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LOGOSさんの月に1,2回古書店

カテゴリ:読書日記( 74 )

会うはずの ない本に出会う 古本屋

「神経衰弱」が得意だった、というと、大概の人は「嫌な奴だね」という顔をする。
トランプのゲームだけど、まあギャンブル性は低くて、記憶力の勝負だから
強いヒトと苦手なヒトに分かれるよね。

なんとなく、モノの場所をぼんやりと覚えている。
明確にくっきりはっきりではない。なんかこの辺? とか
ちょっと昨日とこの本の場所違うんじゃない? とか、在ったはずの本がないとか。

先日、とある本の整理をしていて、さあもう終わりにしよう、、、と思った矢先、
一冊の本がふと目に入った。この本の題名、どこかで見た。。でもどこだったろう?
古本である、著者の名前もその時の私には初見に近かった。
でもこの人の名前どこかで見たし、この書名には見覚えが、、、と考えたら
あるHPで、「読書体験記」の優秀作品のヒトが、この本を通して得た体験を
書いたその元になっていた本であった。

本の名前は『絵のなかの散歩』(新潮社/洲之内徹・著/ハードカバー箱入)。
ある高校生が、仙台で洲之内コレクションを見た感想などを体験記に昇華していた。
私は仙台に行ったこともないし、不覚にも洲之内コレクションがどんなものか
その時は知らなかった。
白洲正子や青山二郎や小林秀雄は知っていたけど、洲之内徹は知らなかった。
私の本(文學)の知識なんてその程度。だってロゴなヒトなんだもん。

それはともかく、その本はのっけから、三男の死を知る話から始まる。
題は「あかまんま」なんて、花の名前が入ってるけどつまりは彼岸花だから
まあそういう話ですよね。
うーんなんというか、濃い文章である。ものすごく濃い塩水を飲んだような。
最近こういう文章に会わない。世に出る本は、とても薄い飲みやすい文ばかり。
1時間でわかるとか、1日1文で教養が身に着くとか、身につくわけないだろう!?
教養なんて、誰かが書いたもの鵜呑みにして身に着くわけないだろう!!
身銭を切って、疑って、恥をかいて、失敗して身につけるものだろう? 

絵の話はもちろんキレキレだし、小林秀雄がほめたくらいだから。
トップに出てくる青い魚が入ったかごを頭にのせる少女の絵もGOOD。

全部熟読してないけど、面白かったのは洲之内は戦後、故郷の松山で2年間、
古本屋をしていた、とあったこと。上手くいかなくて汁粉屋に変えて
それもまた上手くいかなくて、いろいろあって小説を書いて芥川賞の候補
に何回かなったけど、最終的に銀座の画廊の店主(管理人?)をしながらモノを書いた。
戦後だからね。岩波書店だって元をたどれば発端は古本屋らしいし。

そうか、いいんだ。上手くいかなくてもいいんだ。
この上手くいかなさはきっと何かにつながっている。
古本屋としては失敗でもいいんだ。商売になんかなるわけないんだ。

いや、私が言いたいのは、なんでここでこの本と出会えちゃうかな、ってこと。
偶然みたHPの、石川県の高校生が書いた体験記の文章を覚えていて、
その本の発端はある年の高文連の全国大会の会場が仙台で、その仙台の空が
青くて、洲之内コレクション展を仙台の美術館だかどこかでやっていて。。。ということで
その本の題名を私が覚えていたということ。出版社名や判型(単行本か文庫か)などは
わからなかった。「手に入らなければ盗んででも自分のものにしたいのがいい絵」だとか
普通言うかな? 手に入らなければ盗んででも自分のものにしたいのは、いい本なのかな?

そして箱の上の方にのっていたその古い初版の『絵のなかの散歩』という題名を
見た時、「どこかで見たな・・」と思えたこと。これはまるで神経衰弱。
ねじれの位置にある本と出会えるのが、リアル本屋の醍醐味。
ネットではこういうことはあまりない。
関連性のある方へと、自動的に導かれるあの感じが嫌い。
誰と友達になるかなんて、あんたに指示されたくないし、これを読めとか買えとか
言われたくない。そういうのは私が決めます。数なんて多くなくていい。

私は出会えるはずのない本と出会いたい。
それはきっと、どこかにある本屋と呼ばれる場所なんだ。






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by iwashido | 2018-11-14 23:42 | 読書日記 | Comments(0)

明日は明日 置かれた場所で 咲けるかな?

『神様の住所』(九螺ささら/朝日出版社)という短歌&エッセイ的な作品を読んだ。
朝日か読売か忘れたけど書評で紹介されていた。
俵万智や穂村弘、東直子の系譜に続く、
「短歌が入り口で、宇宙が出口。」って帯に書いてあった。

「18.エロス」という章に載っている短歌はともかく解説文にシビレた。
古代ギリシアの重要な概念として、エロスとロゴスがあって、
エロスは日本語では「(神への)愛」とか言われて、でも正確な概念は
きっと日本語にはなりきれなくて、それでも「エロ」と言われ日常に溶けた。
「エロいよね~」とか「エロな人」という表現は比較的良く耳にしますよね?

ロゴスは「言葉」とか「論理」とか訳されてこれもまた正確には
伝わっていないと思うけど、硬い言葉だから「ロゴ」とまではこなれていない。
いや~、私は「ロゴなヒト」だったと思うので、ぜひ「ロゴい奴」とか
言われてみたいものである。

なんかね、この人の抽象と具象がクロスする感覚はよくわかる。
私はどちらかというと今までほぼ抽象側の世界に住んでいたようなところがあるので。
目の前の具体は無視(っていうか透けて)後ろの抽象のほうが近しかった。
固有名詞は覚えられないし、これでは友だちもできんわね。
それで思春期を乗り切ったのだから、今の時代でなくてよかったよ、ホント。

これってほとんど発達障害に近かったのかも。
成績(テストの点数)が悪くなかったからカムフラージュされていたんだろう。

いろいろ文句も不満もあるけど、現状をほどほどにキープしつつ、
次の一歩を画策してもうちょっとやってみようか。。
逃げるのは簡単、逃げ出すのも得意だけど、今回ばかりは
もう少し踏みとどまってみるか。
ここが私の置かれた場所なのか。
本当はまだそう思いたくないのだけど。
一人でも理解者や、メッセージを受け取ってくれる人がいるだけで
少しは救われるよね。
この場所で、人を触媒にして、抽象を具象に変換できるのなら。

次の世代への種まき、もしくは発芽の補助くらいなら。


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by iwashido | 2018-09-15 11:49 | 読書日記 | Comments(0)

珈琲と本に救われて、在る。

旧暦の新年(今年は2月16日でした)前後から、物事が急速に動き始めた。
サインコサインのカーブではないが、昇る前には、下るものだ。
ずっと右肩上がりの直線などというものは数学上の観念の中にしか存在しえない。

ティシュペーパーのようなもろいメンタルしか持っていない私には
けっこうハードな数日間が続いたのだが、それを救ってくれたのは
「ハッピーになれる」とコメントがついて二三味珈琲で売られていた新作の
”パナマバンビート”というオリジナルコーヒー(いつもの二三味ブレンドより高い)と、
某古書即売会で見つけた、L.ヴィトゲンシュタインの『反哲学的断章』のなかにあった
数々の言葉たちであった。。。。

「自然にだけ語らせよ。自然の上位にあるものとして認められるのは、ただひとつ。
 それは、人間が考えられるようなものではない。」MS 107 70^

「新しい言葉というものは、議論の地面に撒いた新鮮な種のようだ。」MS 107 82

「哲学のレースで勝つのは、いちばんゆっくり走ることのできる者。
 つまり、ゴールに最後に到着する者だ。」 MS 121 35v

(いずれも丘沢静也 訳/青土社の『反哲学的断章―文化と価値』より。)

短い文ばかり選んだけど、長い文章(断章)は声に出して読むと落ち着いた。
私が死んだらこの本を棺桶に入れて一緒に燃やしてほしい、と思うほど。
こういう珠玉の言葉に包まれて逝きたいものである。

自分の感性に響く言葉は、精神にも影響するのだということが分かった。
別にむずかしいから偉いとか簡単だから劣るとかそんなことは言ってない。
ただ、無性に響いた。もっと勉強したい、と痛切に思った。

2月のLOGOSは2月18日(日)に無事終わったのだけれど、
こんな店でも必要としてくれる人がいて、下手な古本市より売上があって
こんなレベルでほめられるのは、田舎(能登)だからであって、
京都や神田の古書店のレベルとは比べ物にはならない訳だが、
ここで自分の店を否定したら、買ってくれた人も否定することになるから
そういうことはできない。

恥かしくない生き方をしたい。ただそれだけ。

3月は、後半諸事情により土日がほぼ潰れるので、
LOGOS定例OPEN日は 3月4日(日)の予定です。
3月11日(日)には、こまつ町屋文庫さんのイベントに出店予定です。

4月はまた、第3日曜で4月15日(日)に予定してます。

古本LOGOS でした。










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by iwashido | 2018-02-22 00:18 | 読書日記 | Comments(0)

クリスマスイブのプレゼント。

PR誌「ちくま」2017年1月号(通巻No.550)の表紙が変わった。
これまでの落ち着いた雰囲気(酒井駒子)から一気にPOPな感じに。
想定読者年齢を下げたか、下げたいか。
若い読書人を取り込まないことには出版界の未来は暗い。

表紙変わったついでに、本文の書体とレイアウトも若干の変更が。
執筆陣は継続あり新規参入ありで、これまでの続きなのだけれど
何かが変わったか、変わろうとしている意思は伝わってきました。

そんでもって今回の「ちくま」は、わりといい。新年号だし? 気合入ってるし?
巻頭の橋本治「遠い地平、低い視点」31は、いつも通り。言って欲しかったことに名前をつける
センスは抜群の橋本節。今回のサブタイトルは「自己承認欲求と平等地獄」。
思い当たる点多々。自己主張ではなく「自己承認欲求」が蔓延しているネット空間…。
私たちはもうそこから抜け出せないのか? そんなに幼稚になっているのか、今の知性は。

続く「「母」という役割の大切さ」(森田展彰/『「母と子」という病』(高橋和巳/ちくま新書)の紹介文)
は、思い当たることずばり。私はSタイプでした~。まだ終わってない、「母と子」の関係。
他の連載ならびに、新刊紹介エッセイもいつもより身に沁みるものが多い。
しかしなかでも、特筆すべきは新連載エッセイのこれ。

上野千鶴子の新連載「情報生産者になる」第1回。
目から曇りが覚めるような、冷静な構造分析に、学問てこういうこと! と快哉を叫びたくなる。

「研究とは、まだ誰も解いたことのない問いを立て、証拠を集め、論理を組み立てて、答えを示し、相手を説得するプロセスを指します。そのためには、すでにある情報だけに頼っていてはじゅうぶんではなく、自らが新しい情報の生産者にならなければなりません。」(PR誌ちくま 2017.1月号の20Pより)

情報はノイズから生まれる、この情報工学の基本も、そうだよな~と思う。
ちょっとした違和感、ゆがみ、ずれなどの「?」感覚が、なんか変だなという感じが問いへの第一歩。
だからきっと、日常が大事なんだ。カントのようにとはならなくても、いつも決まった時間に
決まった行為を行うという繰り返しの中でこそ、「いつもと違う」何かが見出される。

まあ詳しいことはこの文をぜひ読んでほしいのだけれど(フェミニストでも、フェミ嫌いさんも、著者に対する偏見なしに、この連載をフラットに読んでほしいと望む。。大きな書店に行けば、レジ周りに「PR誌ちくま」あるかも。もしくは金沢などの県庁所在地図書館にならあるんでないかな~。県立図書館にはあるでしょ!?)

問いを立てよう。
まだ誰も解いたことのない問いを。
オリジナリティとは何か。過去を知ることからしか始まらないなにかもある。
ずっとインプットしてきたことを、そろそろ本気でアウトプットに回さないと。
自分の中で異臭を放って発酵して別物になってしまわないうちに。

いろいろな気付きを与えてくれる、今の日常に感謝。(L)
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by iwashido | 2016-12-24 13:05 | 読書日記 | Comments(0)

小旅行。

日常的に線路(鉄道)のない地域で暮らしているので
たまに電車に乗りたくなることがある。
今回の帰省ではその気持ちを十分に堪能した。
とはいえ、一日で行くのは無理。青春18きっぷも使えない3セク区間もあるし
途中下車・宿泊を考える。
すると、途中にとてもよいところが! それは、越後、松代、三省ハウスだ。

ほくほく線で、直江津から十日町(六日町)に抜ける線路。
一時期、北陸新幹線が開通するまでは、越後湯沢へのショートカットとして
特急だって走ってた。それが今では単線扱いの。でも住民の足にはなっている模様の。

金沢から富山、富山から泊、泊から直江津まで各駅を満喫~
あ~たのし~!! どうしてこんないい線を三セクにおろすか理解不能。
海の見える最高の線路なのに。そして犀潟から山のほうにシフト。
うーん新潟、奥深し!!

来年、私の暮らす地域で「奥能登芸術祭」とやらに取り組むらしいが
あんまり盛り上がってはいない。そこで松代の「花咲ける妻有」を見るなどして
元気をもらってきた。まあ(芸術祭は)私はあんまり関係ないけど、
松代の三省ハウスはいいところでした。小学校を改築したゲストハウス。
食事も美味しかったし、また泊まりに行きたいと思えた。また行こう。

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by iwashido | 2016-08-12 03:59 | 読書日記 | Comments(0)

出会いに偶然はないとしたら

香林坊の地下に書店が復活しました。
世が世なら、敵陣本丸上陸(?)と言われかねない交代劇。
いまどき、そんなことを気にする人は少数でしょうけど。

ほんの10分余裕があれば、寄ってしまう、本があるところならどこでも。
図書館でも書店でも古本屋でも。
つーっとみてつーっと素通りするはずだった。
それなのに。

この本を見つけてしまった。
白水社、エクス・リブリス・クラシックスのシリーズが棚に勢ぞろい。
1冊だけ面出ししてあったその本。
『潟湖(ラグーン)』 ジャネット・フレイム著。
ニュージーランドの国民的作家のデビュー作。

知らない人の方のために解説しますと、
もう20年以上前、「エンジェル・アト・マイ・テーブル」という映画がありました。
その本を書いたのはジャネット・フレイムで、作家の自伝的作品を翻訳して出版されて
映画化されました。その映画も本も読んで、深く共鳴した若い頃の私。
原書も買ったくらいにして。
そのフレイム女史(現在は他界)の、デビュー作が「潟湖(ラグーン)」で当時は
日本語訳は出版されていませんでした。その本が。目の前にあった。

ちょっと迷ったけど買ってしまった。このタイミングを逃すとネットで買うしかなくなるかも。
(最近できるだけリアル書店で本をかうことにしているので・・)

その本を昨日、眼前、海と山の、波音の聞こえる某所で読みました。
うわー、いいなぁ。
こんなところで日永一日読書と思索にふけりたい。
そう思うほどの至福な瞬間でありました。
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by iwashido | 2016-06-04 13:45 | 読書日記 | Comments(0)

一冊の本に。

某月某日、某書店にて。

暇つぶし、もしくは微妙な時間調整のために書店に立ち寄る。
まずは隔週刊雑誌の連載チェック、一回読んだはずだけど再度なぞる。
ほかにも気になる月刊誌の連載などもブラ読み。

別に買わなくてもよいのだけれど、書店にきたら何か買わねば、と思ってしまう。
もちろん買う気にならない売り場もあるけど基本は応援(すでにボランティア的気分?)。
しばらく出ていなかった定期購買中の連載コミックの最新刊、買ったか買ってないか
しばし迷って、やっぱり買ってないと判断し購入するつもりで1冊抜く。

このままレジに行ってもいいのだけれど、コミック1冊というのもしゃくなので、
何か面白そうな文芸書があれば、と思って単行本の棚を見る。
とはいえ、売れ筋の本なら借りて読めばいいとか思ってしまうし
話題になっている本はすでに読んだり、読んだ気になっていて購入するほどでもない。
ちょっと気になる題名もしくは著者の本が並んだコーナーがあったけど、
よく読めば過去の遺産の再編集だったりする。

うーむ、と悩み、文庫コーナーへ。
ガツンとさせられる本が読みたいなら岩波文庫かな~と思いつつ
新潮文庫の棚の前で足が止まる。”村上柴田翻訳堂”の文字が目に入る。
挟み込みチラシで見ていたこれは、文庫だったのね(ハードカバーと思っていた)。
文庫なら1冊買ってもいいやと、村上堂のほうを1冊抜く、
そしてその隣というか、流れとして「む」の棚を見る。
これだって再編集本なんだけど、とった本の、開いたページの文字に目が釘付け。

「図書館の話をしよう。・・」

え、図書館? なんでここで図書館?
でもこの人のいう”図書館”って興味あるし。

「僕はそこに行けばいつでも、自分のためのたき火を見いだすことができた。」
「図書館とは、もちろん僕にとってはということだけれど、「あちら側」の世界に
通じる扉を見つけるための場所なのだ。」

これだけで即決、買いましょう、レジに進む。
ちなみにその本の署名は「村上春樹 雑文集」新潮文庫。
思いっきり再編集本なのだけれど。

役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そういうことは
本質的ではなくてもいいのだ。図書館とは本来(かどうかわからないけど)
ある種の人にとって「あちら側の世界への通路」もしくは「小さなたき火」だったのだ。

ここ数か月の迷いや悩みが吹き飛ぶほどの、
完璧な(私にとってはということだけれど)定義を見つけてしまった。
少なくとも自分の立ち位置をよくわからせてくれる手助けになりました。

ありがとう、本屋さん。
ありがとう、新潮文庫。
そしてありがとう、村上さん。
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by iwashido | 2016-04-24 08:27 | 読書日記 | Comments(0)

本を読むということ。

自分がもっている本が図書館にあると嬉しい。
あ、こんなマイナーな本でも置いてある、ニーズがあるんだ、とにんまり。
先日別の本を探していて、自分のお気に入りに本を図書館で見つけた。
『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス/筑摩書房、2011)。
作者はドイツ人だが、フランス語で書かれた、ギリシア(エーゲ海)の島の女性の物語。
この本出版されてすぐ読んで、もちろん買って持っていて(今も)、
主人公の女性と自分を重ねて読むほどに気に入っている1冊。
地味な話であるが、感情移入できればエキサイティングに読める。

もう1冊は『雪と珊瑚と』(梨木香歩/角川書店、2012)。これは買ったけど手放した本。
でもすごく気になっていて、図書館にあるのが(本当の利用という意味で)嬉しい本。
再読して気づく点は多々ある。一回めでわからなかった意味、読み落としていた人間関係など
別の視点で読めてくると何倍も楽しめる。

ネグレクトに近い状況で育った二十歳すぎの主人公が
シングルマザーで1歳の幼子を育てながら自己実現というかカフェをつくって、
という枠組みだけでいったらよくありそうな話なのだけれど、
「女が子どもを育てる」というのがどういうことなのか、
母性は女性に必須の感情なのか、母性の欠如=人間失格なのか?
というような本質的な問いがちりばめられていてこれもまたスリリングな本。

子どもを育てる、というのはある種「喰うか喰われるか」的な切実な葛藤を含む。
子どもだって必死、だけど親だって必死。
そういう親に巡り合った子どもは大変、だけど生きて、生き延びて。
虐待というわかりやすい言葉からは漏れ出てしまう「何か」がある。

この本についてはまだ結論が出ません、今も読書中ってことです。
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by iwashido | 2016-04-03 05:16 | 読書日記 | Comments(0)

本を食べて生きてゆく。

『羊と鋼の森』宮下奈都をよんでいる。

この題名だけでピンと来た人は音楽通、ピアノと調律師が主人公。
この本のことは、この春の石川県高校入試の国語の問題に
この小説の文章の一部が使われていて、それでよみたいとおもった。
その時は文芸誌に連載中で単行本にはなっていなかった。

小川洋子の「博士の愛した数式」のように、この羊鋼は
宮下奈都の代表作のひとつになるだろうと思った。

主人公に関係するある登場人物がピアニストになると決意する場面で
「ピアノで食べていくんじゃない、ピアノを食べて生きていくんだ」と宣言するように、
「本で食べていくんじゃない、本を食べて生きていくんだ」
と言いたい気持ちになりました。
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by iwashido | 2015-11-09 01:11 | 読書日記 | Comments(0)

「図書」(岩波書店PR誌)恐るべし。

「図書」5月号を読んだ。
岩波書店の底力を感じさせられた(様な気がした)。

まず、巻頭の「ウソ日記」(最相葉月)。ウソ日記、さっそくさせてみたくなる(生徒に)。
それから平野啓一郎の、大学時代の回想と小野紀明先生の「西洋政治思想史」講義の思い出の文。
自分がその授業を受けていたような気分になり、ゾクゾクする。
うーん、受けてみたかったな。自分にとってのこれに近い体験は「言語学」のそれかな。

細川哲士氏の筆による「両界橋の謎~古文書の余白に」もすごい。
橋の名前から始まって、その土地の由来をどんどんたどっていく(舞台は東京の高尾駅近く)。
そしてその結末の文の見立ての確かなこと!
(…腕力で勝った方の意見がその後大勢を占めることになった、と記憶している。)
歴史は書き換えられ続けている。

そしてなんともうならされてしまったのは次のエッセイであった。
「私の遺伝子の小さな物語」。イリナ・グリゴレ。
手術をした後の身体が伝えるメッセージを細胞レベルにまで還元し
また意識は時空を超え、過去(先祖)と未来(ここではないどこか)を行き来する。
科学の歴史を三百年にすぎないと看過する凄さ。
古いしきたりは、中世の慣習は、本当に無知蒙昧の象徴なのか?
白川静の文字学に通ずる、呪術と祭礼の意味を帯びた儀式の文字への影響を思い出させる。

中世がいいと言っているわけではない、古代社会へのノスタルジーですらない、
ただ物事の・文字の起源にさかのぼることを忘れてはいないか、と警鐘を鳴らすだけ。

ギリシア語をよめるようになりたい、と思っていた頃の記憶を思い出してしまった。
今年は貪欲に勉強したいものである(いろんな意味でね)。

人文書、売れない時代にこのような初心者の初心を思い出させてくれる
良質な文章をたくさん載せたPR誌を無料で読めて幸運であった。
「ちくま」も面白く読んでいるけど、かなわない、と思った。
(毎号そう思えるほど読み込んでいるわけではないけど。今回はたまたま。)
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by iwashido | 2015-05-07 23:47 | 読書日記 | Comments(0)

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