1月某日 久しぶりにゆっくり新聞読む週末。
「北陸中日新聞」記事によれば、北陸や能登の文化財にも大きな被害が出ている模様。人が生きるか死ぬかのギリギリの生活水準にも満たないプライバシーもない避難所で、食べ物が当たる(配給される)だけで満足、という謙虚な老人から、家が潰され仏壇も位牌も取り出せず着のみ着のままで避難所暮らしに突入した人も大勢いる。でも、何より大切なのは、人としての生きる尊厳だ。
二次避難が推奨されている、それはわかる、でも、例えばチェルノブイリ原発事故のときのことを思い出してみよう、すぐ戻れるから、とバスに乗せられそのまま二度と故郷に戻ることが出来なかった人はいなかったか。かとおもえば、『チェルノブイリの祈り』に出て来るように、被爆した夫の側を離れようとしなかった妻の話、この人はもう人間のレベルではありえない放射線を浴びたのですよ、あなたが近づくことは危険です、と言われてもこれは私の夫なんです、どうしてそばにいてはいけないの? と訴える妻を愚かな、と言えるだろうか?
珠州ー金沢間を昨日日帰りで往復した家人が言う、昔は海沿いの249号しかなかったから、この海沿いの道をひたすら走って金沢行ったもんさ、途中のドライブインでエビフライ食べてさぁ、美味かったな。昔から人が通った道は強いね、残っている、でも山を切り崩し、土盛し強引に橋をかけてつないだ道は今回の地震で殆ど崩れたね、徳田大津から横田まで開通したとはいえ見るに耐えない崩落が各所に。
私にはよくわからないけど、ちょっと何もかも急ぎすぎだ。能登から金沢まで三時間半かかってもいい。洗濯は雨水を溜めて手洗いすればいい。排泄は循環するように畑か、コンポスト式トイレを作ればいい。皆が温水器便座なんて、それが世界水準なの?
大切なのは自分の尊厳は自分で決めることだ。空気読むな、異分子になれ、安易な同調には要注意、足並みを揃えるな、Individual であることになれない日本人には酷な話しか。またお国のため、と同調するな。歴史に学ばず、古典を疎かにする国は滅びるだろう、この国のように。