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古本LOGOSの 月1,2回古書店。

目に見える 光はいつも 一瞬の幻

1月某日

「幻の光」(宮本輝)を読む。家人が読め、という。
是枝監督の映画は、能登半島支援の一環としてリバイバルされたのを見た。
尼崎と奥能登の風景が交錯する、いまは変わってしまった風景が切ない。

小説のほうが100倍いいよ、と家人がいう。映画では輪島の別の海辺だけど
小説では「曽々木」だ。「窓岩」も出て来る。地名が具体的なだけ、想像力も具体的になる。その地を知るものにとってはなおさら。
そし小説では、主人公の最初の結婚相手(幼なじみ、というか、初恋の相手でもあるような)が自殺してしまったその理由を繰り返し繰り返し考えて、独り言のように「あなた(自殺した夫)」に向かって内面で語る口調で物語は進む。そこが切ない。生まれて三カ月の幼子を抱えて、20代半ばの女性を一人にはしておけないおせっかいな時代だった、地区だった。縁あって奥能登でやはり妻に死に別れ娘暮らす男の元へ、嫁ぐ(再婚する)。再婚しても彼女の頭の中にあるのは、あの日どうして、あなた(彼)は死んだのか、自殺の兆候を見抜けなかったのか、幼子とわたしを残してどうして、と、自分の内奥と存在そのものを問いかけるような独白がベースにある。表面的には新しい夫は優しい、娘も自分を「お母ちゃん」と読んでくれる、自分の息子も義父(👦にとっては祖父)馴染んでいく、裕福とは言えないかもしれないがなんとか暮らしていける、奥能登でよくありがちな家族の一つに見える。
でも主人公の彼女の胸の奥から、亡くなった夫への問いかけが止むことはない、時には寝言で、時には思わぬ時に、知らない言葉が口から漏れ出している、本人も自覚しないうちに。。。

哀しい話だ、でも希望もないというわけでもない、残された人は生きていかなければならない。
能登半島地震から一年ということで、色々な人がいろいろな形で体験を発表している、応援出版のような本も出ている、写真集、体験記、レポート、日記、俳句に短歌、とても良い事だと思う。だけどどれも真実のようでいて他人事のようでもある、他人なんだからしょうがない、地味な地震だと思われているのだろう、コストパフォーマンスの悪い地区にこれ以上お金落とせないと思われているのかもしれない、能登の人はたくましい、だから過剰な同情は無用だ、だけど本当に支援が必要な人には届くようにしてほしい。。。
わたしももう少しこころのさざなみが落ち着いたら、幻の存在生起の光追いかけるような文章を描きたい、外側の描写はいらない、きっと分かりにくい文章になるかもしれない、胸の奥で欠けてしまったなにか、失われた誰かに何かを問い続けるような文章が書けるまでもう少し時間をください。


# by iwashido | 2025-01-31 10:39 | 読書日記 | Comments(0)

1995年1月17日のこと。

1月17日  30年前のことを思い出してみる。
そのころ金沢に住んでたわたしと夫と1歳の息子(当時)は、金沢駅から特急北越に乗って新潟の実家に帰省する予定だった。その早朝に鈍い揺れがあった。けっこう長かった。「北陸は地震が少ない」と信じていた自分はビックリしてテレビをつけた。阪神方面。大阪や兵庫。通過地点という記憶しかなくて。何処か他人事で、でもとにかく金沢駅に向かってみることにした(出来れば帰省はしたかったから)。新幹線などできる前。北越でちょうど三時間着く駅まで。

案の定、大阪方面からの特急、関西方面に向かう特急は軒並み運休で、駅には多くの人だまりができていた。でも、北越は、金沢始発で新潟着だから大丈夫ではと思って駅員さんに聞くと、一つ前のは、運休した。次のがどうなるかは状況を見てまたお知らせします、と言う感じ。今より危機管理体制は緩い時代だった。そして少し待っていると、北越、動くみたい…電光掲示板に表示が…うそでもなんでもいい、とにかく乗っちゃえ、と自由席特急券買って家族三人とボストンバッグ持って乗った。まだ携帯電話一人一台なんて夢にも思わなかった時代。駅ホームの公衆電話から実家に電話し、少し遅れるけど、動きそうな電車に乗ったから向かうね、と伝えた。


実家に着くと、父はずっとテレビを見ていた。倒壊したビル、折れた高速道路、燃え上がる火の手、なんなの、何が起きているの、情報はラジオかテレビ見るしかなかった。この頃がわたし的には時代の最長点だったような気がする。村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』の最初に収録されている作品で、妻がずっとテレビの地震のニュースを見続けて、突然いなくなり離婚届が送られて来る展開が今ならよくわかる。本当に天災というのはある日突然降って来て根こそぎ生活を失わせて命まで奪っていってもう取り返しのつかないギリギリのところまで人を追い込む。生き残ったのは奇跡、生きて居るのも奇跡、明日が来るか来ないかわからない、ほんとうはみんなそういう存在生起の尾根づたいにギリギリの生を生きて居るのに、予定や約束や未来が手形のように発行されてなんかなまるぬいお風呂に入るような日常が続くと思っている。
わたしの還暦は、大地によってセレブレーションを受けた。祝福なのか呪いなのかは現時点ではよくわからない。一年たったいまでも、30年経ったいまでも、地震には敵わないのだな人間、と思うしかないと思っている。
ミミズでもかえるでも、雉でもヒヨドリでもいいから、どうか地球を救ってください。奇跡は起こるのだろうか…先行きの見えないこの世界で。

その時その時でもちろん紆余曲折や浮き沈みはあったのだが、

トータルで考えると、地震によって私の場合は古いタガが外れ、どちらかと言えば良い方向に向かおうとしている、向かうしかない、舟出したアイルランド難民のような気分かもしれない。。まだ見ぬ新大陸を目指して、漕ぎ続ける。

1995年1月17日のこと。_c0107612_09155454.jpeg


# by iwashido | 2025-01-21 09:16 | 朔のつぶやき | Comments(0)

この月が 人生最期になろうとも わが生き方に 悔いはないのか

1月某日 十四夜らしい。
この月が 人生最期になろうとも わが生き方に 悔いはないのか_c0107612_17555751.jpeg
台所から何気に撮る(iPad)。今日、キジが鳴くのを聞いた。2回も。
久しぶりに聞いた、この前は運転する車の前を走って行った。もしかしたら家の庭に巣を作っているかもしれない。
キジが鳴いたからと言って、すぐ地震が来る訳ではなかろうが、去年の元旦の地震の前にはよく鳴いていた。また鳴いてるよ、近くにいるんだね、そんな気楽な感じで。
だから、怖い。自分の中では雉🟰地震🟰台所、の等式が成り立ってしまった。
刷り込まれた、洗脳だ、恐怖はこうして見えない敵を作る。
雉に罪は無い、むしろ人間が愚かなのだ。

今日が最期になろうとも、、、それがなまじ言葉だけではないことを身を持って体験したから、本当にあの日思いもよらぬ終焉を迎えた生の証がたくさんある。だから、生きているだけで奇跡だ。それなのにまいにち毎日、何かくだらないことに腹を立て、暴言を撒き散らし、ヒトに喰ってかかるような発言をしたり(メールのやり取りなどで)。こういうところに人間性が出てしまうのだ。心狭いのだ、世間知らずの理想主義者なのだ。

病気の治療で不安になっている友人から「年賀状しまいします」という賀状が届き、その時点では病気のことなど知らなかった私は迂闊にも、それ揶揄するような返事を書き、病気治療中、、、ということ知らされたのであるが、、、
何事に波風立てず、年上をたて、刃向かわず、従順に流れを読むことがよしとされるこの社会で、争い、はむかい、事荒げ、平気で正論を振り回してきた。その挙げ句がいまだ。
なんかもーどーでもよい、という境地である。この月を見ていると。
🎵 十四番目のー 月がー 一番好き〜🎶(by ユーミン)

# by iwashido | 2025-01-13 18:12 | 朔のつぶやき | Comments(0)

蜜柑

1月某日  年賀状1枚85円って高いと思いますか。
      わたしは何百枚も書くわけではないし、紙派なのでとくに高いとはおもわない。印刷する手間やインク代を考えたら、記念イラスト入、寄付金付きでもいいと思い、今年はそれを使った。余裕をもって準備できなかったので、結局年始もかなりすぎてから、最初はお返事を、それからはいろいろ考えたけれど、去年なんらかの形で具体的に助けてもらったよおもえるひとに送った。多少の漏れもあるかもしれない、誤解や行き違いもあるだろう、メディアの主流がSNSやLINEに移っているのもわかる、しかし、童に恋文を託した平安時代から変わらぬ紙に書いた何ものか(文字)に届けるという行為は、尊いものだと思う。というかどうわたしはLINEの類が苦手なのだ。。。

公式とか常識というものが大いに崩れていると思う、建前もホンネも混ぜこぜだ、書きやすいメディアツールが繁盛するのもわかる、しかし言葉は安易に他人に譲り渡すべきではないというのが私の考えだ。このブログだってFBだって何ものかにチェックされているのだ、先日ある写真をUPしたら、NGになった、、、初めての体験。

そうそう、「蜜柑」だ。芥川龍之介の「蜜柑」を読んだのは、何かの短編集か、模擬試験の国語の設問だったろうか。短い中にぎゅっと詰まった状況描写と心理描写。ああ、こんなふうに蜜柑が、鮮やかに鬱屈した精神を裏返す。時代背景もあるだろう、いまここまでくっきりとした体験を出来るか。鈍行電車さえ四人向かい席は稀になった、窓だってあくかどうか、インドで荷物置き場所にまで人が寝そべっていたあの無秩序はいま日本の都会にはないだろう。。奥能登は、いままさに混乱だ。表面的には、一部分では通常モードに変えりつつある。でもそれはやはり一部なのだ。皆、数字を見て安心する、一次避難所が閉鎖されたとか、仮説住宅の充足率が何%とか、水道復旧率がどうのこうの。 みんな紙一重のところで正気を保とうとしている、危うい雪山尾根歩きのようなものだ。でも、最悪の状態に比べればまし、あの地区に比べればマシ、家があるだけ幸運と思おう、そう思うと泣き言も言っていられない。比べるな、他人と比べるな、
自分の持っているささやかな幸運を支点にしてなんとか日々を保っている。。。

そうそして、私にとっての蜜柑は、ヒヨドリが食べに来るみかんのこと。誰かにもらったか、取ってきたか皮に斑点や焼けがある小ぶりのみかん。食べたら甘いのだけれど、剥くのが上手くいかないから半分に切って、庭の木の枝にさす。すると、いつの間にか、もしくはけたたましい鳴き声とともに鳥がやってくる。どこにでもいるヒヨドリだ。
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この子達が、チクチクと、つむつむと、なんとも言えない擬音語でみかんの実を啄むのを見るのが、わたしに取っては芥川が「蜜柑」という小説の中で描こうとした、作者の思い上がりないしは他者への眼差しをひっくり返すにも等しい喜びを運んでくる。人間なんてちっぽけだな、と思う。自然の営みに比べればささやかなことしかできないのに。わたしにとって去年は大地の地震によって祝われた(乃至は呪われた)一年だった。今年はそれにお返しするような気持ちで、ベクトル別のほうへ持っていきたい。埋もれる前に逃げろ! なのである。
けっきょくこのような↓食べ物かアルコールに救われるしかない人間の性。
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# by iwashido | 2025-01-12 13:34 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

何もしないを充分に過ごして 闇癒やす

1月某日  去年は地震で見ることが叶わなかった「箱根駅伝」をテレビでがっつり観る。アラームを7時少し前にセット、8時のスタートまでに頭を少しスッキリさせる。とは言え身体は横たわったまま。お雑煮作ってあげたいけど、ちょっと待ってね、3区までは見たい。だいたい2区は外国人ランナーがかき回すけど、結局は落ち着くべき順位で往路フィニッシュ。早稲田、中央などの伝統校に加え三大駅伝1位を目指す國學院など、毎年様子は変わるね。わたしの推しはナス紺の東洋大。兎に角シードは譲れないよね。
なんだろうなんだろう、何もかもやる気にならない。でもこの隠れ家があってよかった。申し訳なく思うけれどこの場所は良い。静かで、隣近所を気にせず、隠れ家のように使える。ほんとうにほぼほぼ寝ている。。娘の風邪が少しうつったか。地震以後、ちょっと無理し過ぎたか。あまりに駆け足であった。現実を正視できない.マスコミの報道も、ここぞとばかりに「能登半島地震から一年」を伝えてくれるけれど、多くの人にとっては他人事だよね。わたしだってそうだったもの、阪神淡路大震災だって、東北の地震だって。当事者になってみなければわからないことがある。家族の中でさえバラバラ。わたしはどうしたいのだろう。古本屋だってやりたいことなのかどうか。もう重いものを持ちたくないなぁ。本を読む気にもならないなぁ。車に積んである本を交換会用に組み直すことさえ出来ない。数少ない郷土図書を求めてくださるネット通販のお客様からの注文に対応することだけが生きる希望になっている。 
まあ「お正月を珠洲以外の場所で過ごす」という目標が達成できたから、いいか。
とても怖くて、一週間はあの場所に戻りたくない。

1月某日 今日が何日の何曜日なのかよくわからない。新聞とってないから。コンビニまで買いに行くのも億劫。歩いて行ける範囲にあるのだけれど。テレビの番組表示でなんとか。んHKの再放送などを見る。バタフライエフェクト、日本の戦後政治の三大偉人、吉田茂(ですよね?)、岸(田?)信介(故安倍元首相の祖父)、田中角栄の足跡を辿る。。。玉音放送、満州や韓国からの帰国、進駐軍との駆け引き、「象徴(Symbol)」というタイプされた英単語、巣鴨プリズン、日本列島改造論などなど。。
戦後の焼け跡の映像が、能登半島の今に重なる。あの時は、日本中が敗戦後だった、多くの町で同じ様に傷があって皆が叩きのめされて立ち上がっていった、でも能登半島は。広い日本のほんの一部でしかない。しかもかなり特殊な。もう家制度なんか解体しちゃえばいい。土地も財産もいらない。みんなが好きに生きればいい。吉田茂の「日本人には議会制民主主義がせいぜい、民主主義のなんたるかがわかるようになるには時間がかかる。。。」(脳内思い出し再生、違ってるかも)といったことに納得。だから今の日本なんだな。
ちょっと何もやる気にならず、お風呂入って布団敷き直し読書してたらねむくなる。
図書館に本を返しに行こうかな、と思ったけど引きこもりモードが勝つ。
夕方5時のサイレンが聞こえたので、テレビのある部屋に戻り、スイッチ入れるとなんだか見たことのあるイラスト..アニメだ、あれだ、『スキップとローファー』‼️
何もしないを充分に過ごして 闇癒やす_c0107612_20094564.jpeg
んHKでやるって番組紹介は見たな。5日っていうのは今日だったのか。しかもEテレにちょうどあっていたので、学校へ向かって走るシーンから見ることが出来た! マンガは、全巻持っていたけど、去年、避難所になっていた学校の体育館に寄付してきて、そのままその小学校の蔵書になったはず(担当司書さんの判断と私の合意により)。これはちょっと勇気もらえるな。イカジマ町出身の、ミツミちゃん❗️ 君たちは今の奥能登の希望の星だよー( i _ i )
昨日の『ミステリと言う勿れ』(映画版テレビ初放映)も見られたし、ダラダラテレビもけっこういいね。そう思いながら、これから作ったカレーを食べるのである。「日曜美術館」の、私フェルメール、の若き谷川俊太郎の顔とフェルメールの絵を見ながら。


# by iwashido | 2025-01-05 20:12 | 読書日記 | Comments(0)

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