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LOGOSさんの月に1,2回古書店

ヤバい・・・

いろいろヤバい。ヤバすぎる。かなり来ている。3月末でいろんなことが変わる、クロスする、交差する。ジャンプする用意はできてる? いいえ、ぜんぜん。でもタイムリミット。結局のところ、本心は見えない。言葉にすがっても抜け落ちていく。なぐさめ? 儀礼的? でもそういうのも大事だよね、とりあえず形からってのもあるし。もう何者にもならなくてもいいのだ、鎧をまとわなくてもいいのだ、と思えるくらい自由になりたい。でも自由になりたくない、という自分もいて。ソクバクはある意味、楽。だってパズルのピースの一部であれば、いいんだもん。きっと一生不自由なまま生きて生きて、死にそうになってまた生きて、いつか息絶えるまで。ーもう寄せ集めの自分なんか嫌だ。他の何者にもなりたくない。  (『裏庭』梨木香歩・新潮文庫)
# by iwashido | 2020-03-23 15:45 | 朔のつぶやき | Comments(0)

本は、靴になれるか?

夜中に地震があった。
グラッときて目が覚めた。あ、自分裸足ですけど、逃げられるか?
まずそう思った。
結局、思ったほどの震度ではなく(幸いにして)、津波もなくまた日常に埋没しているが、
あの瞬間に思ったことと、本を強引に結び付けてみる。

プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』(朝日文庫)が文庫かされたので
読んでいた。旦那が貸して、というので貸してあげた。

彼が好きな文章は以下のところだという。。。
(上掲書146ページより)
「・・・人は服や靴をはぎとられると、神経や腱が切られたような気になる。
そして無防備な餌食になってしまう。服は配給された不潔なものでも、
靴が木底の靴であっても、取るに足らない防御であるが、欠かすことはできない。
それを持っていないものは、もはや自分自身を人間とは感じられず、
みみずのように思ってしまう。
裸で、のろのろしていて、下賤で、地面をはい回っている存在と思ってしまう。・・・」

そう、靴は大事。裸足で、夜の道を避難所まで逃げる自分を想像してごらんなさいな。
すごく、不安でしょうがない。痛いし寒いし辛いよーって叫んでしまいそう。

私たちは弱いから、大自然に対して無力だから、
服や、靴や、文化や、組織や、知恵で対抗してきた。
武器として使えるように、言葉を我が物にし、取りこんで何度も忘れながら覚えて
技術や文化を洗練させてきたのではないか。

靴や、服は、具体的だから、枕元に置いておける。
だけど、本は。本の中の知識(言葉)は。枕元に畳んでおけるか。
いざというとき、ひっつかんで逃げる靴のような本は、ありますか。
(ありすぎて、積んで置いたら、地震の時は怖いよね・・・)
もしくは、もう覚えるまで死ぬほど読んだから、という魂の下支えになる
本は、ありますか。

何もかもが借り物。
人の受け売り。コピー&ペースト。
私にとって、靴のような本は、なんだろう。
それがあれば、この難局を乗り越えていける、と思えるような本は。
果たしてあるのか。それを時々紹介していけたら、いいですね。

今日の一冊・・・
『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ 竹山博英訳 朝日文庫(2019年11月文庫化)

# by iwashido | 2020-03-16 12:16 | 読書日記 | Comments(0)

橋本治が生きていたら

今の日本の状況を、橋本治だったらなんというだろう。
「遠い地平、低い視点」というタイトルのエッセイを、PR誌ちくまに連載していた。
それが昨年1月末に突如として断ち切られてしまった・・・
逝って1年ちょっと、その1年がとてつもなく昔のことのように感じられる。

病での入院体験すら記事にしていた、そしてその連載エッセイをまとめた新書(ちくま新書)
のタイトルは『思いつきで世界は進む~「遠い地平、低い視点」で考える』である。
今手元にあるのは3刷であるが、初版をゲットできなかったことは今更だが悔やまれる。
初版発行日は2019年2月10日、死を予期していたかのようなタイミングでの出版となってしまった。

大変多作な作家で、また研究熱心で、編み物から古典文学から、桃尻な高校生の気持ちまで
創造力で補えるすごい才能の持ち主だったと思う。枠にはまらない、はまるつもりもない、
はみ出すつもりすらなく、鳥の視線、もしくは海獣の視点を持ち得る人だったように思う。
お前ら、ほんとにこのまんまでいいの? おれはもう死んじゃったからどうでもいいけどさ、
生きてるお前ら、何かできることあんじゃねーの、俺もう知らないよ。

”「危機意識」はないのか?” と題されたエッセイは2017年10月のものだが、
その中に「将来日本人は三行以上の文章が読めなくなる」と勝手に思っている、と書いているが
もうすでにそうなってるんじゃないのーーーー
長い投稿はスルーだよね。口当たりのいい、わかりやすいコメントやフレーズばかり
飛び交って、つらつらと回り道をして考えることはすでに時代遅れか。
「反知性より無知性がこわい」「ニュースがどんどん下りて行く」
「電波で荷物は運べない」「「バカ」という抑止力」などなど、今こそ読み直したい
橋本治節満載である。時系列順でないが、それがかえって今まさに読んでしまっている。

# by iwashido | 2020-03-07 17:11 | 朔のつぶやき | Comments(0)

光射すほうへ・・・(行けるかな?)

ある朝悪い夢から目覚めると、ザムザは学校勤務の職員になっていた。
あれ、昨日までは誰も来ない寒い店で古本を売っていたんじゃなかったっけ。八十四日間一冊も本が売れなかったので、どうしたことかと毎晩頭を抱えていたのだった。そうか、今は本を売る人じゃなくて、守る人・保管する人・貸し出す人になったのだった。
ザムザは公僕として、忠実に仕事をした。やらなけけばならない以上に、時間も精神も注ぎ込み、「あるべき姿」もしくは「ルール」を利用者に徹底しようとした。ところがやればやるほど、ザムザは周囲からういてしまうのであった。たとえば。黙って本を持ち出そうとする利用者に手続きをするよう、所定の用紙に記入する、もしくはカウンタで手続きするように声をかけると、その男は「チッ、うるさいヤツ」というような眼差しでザムザを侮蔑するのだった。まるでザムザがいることが悪いことでもあるように。今まで俺たちは、好き勝手にここにあるものを持ち出しても良かったのに。返すのも、読み終わってからで誰にも何も言われたことはなかったのに。2週間や3週間の貸し出し期間じゃこんなにたくさん文字がある本なんて読めやしない。ほかにもたくさん宿題があるのに。まるで、借りたものを期限以内に返せというザムザのほうが悪人になった気分だった。
ザムザは考えた。そうか、ここに必要なのは、本を管理する人ではないんだ。ただこの空間を利用者の好きなように使えるよう、控えめに、主張せず、理想を押し付けないひとが求められているのか。それなら自分はこれ以上ここにいる必要はないんだな。そう思ったら、なんだかひどく無駄な時間を費やしてしまったな、と思えた。
おりしも、特効薬のない悪いウイルスが流行しはじめた時期だった。住民は外出しないよう、施設やイベントも次々と閉鎖されている。もう誰もこの場所に来る人はいないようだ。そうか、俺も好きなところに行けばいいんだ。ザムザは突然すべてを了解した。
明日からは違うザムザとして、この世界に存在しよう、そう思った。
(このお話はフィクションです。/FB投稿より転載)

# by iwashido | 2020-03-07 08:45 | Comments(0)

冬なくも 春は来たりて 蕗の薹

かたくなな心がより一層頑なになっていくことを止められない数年間であった。
このままではいけない。何か違う。
そう思うので今年は少しずつ舵を切って方向転換を始めたい。

まず、ブログはできるだけ頻繁に更新する。毎日はさすがに無理だけど。
あまり本を読まないようにする。ちょっと活字に逃げすぎた。
ちゃんと読んでもいないのだからいっそ、古典とか、ギリシア語学ぶとか、古文書読むとか
そういう土台から作り直すと同時に、文字を離れた「音」の世界を楽しみたい。

私は非常に憶病な人間である、変化を好まないし、友人も少ない。
多くの人との付き合いになれないので、社交的な場も苦手。まあ偏屈ですわ。
まあビジネス向きの人間でもないし、人を感動させるすべも知らない。
その癖、なんかこだわりは多くて。。今なら高機能自閉症といわれるのかもしれない。
でももう逃げないのだ。
『バイト やめる 学校』という本を読んでいたく感動した。
何かを始めようとすると「事業計画は」とか「売上予測は」とか聞かれて
自己資金も借金するあてもないのに何かを始めるのは無謀といわれる。
それはある意味、正しい。でもそう考えると永久に足を踏み出せないので
今やっていることをそのまますーっと、膨らませるように、
やりたいことを中心に、周囲が求めているものと多少すり合わせられるように
何かを提供していきたい。

手始めは5月連休のブックディとやまと、金沢での古書イベントへの出店だ!!
在庫を全部売り切って新しい商品と入れ替えられるように頑張ってみます。
古い本や故人の蔵書の処分でお困りでしたら、ご連絡ください。
何とか有効に活用できる道を探します。

古本LOGOSは、古本屋です。と言えるように再スタートです。


# by iwashido | 2020-02-24 09:33 | 季節のできごと | Comments(0)

第0回 「読書カフェ451」

先日、読書カフェを行いました。
「読書会」というとちょっとかしこまりすぎてしまう。
そこまでがっつり本を読んでなくても、おしゃべり感覚で、
本と、本と自分の関係や、本にまつわる思い出など、本文そのものの分析や
解釈に至らなくても、本をきっかけとしたおしゃべりができればいいな、、
と思って、以前からのLOGOS常連メンバーであるMさんとお試し実施。

まあ、これは結局いつもLOGOSでやっていることそのままだ。
ここに来る人は(今までのところ)、本を買いに来るわけではない。
ちょっと時間をつぶしに、おしゃべりをしに、息抜きに、時間潰しに来る。
それでいまは、非営利営業というか、珈琲やお茶を出しても、
「ご近所にお茶を出す」感覚で、まあいっぱいどうぞどうぞ、となって
金銭の対価は求めていないことがほとんど。これも4月からは改めたいけど。

イベントやカフェがなくても、フツーに本が読みたくて、静かな場所で
読書したくて、興味ある本があれば買っていける場所にしたいわけですが、
まあ選書センスは冴えてないし、値段もついているのとついていないのがあるし、
売ってるんだか貸してるんだかわからないし、最悪の状況でした。
でも徐々に、リカバリーを始めています。

「読書カフェ451」は、本が燃えだす温度である華氏451度にかけて、
本が燃えるくらい熱い議論をしたい、そういう願いも込めています。
いまのところそんな突っ込んだ議論にはならず、周辺をぐるぐるの
おしゃべりの延長にしかなっていませんが、回を重ねる毎に成長したい。
私も、まだ何もわからないのにやっている、やりだそうとしている。

私には「本」という媒介(メディア)が必要。
これは古いといわれようとも、スマートフォンやネットで代替できない。
頭がそうなっているし、最新の情報が欲しいわけじゃないし。
人気順のニュースじゃなくて、本質をえぐるような眼差しが欲しい。

ちなみに第0回で読んだ本(読むことにした本)は『あん』(ドリアン助川)
でした。樹木希林さんが映画に出たことで数年前ブレイクしましたね。
自分の中にある弱さ、人間のずるさや崇高さ、全部ひっくるめて人間だ。
それぞれ同じものを読んでも、読む重心が違うんだな、って気づかされた
時間でした。

# by iwashido | 2020-02-11 09:47 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

何かが足りない、それで僕は楽しくない。

今年は3回おみくじをひいたが(3つの別の神社で、ということ)どれも大吉だった。
その割に、気分は低調である。素直になれなくて・・・。

友達に先日「あなたはプライドが高すぎ!」と言われた。
そうなの? こういうのをプライドが高いというの? 私はただ、周囲が怖いだけなのに。

私が当然、と思っていることは今では通用しない、てか非常識でさえある。
もう本を読まなくても、大学へは進学できる。
本当の意味で勉強しなくても、テストで点数さえ取れれば合格だ。
情報ならスマホで検索すればすぐゲットできるし。
読書、というのは今すぐ役にたつとかそういうことではない。
はっきり言って、役には立たない(かも)。遠回りで、即効性はうすい。
でも、読書しなくて何が学問なの? と思う私は頭が固いのかな。

このままでは、自分で自分の首を絞めてしまう。
少しも楽しくない。これではいけない。周りも不幸だ。

楽しいのはどんな時か、というと、一人で心ゆくまで読書に浸っている時。
夜明けの瞬間。海越しに立山連峰が見える時。夜空に満月(や月)を見る時。
宇宙の音が聞こえる時。種が発芽するとき。

うーん抽象的だなぁ。。。

私は言葉を信じられない、でもその「信じられないもの」によってしか
救われないことをどこかで気づいてる。


# by iwashido | 2020-02-11 00:01 | 朔のつぶやき | Comments(0)

2019を振り返る。

一年前の記憶がない。。。
手帳を見ながら、昨年何をしたか、どこで失速したかを振り返る。

まずは1月、いつものように年始の会長・会長ご子息の店内拝謁があって、今年度の方針が決まる(はずだった)。
1月後半から催事出品に合わせて出品本への値段付け、箱入れ作業。
4月くらいまでは第3日曜日定例OPENを実行していた模様。

ただし、2月に急に名古屋(小牧)に呼び出されたり、4月に福井出張があったり、
なんやら予定外の時期に予定外の移動があり、そういうのが堪える齢になってしまった。

5月は、ここ数年定番となっているブックディ富山への出店。しかし準備不足は否めなかった。
富山くらいまでなら日帰りができるように、常日頃から体調管理をしておかないと。

6月、金沢香林坊のうつのみや書店での催事にちょこっと出品させてもらったが
これもまた選書セレクト・値段付けに迷って、ちょっと外してしまう。全然ストライクゾーンにない。

結局、毎日の生活に余裕がない⇒週末にイベントや補充が入る(ドライブ)⇒休めない、,めいっぱい。。。
となり、9月に、とどのつまりで失速したわけだった。

11月に、神様からのオクリモノのような、ある本の寄贈に巡り合い、
まったく生かしきれていないが、この本たちをベースに再起動したい、と思うようになる。
金沢書友会の目録にも参加させてもらい、目録という地味なコンテンツが
まだ必要な人もいるのだ、ということを再認識。インターネット・ヤフオク・メルカリも良いが、
紙ベースの安心感・じわじわと吸い上げる感じ(右肩上がりはないかもだけど)。
そりゃあ対面で本を売りたいですよ、リアル書店主義者ですよ、だけど
まあネットでしか届けられない場所にいるわけだし、原理原則よりも「程度」の問題で解決を。

12月12日の満月を境に、少し復活モードに。月一LOGOS再開のような形になる。
1月10日(金)には、満月の一つ前の月(14番目の月)に言祝がれる(感じを受ける)。
ユーミンをして言わせしめた「14番目の月が一番好き〰」。
次の夜から欠ける満月よりもね。一個前がいいよね。

というわけで今年は、日々の生活を大切に、そしてやるときは目いっぱい、動けるように
体調管理・睡眠管理をちゃんとやりましょう! ということなのでした(お終い)。

# by iwashido | 2020-01-13 15:56 | 朔のつぶやき | Comments(0)

新年だけど。

HAPPY NEW YEARですか。
年末から体調崩して3日も仕事やすんでそのまま年末年始に突入。
新年が迎えられるかと危惧したが、それでも地球は回った。

紅白(歌合戦ね)がどっちが勝ったか、世界の動きはどうかも確認せず
遠くで鳴る除夜の鐘をききながら眠ってしまった。そしたら朝が来ていた。
大晦日(12月31日)と新年(1月1日)の間には、超えるべき一本の線がある。
それが日本のお正月だ。何の根拠もないがそう思った。

ブログだって長文書くより短くても毎日書くのが大事らしいが、
今の調子では1か月1投稿で、これではどうにもならない。
去年は迷っている間にどんどん世界が先に進んで、おいてけぼりな自分って感じで
自己嫌悪にマイナス思考が渦巻き、よいことがあっても素直に喜べず
自爆していたが
新年だけど。_c0107612_01121191.jpg
、今年は前を向いて進んでいきたい(希望ね)。

旧知の知人が奥能登から脱出を図り、近くにいなくなる。
なんだかとても心細いが、やっていけるのかなぁ。
もともと友達も少なし社交的でもないので、まああまり変わらないのかな。
今年はいろいろな占いでみてもかなり幸運な一年らしいので、信じて進むかな。
おみくじも大吉だったし、新年の福引きでも2等(商品券ね)当たったしな~(笑)

今日は一日ダウンしていたが明日から日常に戻る準備体操をしませう。

# by iwashido | 2020-01-04 01:15 | 朔のつぶやき | Comments(0)

彼岸の図書館、此岸の古本屋。

ご無沙汰してしまった。。
表面的には停滞、もしくは態度硬化な9~11月でしたが、内部では激しく(?)せめぎ合っていました。
要するに、自分で自分をしばるような、もしくは狭い箱に入っているような。
村上春樹的に言えば「井戸を掘って」いたのかもしれません。

そういえば、昨年の12月に、思い切って東京上野へ「ムンク展」を見に行ってから
意外といろんなとこに出かけていたのでした、さすがに日帰りは無理なんで、
実家や娘のところに立ち寄らせてもらいつつ、新幹線やサンダーバードの便利さに助けられて。
8月には再び東京・有楽町で生・伊藤比呂美の文学教室(講演会ね)にも行ってきたし、
10月にはなんと大阪へも行ったんです。子どもたちが「シューカツで東京行った・大阪行った」
というのを聞くたびに、うらやましくなり、自分だって! と思うところがガキっぽいけど。

大阪へは「JLA(日本図書館協会)中堅職員ステップアップ研修」の聴講生として、
別に何の資格にもならない、ただの聴講だったわけですが、たまたまFBから飛んできた
「聴講生を追加で募集しています」という記事につられてしまった。でも当たりでした。
12回の連続講座(3か月くらいの、土日や平日にわたって開催される)の、最後の会、
「人文系私設図書館Lucha Libroについて」というタイトルで、奈良県東吉野村に移住し
古民家の自宅を開放して、週末(月10日間くらい)自分たちの蔵書で「人文系図書館」をされている
青木ご夫妻のお話でした。その少し前に、東京で取次兼出版社をしているH&Bさんのメルマガで
『彼岸の図書館』という本の出版案内が来ていて、タイトルでもう惹かれるものがありました。
ただ、その本は、関東のほうの一人出版社さんの出版物で、10冊以上の注文じゃないと対応してもらえない、
と付記されていたので、10冊を注文する自信がなく、著者に直接会える機会があるなら
ダメ元で頼んでみようかしらん。。そんな下心ありありでの参加でした。

関西の大学で、研究生(大学院生)だった青木真兵さんと、大学図書館の司書だった奥さんの海青子さんが、
「命からがら移住した先の東吉野村で、人文系図書館ルチャ・リブロ」を立ち上げるまでの実験と
経緯を、対談形式の『オムライスラジオ」での実況を本にしたのが『彼岸の図書館』(夕書房・刊)です。

私は、どちらかというと用心深いというか、周囲をあまり信頼できていないので、
「失敗したらどうしよう。。」とか「変な人と思われたら。。。」とか思って、見通しが立たないと
公言できない・アピールできない弱みがあります。たとえ人に「すごいよ」とか「いいよ」と言われても
「本当かなあ?」「お世辞で言ってるんだよね・・。」と深読みしてしまうわけです。
このお二人は、夫婦という最強のタッグを存分にいかし、若さと、内田樹先生の系列に連なるものという
立ち位置を最大限に利用して、自分たちの移住・住み開きを公開するという方法を取りました。
これは素直に見習いたいかもしれない。
自分の蔵書を貸出しするのは、私の周囲では「家庭文庫」という形で、児童書や子育てや読み聞かせにかかわる
人たちへ貸出しをする、石井桃子の系譜の人たちがいます。でも文庫もかつての勢いはありません。
みな細々と、月1、2回の「集い」や「読書会」などで続けるか、地域の図書館や公民館や学校に
場所を移して続けているようにも思えます。

私は、かつて文庫ということをしていた時期もありましたが、地域に自分を開ききれず、
実際的な文庫活動で子どもが来てくれたのは2、3年でした。それも常連数人くらいの。
でもまあ、その時のことはよい思い出ですし、素直に楽しかったです。
ちょっと前は、古本屋を名乗りましたが、これも名乗りきれず、でも止められず今に至っています。
ルチャ・リブロさんの話を伺い、本を読んで、そうか、迷いは迷いのまま外に出す、という方法
があることを知りました。正解はないのだ、歩みがそのまま道となるように、定められた道はないのだ
とやっと気づくに至りました。

彼らが「彼岸の図書館」というのであれば、私は「此岸の古本屋」を実践していけばいいのかも。
古本屋、というのはやっぱり商売なんです。古い本を趣味で集めるだけではなく、
「商い」として、求める人に提供(売る・買う)しなければならない。
商いはそんなに卑しむべきことなのでしょうか? 1円でも安く、送料は無料で、できるだけ早く
届けてほしい、という仁義なき戦いが、商店街の衰退に加速度をつけました。
私だって魚や肉をそういえば最近、個人店で買うことは稀です、でも特別な日のスペシャルなお刺身は
商店街の魚屋さんのほうが、美味しいです、けた外れに。
お肉だって、もし特別な部位の特別なお肉(すき焼きとか、ステーキとか)はお肉屋さんが知ってると思う。
私は人ごみが苦手なので、あんまり大きなスーパーは行かないです、たとえ安くても。
せかされるような自動レジも苦手だし。。ゆっくりであることが楽しい、というのもあってもいいのでは。
中途半端だし、私も商店街の衰退に加勢している側かもしれない。でも。
商売をあきらめたくない、という気持ちもあります(一応商売の家で育ったので。。)。

結論はありませんが、もしこの記事を読んで『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち」という本に
興味を持たれましたら、古本LOGOSでも扱っていますので、メールやメッセージでご連絡ください、
税込2200円、送料は半額負担してくださると助かります、、もしくは店頭での受け渡し?など。
(っていつなら店やってるんですか~と突っ込まれるとイタイのだけど・・)
冬のほうが元気なので、12月~2月は、月1回は開けます、日程は後日このブログなどで。

そうだ私はやっぱり古本屋をやっていきたいのだ。無理のない形で。



# by iwashido | 2019-12-01 12:04 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

LOGOSの「地下2階の本棚」・・徒然読書雑記

村上春樹「タイランド」(『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)収録)

★村上春樹を好きな人もいれば、あまり好きでない人もいると思う。
どれだけたくさん本が売れようと、どれだけ有名な賞を取ろうとそんなことは小説家の本質と何も関係がない。宮沢賢治だって樋口一葉だってニーチェだって、生前そんなに本が売れたわけではなくて、死後に残された作品を世に送り出した肉親や編集者がいたということだ。村上春樹は十分に有名だけど、有名であることと好き嫌いはまた違う。

『神の子どもたちはみな踊る』は確か以前持っていたはずなのに、棚に見当たらなくて、きっと衝動的に一箱古本市か何かで売ってしまったんだろう。だからブックオフに寄った時に購入した。A....という通販を利用することもできるが、最近、その倉庫の過酷な労働実態を書いた本を読んだので(その前からだけど)あまり使わないようにしている。便利で何が悪い? な世の中だけど、これが私にできるささやかな抵抗である。

『神の子どもたちはみな踊る』の中に、目立たない小作品として収められている「タイランド」は、更年期のホットフラッシュに悩まされる女主人公(甲状腺の専門医)が、東南アジアで開かれた学会の後に、休暇を取ってタイで過ごす話だ。冒頭のアジアなまりの強い飛行機アナウンスの描写がうまい。主人公のホットフラッシュの息苦しさは日ごろ体験しているので、すんなりと物語世界に入っていける。

村上春樹は、心に何らかの石やトラブルを抱えた女性を描くのが上手だ。上手というか、構造的によくわかっているなあ、と感心する。それはたとえば『1Q84』に出てくる女性警察官あゆみ、だったり、「眠り」(『TVピープル』(文春文庫)収録)に出てくる不眠に悩む女主人公だったりさまざまである。『ノルウエィの森』の直子の変奏曲といってもいいのかもしれない。

「タイランド」で、女主人公は、休暇の間ずっと世話をしてもらったタイ人運転手のニミットに、自分の抱えているある秘密(悩みの源泉)を打ち明けようとする、しかし彼はそれを遮る、「夢をお待ちなさい」と言って。それは、その前日にニミットの好意により連れて行かれた老占い師の占いの言葉でもあった。日常では収まりきれない歪みやひずみを、「占い」と「夢」という形で、東南アジアリゾートという非日常性の中でうまく昇華している。

「生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター」(P142)とニミットは言う。生きることだけに多くの力をさいてしまうと、うまく死ねなくなるのだ、とも。

『神の子どもたち・・』に収められた作品は、どれも少しずつ阪神大震災のことが微妙に絡んでいるので、理不尽さや行き場のない怒りや悩みで困っているときにはとても効くような物語群である。「かえるくん、東京を救う」や「蜂蜜パイ」はおすすめです。生きることはある意味とても理不尽だ、でも死ぬまでは生きるしかないのだ。

# by iwashido | 2019-09-29 12:33 | Comments(0)

激しく停滞。

9月になった。相変わらず暑かった。
台風が来て、図書館の屋根が飛ばされて、祭りが終わった。

でも自分は激しく停滞している。
何もやる気が起こらず、視力も衰え(眼鏡が合わず?)、体もあちこち痛い。
だめだな~。。。

そんなわけでこの文章もやっとこさ書いています。
仕事も、仕事以外も、もう少しお時間ください。

この楽しくない気持ちはどうしたら移動するのでしょうか?

「地下2階の本棚」にある本でも読んでみるか、
それとももう本など読むのも執着するのもやめるか?

# by iwashido | 2019-09-26 18:47 | Comments(0)

あれは「開けゴマ」、だったのか

ずーっと昔から興味もっていて、でもぜんぜん進んでいなかった課題が
今頃になって「ほらほら、どないするねん?」って感じで迫ってくる。
「お前、この機会逃したらもう一生チャンスないぜ? 最初で最後やで?
ぐだぐだゆーとらんで、さっさと態度決めや」まるで脅されているかのような
脳内バトル。

たとえばです、今最近読んでいるのは『敗戦後論』、先日お亡くなりになった
加糖典洋氏が書いたちくま学芸文庫などを読んだりしているわけですが、
「戦後の起源」「ねじれと隠蔽」など、戦後が一筋縄ではいかない複雑な
力学によって生じた精神の活断層のようなもので、その落差に気が付こうと
気が付き枚と、私たちはかなりやばい橋を渡ってしまっているわけで、
「平和憲法があるから大丈夫」とだけ言ってしまえる無邪気さには戻れなく
なってしまった。日本はその前に「明治維新」というOSの大幅入れ替えを
やってしまっているから、話はさらにややこしく、これは西洋のヘーゲル的な
「正・反・合」では説明できない。むしろオーエルの「1984年」的解釈で、
私たちは近代化という名の元で書き換えられた歴史を生きているのかも。

いいんだ、いまさら話をややこしくするつもりはない。ただ、この『敗戦後論』
という本の中に「太宰VS D.J.サリンジャー」という節があって、
サリンジャーは最近映画にもなったし、ライ麦畑は相変わらず売れているし、
村上新訳で新しい読者もつかんだりでほんと永遠のバイブルになりそうな
訳なんですけど、私は、今から40年近く前の高校生の時、なぜか
読んで、ひかれて、原書(ペンギンペーパーバック)も買って読もうとした。
ホールデンの「ライ麦畑の捕まえ役になりたいんだ(野崎訳)」という
このフレーズに激しく同調し、いまだにその呪縛から逃れられない。
永遠のこども、というわけですか。社会的逸脱者? 反逆児? なんとでもいえる。

この辺のことを、きちんと具現化しないとなぁ。
いまいる職場で「捕まえ役」をやり続けるのはもう限界だね。
もう無理、もう未来が見えない。迷走している。
3年後に命が終わるかも知れないと思って、もう嫌なことはしない。
やりたいことを中心に、失敗して人に「ざまみろ!」と罵倒されても
それでもいいよ。だって私の人生なんだから。
岩波書店の「図書」で連載中だった「ミンネのかけら」が良かった。
富原真弓さん、トーベ・ヤンソンと、シモーヌ・ヴェイユをつなげてくださって
ありがとう。私の中で大事なものが、リンクされつつあります。


# by iwashido | 2019-08-11 15:02 | 朔のつぶやき | Comments(0)

零(0)の発見。

今にも沈没しそうだった舟ですが、
なんとかのたりのたりと日々乗り越えています。
そこここでぶつかりそうになったり、ぶつかったり、穴があいたりふさいだり、
そういうことを繰り返しています。

6月の夏至前後に、どちらかといえばあまりよくないことが、
私の周囲(ちょっと遠い周囲)で立て続けに起こり、
一歩間違えれば誰だってどうなってもわからない現実を、見せつけられました。
身内はまあ元気です。

今はそこから一歩一歩、かたつむりの歩みで復活中。。な感じ。

たとえ話です。
ギリシア・ローマの時代には、「0(零)」という概念はなく、
数えられるものだけが数で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳなどという表記で示されていました。時代が流れて、インド人が0(ないものを表す表記・数字)を視覚化したことで、
現代につながる数学・数論の流れが活性化しました。
私たちには当たり前に理解できる、ゼロを中心に据えた数直線という概念は、
ゼロ発見以前にはイメージもできなかったのです。

今までの自分の心理的状況は、この対極で
「マイナスないしは虚数」が私の精神の根幹でした。
私の精神に、実数(プラスの数)はなかった(あくまで、たとえ話ね)。
ようやく最近、私にとっての「0の発見」的なことがあって、
実数・有理数・具体的なことのほうにも数直線がのびつつあります。

家族に話したら「インド人すごいね~0の発見ね~」といなされましたが、
私がいいたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ。。。







# by iwashido | 2019-07-17 08:32 | 朔のつぶやき | Comments(0)

今日は第3日曜日につき。

沈没しそうな舟が一艘、なんとか持ちこたえて今日も日永のたりのたりしている。
必要なのは、静寂な場所と、無遠慮な他者のまなざしからの少しばかりの逃避。

先日ある集まりで「カミソリみたいな感受性を持った生徒が、数年に一度くらい、いますよね」
みたいな発言をしたのだが、もしかしたらそれって、ある時点での自分自身だったのかも・・・。
ま、自分のカミソリなんて、あまり切れ味鋭くないなまくらな100円ショップ並だけどさ。

あまりそういうのを全開にすると、日常生活なんてやってられない。
音が気になり、視線が気になり、発言やつぶやきの一語一句にさざ波立っていたら身がもたない。
それである時、私はそれらを封印した、もしくは硬い種のようなものに閉じ込めた。
生き延びる道はどちらかだ。自分は周りとは違う、確固たる存在なのだと自他ともに認めさせ、
結果を出してどうどうと王道を行くか(こうかくと誤解されそうな表現だなぁ。。)、
本音を隠して、周囲に合わせてそれなりの生き方で満足するか・・。
もっと人は一人一人違っていいのではないだろうか。当たり前そうで当たり前でないこと。

でも「特別」ってなんだろう。考えれば誰もの生が唯一一回性であり、特別である。
ナルシシズムの極地のような特別は(本人は気づかなくても)あまり気持ち良いものではないし、
客観性を保ちつつも、屹立して立ち続けるのはある種の精神的強さと処世術が必要なのかも。
つまりはマイペース? ってこと?
今日は第3日曜日につき。_c0107612_11253932.jpg
存在そのものへ。事象そのものへ、まなざしを鍛えませんか。
というわけで、今日はLOGOSの入りにくそうな店にいます。
Nちゃんがいないのが、寂しく感じられます。
(そう思うなら、いなくなる前にもっとちゃんと話をしておけばよかったね)
 
「ブックティとやま」楽しかったです。写真をあげておきます。(BOOKDAYとやま FBより )




# by iwashido | 2019-05-19 11:31 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

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