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古本LOGOSの 月1,2回古書店。

新しき誕生への胎動は、痛みが伴うのだ。

1月某日 晴れ。洗濯日和。
 最近投稿があまりにも深刻ぶった、ふた昔以上前のインテリゲンちゃんのようになってきていたので、反省。
FBは楽しい話題を提供するところでしたね。
 朝のラジオニュースで、ガザ地区避難民の様子を聞けば、今の自分がいかに恵まれているか分かる。新鮮なペットボトルの水が週に一本、食べ物を運ぶトラックは通常の十分の一以下、井戸はあるが油臭い、海はあるが、塩からい。。。それに比べれば。空爆もない。地震なら仕方ない、と諦めもつく。
この状況を笑い飛ばすために、宮藤官九郎さんに「あまちゃん2」を作ってもらうしかないのではないか。母親になったアキ(のん)が、海女の交流で輪島に来る、舳倉島などでアワビを取ることに目覚める、そして大地震に遭遇。焼け野原になってしまった朝市通りや、のと鉄道の復興、船の文化の復活などをドラマにするのだ。もちろん、さかな君にも、登場していただきましょー💕 ギョギョギョー、のジェジェジェー、である。
朝の冷たい光の中で、本棚を立て直していたら、まだ捨てたくない本がやっぱりあることに気づいた。本はやはり背表紙を見せて、キリリと立っている方がいい。良い倉庫は良い佇まいをしている、と言っていたのは誰だったろうか。。。


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すべての

# by iwashido | 2024-02-01 21:13 | 朔のつぶやき | Comments(0)

人間は 大地に喰われるほど 自由だ。

1月某日 晴れのち曇り
 午後、犬の散歩で海のほうまで行ってみた。浜の畑、義母が白菜や大根を食べきれないほど作る畑。そこまで津波が来たとみえて、大きな柱や材木が来てたとダンナは言ったけれど、私が行った今日の時点ではめぼしいものはなかった。流木アート、作りたいよね。隣の畑の敷地に大きな緑色のガラスの浮き玉があって、あ、ー欲しい! って思ったけど、片手には犬の紐、片手には大根二本(義母の、盗んだわけではない)と杖もをっているからこれ以上は無理だな。
 立山連邦が雲間に見える、天気は下り坂なんだろう、何も変わらない風景がある一方で、倒壊した家、一階部分が潰れた家屋、道路の段差、微妙な亀裂などがあり今また津波きたらイチコロだよなーとも思う。でももう、生も死もそんなに変わらないような気もする、もうどこにも行きたくなくて、だんだんひとが少なくなる集落に留まってここがどうなって行くのか見届けたいような気もする。
藤原新也か、土門拳のような写真家がいま珠洲にくれば、ーいい写真たくさん撮れるだろうに。。。。
人間は、犬に喰われるほど 自由だ。

# by iwashido | 2024-02-01 21:09 | 朔のつぶやき | Comments(0)

三四郎が 言われた言葉を 思い出す。

1月某日 久しぶりにゆっくり新聞読む週末。
 「北陸中日新聞」記事によれば、北陸や能登の文化財にも大きな被害が出ている模様。人が生きるか死ぬかのギリギリの生活水準にも満たないプライバシーもない避難所で、食べ物が当たる(配給される)だけで満足、という謙虚な老人から、家が潰され仏壇も位牌も取り出せず着のみ着のままで避難所暮らしに突入した人も大勢いる。でも、何より大切なのは、人としての生きる尊厳だ。

 二次避難が推奨されている、それはわかる、でも、例えばチェルノブイリ原発事故のときのことを思い出してみよう、すぐ戻れるから、とバスに乗せられそのまま二度と故郷に戻ることが出来なかった人はいなかったか。かとおもえば、『チェルノブイリの祈り』に出て来るように、被爆した夫の側を離れようとしなかった妻の話、この人はもう人間のレベルではありえない放射線を浴びたのですよ、あなたが近づくことは危険です、と言われてもこれは私の夫なんです、どうしてそばにいてはいけないの? と訴える妻を愚かな、と言えるだろうか?
 珠州ー金沢間を昨日日帰りで往復した家人が言う、昔は海沿いの249号しかなかったから、この海沿いの道をひたすら走って金沢行ったもんさ、途中のドライブインでエビフライ食べてさぁ、美味かったな。昔から人が通った道は強いね、残っている、でも山を切り崩し、土盛し強引に橋をかけてつないだ道は今回の地震で殆ど崩れたね、徳田大津から横田まで開通したとはいえ見るに耐えない崩落が各所に。
 私にはよくわからないけど、ちょっと何もかも急ぎすぎだ。能登から金沢まで三時間半かかってもいい。洗濯は雨水を溜めて手洗いすればいい。排泄は循環するように畑か、コンポスト式トイレを作ればいい。皆が温水器便座なんて、それが世界水準なの?
 大切なのは自分の尊厳は自分で決めることだ。空気読むな、異分子になれ、安易な同調には要注意、足並みを揃えるな、Individual であることになれない日本人には酷な話しか。またお国のため、と同調するな。歴史に学ばず、古典を疎かにする国は滅びるだろう、この国のように。
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# by iwashido | 2024-02-01 21:06 | 朔のつぶやき | Comments(0)

やっぱり古本屋。

1月某日 雲
 氷見まで行ってきた。催事搬入が昨日だったことを思い出し。
ダンナに会社休んでもらって、軽ワゴンで。
 本棚も三度倒れるともう立て直す気力はない。そうだ、この絵本をぜんぶ売っちゃおう! そう思った。どうせ通販も再開できないなら、ここにガラクタのように積んである本を、売りに出すのだ。値段もテキトー、ただ、ガラスの破片がないかだけ、確かめて。
 珠州の人は今、本にお金を払おうとは思えないだろう。それよりも、暖かい居場所(図書館、やってましたよ)、お風呂(銭湯再開、自衛隊風呂も)、キレイなトイレ、お湯で洗顔、プライバシーの守れる空間、などが最優先。
 氷見まで約3時間、道路は日に日によくなる、でも「氷見でお風呂入って、回転寿司」の時間はなかった。値段もつけたかつけてないかわからない本、ワゴン一台でも充分な量、相変わらず準備不足な棚。
 写真を撮る気にもならない、参加することにしか意義はない、お金もいらない、ただゴミになるくらいなら、10円でも100円でも売って死にたい。関東大震災の後の、岩波某氏のようにはなれないだろうけど。珠州で古本屋をやってる意味なんて、誰にも理解してもらえないだろうけど。
いま、今しかないのだ。未来なんて、仮想通貨に等しい。

すべてのリアク

# by iwashido | 2024-01-29 10:43 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

本のない世界で生きることを強要されることが、意味するものは。

1月某日 
 
 年末前からなぜかずっと読んでいた本、『溺れるものと救われるもの』。イタリア系ユダヤ人で、アウシュビッツを生き延び、多くの著作を書いたのちに自殺した人。化学者でもあった。今回の震災や避難所生活を、彼の文章から(私が)想像するアウシュビッツに似た空気を感じる瞬間は何度もあった。例えば、炊き出しの配給に並ぶとき。トイレのやり方を指示される時(それ自体は、清潔を維持するために必要で、その掃除や始末をする方の苦労には頭が下がる)、誰がいい場所にいるとか、あの人ばっかり毛布たくさん持ち込んで、とか。とかく悪目立ちした。アニマル仕様のスリッパ履いたり、花柄のエコバッグ持って配給に並んだりさ。みんな同じが好きなんだね。私は空気読めない人間だしね。

(以下引用、文ははプリーモ・レーヴィ/竹山博英 訳)
「…私には教養は役に立った。いつもではなく、時々、潜在的な、予期できないような形でだったが役に立ったし、おそらく私の命を救った。(中略)…
 当時、あの場では、それ(印刷された紙?)は非常な価値があった。それは過去との絆を再構築し、忘却から救い出し、私のアイデンティティを強化してくれた。(略)レイ・ブラッドベリの『華氏四五一度』を読んだり、映画を見た方は、本のない世界に生きるよう強制されることが何を意味するか、その世界で本の記憶を持つことがいかなる価値を持つか、思い描くことができるだろう。私にとってラーゲルとはこうしたものでもあった。。。。」
(以上『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ/朝日文庫、6.アウシュビッツの知識人より引用)
 やっぱり本は必要なのかも。本、というか、本に印刷された価値のある言葉が求められている。力のある言葉は、いつかわたしを救うだろう。
発掘して来た本たち。避難リュックに入りきれない。。。
日記、本、テキストの画像のようです


# by iwashido | 2024-01-29 10:34 | 朔のつぶやき | Comments(0)

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