は激しく停滞している。
何もやる気が起こらず、視力も衰え(眼鏡が合わず?)、体もあちこち痛い。
だめだな~。。。

そんなわけでこの文章もやっとこさ書いています。
仕事も、仕事以外も、もう少しお時間ください。

この楽しくない気持ちはどうしたら移動するのでしょうか?

「地下2階の本棚」にある本でも読んでみるか、
それとももう本など読むのも執着するのもやめるか?

# by iwashido | 2019-09-26 18:47 | Comments(0)

あれは「開けゴマ」、だったのか

ずーっと昔から興味もっていて、でもぜんぜん進んでいなかった課題が
今頃になって「ほらほら、どないするねん?」って感じで迫ってくる。
「お前、この機会逃したらもう一生チャンスないぜ? 最初で最後やで?
ぐだぐだゆーとらんで、さっさと態度決めや」まるで脅されているかのような
脳内バトル。

たとえばです、今最近読んでいるのは『敗戦後論』、先日お亡くなりになった
加糖典洋氏が書いたちくま学芸文庫などを読んだりしているわけですが、
「戦後の起源」「ねじれと隠蔽」など、戦後が一筋縄ではいかない複雑な
力学によって生じた精神の活断層のようなもので、その落差に気が付こうと
気が付き枚と、私たちはかなりやばい橋を渡ってしまっているわけで、
「平和憲法があるから大丈夫」とだけ言ってしまえる無邪気さには戻れなく
なってしまった。日本はその前に「明治維新」というOSの大幅入れ替えを
やってしまっているから、話はさらにややこしく、これは西洋のヘーゲル的な
「正・反・合」では説明できない。むしろオーエルの「1984年」的解釈で、
私たちは近代化という名の元で書き換えられた歴史を生きているのかも。

いいんだ、いまさら話をややこしくするつもりはない。ただ、この『敗戦後論』
という本の中に「太宰VS D.J.サリンジャー」という節があって、
サリンジャーは最近映画にもなったし、ライ麦畑は相変わらず売れているし、
村上新訳で新しい読者もつかんだりでほんと永遠のバイブルになりそうな
訳なんですけど、私は、今から40年近く前の高校生の時、なぜか
読んで、ひかれて、原書(ペンギンペーパーバック)も買って読もうとした。
ホールデンの「ライ麦畑の捕まえ役になりたいんだ(野崎訳)」という
このフレーズに激しく同調し、いまだにその呪縛から逃れられない。
永遠のこども、というわけですか。社会的逸脱者? 反逆児? なんとでもいえる。

この辺のことを、きちんと具現化しないとなぁ。
いまいる職場で「捕まえ役」をやり続けるのはもう限界だね。
もう無理、もう未来が見えない。迷走している。
3年後に命が終わるかも知れないと思って、もう嫌なことはしない。
やりたいことを中心に、失敗して人に「ざまみろ!」と罵倒されても
それでもいいよ。だって私の人生なんだから。
岩波書店の「図書」で連載中だった「ミンネのかけら」が良かった。
富原真弓さん、トーベ・ヤンソンと、シモーヌ・ヴェイユをつなげてくださって
ありがとう。私の中で大事なものが、リンクされつつあります。


# by iwashido | 2019-08-11 15:02 | 朔のつぶやき | Comments(0)

零(0)の発見。

今にも沈没しそうだった舟ですが、
なんとかのたりのたりと日々乗り越えています。
そこここでぶつかりそうになったり、ぶつかったり、穴があいたりふさいだり、
そういうことを繰り返しています。

6月の夏至前後に、どちらかといえばあまりよくないことが、
私の周囲(ちょっと遠い周囲)で立て続けに起こり、
一歩間違えれば誰だってどうなってもわからない現実を、見せつけられました。
身内はまあ元気です。

今はそこから一歩一歩、かたつむりの歩みで復活中。。な感じ。

たとえ話です。
ギリシア・ローマの時代には、「0(零)」という概念はなく、
数えられるものだけが数で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳなどという表記で示されていました。時代が流れて、インド人が0(ないものを表す表記・数字)を視覚化したことで、
現代につながる数学・数論の流れが活性化しました。
私たちには当たり前に理解できる、ゼロを中心に据えた数直線という概念は、
ゼロ発見以前にはイメージもできなかったのです。

今までの自分の心理的状況は、この対極で
「マイナスないしは虚数」が私の精神の根幹でした。
私の精神に、実数(プラスの数)はなかった(あくまで、たとえ話ね)。
ようやく最近、私にとっての「0の発見」的なことがあって、
実数・有理数・具体的なことのほうにも数直線がのびつつあります。

家族に話したら「インド人すごいね~0の発見ね~」といなされましたが、
私がいいたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ。。。







# by iwashido | 2019-07-17 08:32 | 朔のつぶやき | Comments(0)

今日は第3日曜日につき。

沈没しそうな舟が一艘、なんとか持ちこたえて今日も日永のたりのたりしている。
必要なのは、静寂な場所と、無遠慮な他者のまなざしからの少しばかりの逃避。

先日ある集まりで「カミソリみたいな感受性を持った生徒が、数年に一度くらい、いますよね」
みたいな発言をしたのだが、もしかしたらそれって、ある時点での自分自身だったのかも・・・。
ま、自分のカミソリなんて、あまり切れ味鋭くないなまくらな100円ショップ並だけどさ。

あまりそういうのを全開にすると、日常生活なんてやってられない。
音が気になり、視線が気になり、発言やつぶやきの一語一句にさざ波立っていたら身がもたない。
それである時、私はそれらを封印した、もしくは硬い種のようなものに閉じ込めた。
生き延びる道はどちらかだ。自分は周りとは違う、確固たる存在なのだと自他ともに認めさせ、
結果を出してどうどうと王道を行くか(こうかくと誤解されそうな表現だなぁ。。)、
本音を隠して、周囲に合わせてそれなりの生き方で満足するか・・。
もっと人は一人一人違っていいのではないだろうか。当たり前そうで当たり前でないこと。

でも「特別」ってなんだろう。考えれば誰もの生が唯一一回性であり、特別である。
ナルシシズムの極地のような特別は(本人は気づかなくても)あまり気持ち良いものではないし、
客観性を保ちつつも、屹立して立ち続けるのはある種の精神的強さと処世術が必要なのかも。
つまりはマイペース? ってこと?
今日は第3日曜日につき。_c0107612_11253932.jpg
存在そのものへ。事象そのものへ、まなざしを鍛えませんか。
というわけで、今日はLOGOSの入りにくそうな店にいます。
Nちゃんがいないのが、寂しく感じられます。
(そう思うなら、いなくなる前にもっとちゃんと話をしておけばよかったね)
 
「ブックティとやま」楽しかったです。写真をあげておきます。(BOOKDAYとやま FBより )




# by iwashido | 2019-05-19 11:31 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

一つずつ片づける。一歩ずつ進む。

何を言っても言い訳にしかならないので、せめてこのブログで発散。
別に誰もよまなくてもいいし。
でも、書くことで、言葉にすることで確実に世界は少しだけ動く、ような気がする。
ほんの少し、猫の額ほどかもしれないけれど。

私は一つやりだすと、すぐそれに関連する別のことに気をとられ、
いつまでも最初に思っていたことをやり遂げられない性質である。
たとえば、部屋の掃除をしようとする、するとそこに積んであった本を片付けているうちに
その本の1冊の読書に没頭したりとか、本の箱詰めをしようとして洋服の冬物整理のことを
ふと思い出し、クリーニングに出すとか洗濯を始めてしまったり。
まあそんなことは誰にでもあることだろう。

基本的に、人間が怖いので、できるだけ近づきたくない、
でも一人でずっといられるわけでもない。
基本的信頼感の欠如、それは自分に対しても他人に対しても。

12月頃から、ずっと喉に不調を感じ、飲み込みにくいような、ひっかかるような、
今までだったらごっくんと呑み込めたものがスムーズにいかない。
耳鼻科にいって、ファイバースコープをしても、消化器内科で胃カメラをしても
特にこれといってわかる潰瘍や異物があるわけでもない。
要するに更年期のヒステリー球とか、不安神経症とか言われるやつなんだろう。

昨年末に、実家に帰省した時、どうしても喉のつまり感が消えず、妹にたのんで
市内の救急外来にまでいった。夜9時頃なのに、結構な患者さんが来ていた。
私を見てくれた医師はまだ若い感じのお医者さんだったが、
「喉というのは、とても繊細な器官なんです。そうでなければ、モノを食べたり、
声を出したりという行為はとてもできません。だから、以前の嫌な記憶(感覚)
を覚えていて、ちょっとしたキズやひっかかりが必要以上に痛みを感じさせる
場合があります」というようなことを言ってくれた(かなり想像でおぎなってます)。

昔から、玉薬を飲むのは苦手でねえ、よく「飲んだ」と言ってはゴミ箱に捨ててたな。
何か言いたいことをずっと押し黙って来たのではないか。
自分から進んで、小さい四角い箱に自分を押し込めて、手も足も縮めて、
村上春樹的なメタファーでいえば、函男というか、冷蔵庫の中に閉じこもって
生きて生きたのではないか・・・そんなことを思った。
それは誰が悪いとかいう問題ではなくて、ね。
こうであるべき、こうしなければ、そんなふうに自分を強いてきたのかな、、、。

今年はちょっとずつ、自己主張をする、我慢しすぎない、我儘に生きる。
そんなことを思う、ゴールデンウイークの二日目であった。
明日は用事があって、お出かけします~。運転気をつけよう。


# by iwashido | 2019-04-28 10:54 | 朔のつぶやき | Comments(0)

哲学は人生論、人生は哲学?

諸事情により、本日の計画(予定)はすべてキャンセル、
そして丸一日の休養をいただいております。LOGOS定例OPENも、金沢一箱古本市もごめんなさい。

先日、福井の勝木書店(本店)へ行った。一時期、駅前再開発のため閉店になるとかならないとか、
移転したとかしないとか噂レベルの話が飛び交ったような気もしたが、先週の日曜にはやっていた。
2階にある、みすず・岩波の単行本がずらりとそろったコーナーがお気にいりですが、
今回は1階のレジ前新刊スペースの前から動けなくなった。
下は売れ筋・話題の本の文芸書平積みの上の棚に、「読みたい」と思うような本が
目白押しに並んでいる。主には日本の文芸書、でも文学だけでなくエッセイも評論も、
時には海外文学も入り混じって絶妙な棚配置の前から、動くに動けない。

左から右へ、上から下へ順に目を動かすうち、サリンジャーの幻の短編新訳(このサンドイッチ、マヨネーズが。。)とか、ナナクロ社の本とか、まあこの本の密度は何? というような磁場になっていた。
あとで良く見たら、どうもこの並びは「書名の50音順」に並んでいることに気付いた。
だから「猫が」とか「猫に関する・・」などという猫本が続いて並んでいたわけだ。

ダンナ曰く、「ここで働く人たちは、自分がいかにいい本屋で働いているか、気づいているのかな?」
というけれど、それは当人に聞いてみないとわからない。もと書店員だった彼には、このような
昭和的な本屋で、かつ人文書にもこれだけ棚をさけるというのは、理想に近いものらしい。

階段の横に、いろいろな作家の方からの寄せ書き・色紙で「応援します」的なコメントが
多く展示されていたので、幸いなことに今すぐ移転閉店ということにはならなかったようです。
(裏話も詳細はしらないので、もしまったく違う展開が待っているのだったら、ごめんなさい。)

結局自分は、今村夏子の新刊と、國分功一郎の『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)
を購入。今村夏子は、旦那が読みたいと言ってた本なので、買ってあげた感じ。
國分氏の本は、この前図書館で借りて読んで結局購入した『中動態の世界』(医学書院)が面白く
またエキサイティングで、現時点での今年度ナンバー1図書であるところの影響による。

これは、あるメールマガジンで連載されていた「人生相談」を本にまとめたものだそうだ。
人生相談、よく新聞紙上で掲載されていますよね。いろんな人が、それぞれの立場から、
時にはあたりさわりなく、時には核心をつくような、時には受け止めるだけでOK,いろんな回答がある。
この國分先生の「人生相談」の素晴らしい点は、相談に「哲学」という視座を導入した点だ。
寄せられている質問が特別高尚だとか哲学的だとか、そういうわけではない。
「子持ちの彼女への愛は本物か」「先行きが見えず不安」とか「会社の先輩に行きたくない飲み会に誘われる」等、ごく普通の、日常生活上だれもが一度以上は思い当たる質問ばかりだ。

このような質問に、テツガク教師である筆者は、大全力で、現代思想からギリシアにまでさかのぼる
膨大な哲学・思想のエッセンスをもって立ち向かう。例えば「子持ちの彼女への愛は本物か」という質問にはドゥルーズキーワードをもって、「彼女のためにソープ通いをやめるべきか」という質問には、マリノフスキーの『未開社会における性と抑圧』をもって、「行きたくない飲み会に誘われる」という質問には『読む哲学事典』(田島正樹)を参照するように、と答えるのである。もちろん、本が紹介されるまでには、質問者の想いを組むような考察があり、書かれた文章から書かれていな部分を補う想像力があり、質問者の本当の悩みは何なのかを探り当てようとする、國分氏の哲学的な眼差しが本書を支えているのはいうまでもない。

今の時代に「哲学」とかいうと、もう時代遅れの、過去の遺物の、理想ばかりをふりかざす無用の長物と思われる場合が多いのかもしれないが、この本を読むと、改めて哲学とは人生であり、人生とは哲学であることに気づかされ、非常に力をもらえた。

何よりも秀逸だと思った言葉は、「どうしたら前向きに語学を勉強することができるか」という質問に対して、
國分氏があげた引用である。。。もし、私が、朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一氏選、で一面に掲載中の)に、推薦する権利をもらえたとしたら、これを推薦したい。
日本を代表するドイツ語学者の関口存男氏が書かれた、ドイツ語の教科書『関口・初等ドイツ語講座』(三修社)に、國分氏が帯文を寄せたくらい、尊敬する先生だそうだ。これくらいの気持ちがあれば、人生なんでもやって行けると思ったし、やはり人生は哲学なのだ(別に概念や語句を丸暗記することではないですよ)と強く激しく同意する次第なのであった。

(関口存男の言葉)
「世間が面白くない時は勉強に限る。失業の救済はどうするが知らないが個人の救済は勉強だ」










# by iwashido | 2019-04-21 14:36 | 読書日記 | Comments(0)

人生は、楽しんだものが勝ち、なのかな?

新しい元号が「ら行」の言葉なので、ちょっと新鮮に思っています。。。
何だったかの短い文章に、「自分は「ら行」の言葉が好き」と書いたので。
らりるれろ、って、ちょっと響きが日本語離れしてると思いませんか?
「あ」行や「な」行に比べると、って話ですけど。

自分、頭硬いな~って最近思う出来事にひんぱんに遭遇。
とてつもなく既成概念にしばられている。
こうあるべき、最低限これくらいはクリアーしてないと意味ない、認めない。
そんなこと思っている間に、若い人たちはどんどんオリジナルな発想で
既成の権威やあるべき姿をあっさり乗り越え自由に行き来しているのに。

ああ、時代が変わるんだね。
いい意味でも悪い意味でも。
どんなに努力しても、変えられないものもあるけど、見方を変えることで
すっかり変わる場合もある。

ダンナが「ラジオ深夜便」で面白い話を聞いた、と教えてくれて
ある女性物理学者で、湯川博士に師事したくて京大に行って、
結婚して三人のお子さんを育てながら研究もして
日本物理学会の会長を務めたこともあって、
猿橋賞も受賞したこともあって、
次の5つのことを大事にした人。
「一、自分の可能性に限界を引かない
 二、行動に移す
 三、めげない
 四、優先順位をつける
 五、集中力を養う・・・。」

調べたら、米沢富美子氏で、既に故人なのですが、
ラジオ深夜便のアンコール放送だったそうです。
それで本を借りてみた。『人生は、楽しんだ者が勝ちだ~私の履歴書』
(日本経済新聞出版社/米沢富美子・著/2014年刊)

すごい人生。凄すぎる。とても優秀なお母さんだったのに、時代の波に押され、
「女に学問は不要」と高校卒業後証券会社に勤務(昭和10年・1935年頃)。
昭和19年(1944年)、著者が5歳の時、ある出来事がおこる。
「三角形の内角の和は二直角(180度)」と童謡でも歌うように口ずさんだ母に
お絵かきしていた娘が食いつく。平行線を2本引いて、内角の和の証明法を
図解してくれた、というのだ。「こんなにも面白いものが世の中にあるのか!」
5歳にして天地開闢のように打たれる娘。自分の娘に才能を見出した母親。

でもこの感じ、ちょっとわかる。レベル違うけど、数学って面白かった。
物理学を志したけど、数学はずっと一番好きだった、というのもわかる。
私は物理なんて最初からわかんなかったけど。。。

ダンナが言いたかったのは「世代を超えて果たされる夢(望み)もある」ということ。
言われてみれば、自分もそうだ。父も母も、勉強したかったのに家業や
家のために、最高学府には進学できなかった。その代り娘三人、四大に進ませてくれた。
自分の届けなかった部分に、子どもが届く、というのは私にもあったし。

お母さんの代わりに、当時(昭和30年代)珍しかったリケジョ、しかも物理学を
志し、「米沢を女とは思わなかった、一人の科学者だと思っていた」と言わせしめた
力量。結婚も研究もどっちもとれば、というプロポーズに応えた彼女。
すごすぎる。
せめて5か条のどれかは、守ってみよう。
まずは自分の可能性に限界を引かないことかな(笑)?



# by iwashido | 2019-04-03 23:49 | 読書日記 | Comments(0)

Living for Today を実践しちゃったNさん

3月です!
旅立ちの季節! いろんなことがめまぐるしくて沈没寸前・・・。

この一年は、とにかく苛立っていました。。主に自分のふがいなさについて。
かなり思い上がっていた部分もある。
所詮、どんなに頑張っても人は一人では生きてはいけない。
与えられた仕事を、システムの一部として、誠実にやればいいものを、
ついやりすぎてしまい、一人で疲れていた・・。
もう止めます。オンとオフをきっかり切り替えるようにします。

それで、「自分が人生で一番楽しかった時はいつか?」と考えてみると、
実はもしかしたら「今」なのではないか、、、と思った訳です。

文句ばっかり言っていますが(特に家では)、子どもも手を離れつつあり、
所詮つなぎ仕事とはいいつつも、好きなように一人でできる格好の職場を与えていただき、
新聞5紙が無料で読め、本に囲まれ、通勤にも時間がそんなにかからない。。。
夢のようではないですか? そう思うことにした。

ある友人が、一度自分を見直す?ためにか、珠洲を離れて行きました。
でもまあ、荷物は残っているし、まったく縁が切れたわけでもなく
自由にどこでも行ける年齢でそういう立場です。
彼女が残していってくれた本の中に『その日ぐらしの人類学』(小川さやか・著)
という新書がありました。彼女はかなりこの本に影響されているのかも、と
読んで思いました。でも持って行かなかったということは、
もう読みこんでしまって、理解したということなのでしょう。

アフリカ的感受性と、子どものような無邪気な好奇心で、
珠洲にいろいろ新しい試みを残していったNさん、旅立つには今は絶好の時期!
自分で自分を虐待的状況に追い込むのをやめて、
もう少し気楽に人生を楽しんでもいいのかも。やっとそう思えました。

ふきのとうも芽吹いて、てんぷらにして食べました。
白鳥もいつのまにか居なくなって・・・寂しいデスネ。
今日はゆっくり休んで部屋を片付け、次の準備をします。
今日はオフの日で~!!



# by iwashido | 2019-03-03 10:05 | 朔のつぶやき | Comments(0)

LIVING BOOKING & WRITING.

LOGOSさんの月1回古書店は、明日OPENです。。

明日は珠洲食祭「まるかじりイベント」の日で
市役所前大通り(春日通り)は車両通行止めで、そこにテントがずらりと。

商店街通りは寂しいものですが、いつも通りのマイペースで
本の整理と販売を行っております。
今回は早めに閉めますので、10時~3時の間でお願いします。

100円均一で投げ売りの箱も作ろうかな。
とにかく本を動かさないと。本を読む快楽(中毒)を広めないと。
人間、やばいよ。光と音にだけ反応する、獣に戻る前に考える力を
復興させないと。手短なほうへ、便利な方へ、簡単なほうへ流れすぎるのは
ヤバいと思うな。

店前に駐車は出来ません。
市役所・シーサイド・ラポルトすず等の公共駐車スペースにお願いします。

本に関するあらゆることに、今年は貪欲に打って出ますか!?

(古本LOGOSは古本屋です。現在は飲食の提供は行っておりません。
 本を買ってくださる方に、お茶くらいは出すかもしれません。。。本を買いましょう!)


# by iwashido | 2019-02-23 16:47 | Comments(0)

Ms.LOGOS's once or twice a month Used Book Store
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