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LOGOSさんの月に1,2回古書店

一冊の本に。

某月某日、某書店にて。

暇つぶし、もしくは微妙な時間調整のために書店に立ち寄る。
まずは隔週刊雑誌の連載チェック、一回読んだはずだけど再度なぞる。
ほかにも気になる月刊誌の連載などもブラ読み。

別に買わなくてもよいのだけれど、書店にきたら何か買わねば、と思ってしまう。
もちろん買う気にならない売り場もあるけど基本は応援(すでにボランティア的気分?)。
しばらく出ていなかった定期購買中の連載コミックの最新刊、買ったか買ってないか
しばし迷って、やっぱり買ってないと判断し購入するつもりで1冊抜く。

このままレジに行ってもいいのだけれど、コミック1冊というのもしゃくなので、
何か面白そうな文芸書があれば、と思って単行本の棚を見る。
とはいえ、売れ筋の本なら借りて読めばいいとか思ってしまうし
話題になっている本はすでに読んだり、読んだ気になっていて購入するほどでもない。
ちょっと気になる題名もしくは著者の本が並んだコーナーがあったけど、
よく読めば過去の遺産の再編集だったりする。

うーむ、と悩み、文庫コーナーへ。
ガツンとさせられる本が読みたいなら岩波文庫かな~と思いつつ
新潮文庫の棚の前で足が止まる。”村上柴田翻訳堂”の文字が目に入る。
挟み込みチラシで見ていたこれは、文庫だったのね(ハードカバーと思っていた)。
文庫なら1冊買ってもいいやと、村上堂のほうを1冊抜く、
そしてその隣というか、流れとして「む」の棚を見る。
これだって再編集本なんだけど、とった本の、開いたページの文字に目が釘付け。

「図書館の話をしよう。・・」

え、図書館? なんでここで図書館?
でもこの人のいう”図書館”って興味あるし。

「僕はそこに行けばいつでも、自分のためのたき火を見いだすことができた。」
「図書館とは、もちろん僕にとってはということだけれど、「あちら側」の世界に
通じる扉を見つけるための場所なのだ。」

これだけで即決、買いましょう、レジに進む。
ちなみにその本の署名は「村上春樹 雑文集」新潮文庫。
思いっきり再編集本なのだけれど。

役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そういうことは
本質的ではなくてもいいのだ。図書館とは本来(かどうかわからないけど)
ある種の人にとって「あちら側の世界への通路」もしくは「小さなたき火」だったのだ。

ここ数か月の迷いや悩みが吹き飛ぶほどの、
完璧な(私にとってはということだけれど)定義を見つけてしまった。
少なくとも自分の立ち位置をよくわからせてくれる手助けになりました。

ありがとう、本屋さん。
ありがとう、新潮文庫。
そしてありがとう、村上さん。
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# by iwashido | 2016-04-24 08:27 | 読書日記 | Comments(0)

危険なカーブ、もしくは断崖絶壁の間一髪回避。

奥能登の桜も散り始め。
今日道の脇に、今まさに満開の一本の桜を目に楽しみ、今年の花見終了って感じ。

桜の花が咲くのが嬉しいとは思えなくなるほどやさぐれた春でした。
いつまでも2月であればいいのに、と思うような春でした(2月は好きな月なのです)。

原因は? 人から見ればささいな、でも自分にとってはかなり致命的な一言で
世界のすべてが崩壊しかけた。
この人(たち)は、私の何を見ていてこういうことをいうのか?
仕事の本質ってなんなの? 人生の生きる意味は? 
そちらからみれば良かれと思っての提案だったのでしょうが
それは私の(仕事の)存在意義を否定しかねない本質的なミスリード。

もしあそこで、(偶然だったかもしれないけど)友の助けがなければ
精神的に潰れていたかもしれません・・・それくらいの激震でした。

今回の一連の出来事で少し、社会の事を学びました。
組織で大切なのは「ハーモニー(調和)」。それを乱すことは得策ではない。
一人で頑張ってどれだけ成果を上げたと思っても、全体の中での正しい位置づけがない限り
成果は認められない、もしくは認められにくい。意味がないわけではないが、理解されるのに時間がかかる。
私が見ている世界と、私以外の人が見ている世界は違う可能性がある。
この世とあの世の境目は実に曖昧。そんなに遠くへだったったものではない。
一歩間違えれば誰もがそのカーブを曲がりきれずに向こうへ行ってしまう、
人間とはそれくらい些細なものです。

言葉は、光です。
海に潜って拾ってくる真珠のような言葉を、
書物の中から拾い上げましょう。
本に潜り書物に潜り、それぞれがそれぞれの真珠をつかめますように。

今日はどの本に潜水しましょうか。
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# by iwashido | 2016-04-16 23:49 | 朔のつぶやき | Comments(0)

本を読むということ。

自分がもっている本が図書館にあると嬉しい。
あ、こんなマイナーな本でも置いてある、ニーズがあるんだ、とにんまり。
先日別の本を探していて、自分のお気に入りに本を図書館で見つけた。
『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス/筑摩書房、2011)。
作者はドイツ人だが、フランス語で書かれた、ギリシア(エーゲ海)の島の女性の物語。
この本出版されてすぐ読んで、もちろん買って持っていて(今も)、
主人公の女性と自分を重ねて読むほどに気に入っている1冊。
地味な話であるが、感情移入できればエキサイティングに読める。

もう1冊は『雪と珊瑚と』(梨木香歩/角川書店、2012)。これは買ったけど手放した本。
でもすごく気になっていて、図書館にあるのが(本当の利用という意味で)嬉しい本。
再読して気づく点は多々ある。一回めでわからなかった意味、読み落としていた人間関係など
別の視点で読めてくると何倍も楽しめる。

ネグレクトに近い状況で育った二十歳すぎの主人公が
シングルマザーで1歳の幼子を育てながら自己実現というかカフェをつくって、
という枠組みだけでいったらよくありそうな話なのだけれど、
「女が子どもを育てる」というのがどういうことなのか、
母性は女性に必須の感情なのか、母性の欠如=人間失格なのか?
というような本質的な問いがちりばめられていてこれもまたスリリングな本。

子どもを育てる、というのはある種「喰うか喰われるか」的な切実な葛藤を含む。
子どもだって必死、だけど親だって必死。
そういう親に巡り合った子どもは大変、だけど生きて、生き延びて。
虐待というわかりやすい言葉からは漏れ出てしまう「何か」がある。

この本についてはまだ結論が出ません、今も読書中ってことです。
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# by iwashido | 2016-04-03 05:16 | 読書日記 | Comments(0)

亡き祖母の教え。

実家の祖母はもう15年以上前に他界したのだが、
それなりに含蓄の深い人だった。
冗談と嫌みの中間のようなつぶやき、というか苦言?をよくしてくれた。
私がよく言われたのは

「水清ければ、魚住まず、と言ってな・・」

何が言いたかったのか、今ならよくわかる。
昔から(今でも?)青くさい理想を掲げ、正論を押し通し、だってこっちが正しいじゃん!
と譲らなかった。友達なんていなくても平気だった。
私は私、一人でわが道をずんずん進んでいった。
でもその先は、行き止まり。
今ならそのことの愚かさが、よくわかっていたはず、だった。

つい最近、またしても同じ過ちを犯しそうになり、
いや犯していたのかもしれず、自分では正しいと思っていたことが
じつはとんでもない思い間違いだったようなコペルニクス的転回に遭遇した。
これはけっこうなショックであった。

結局のところ、あまりにもきれいな水には、雑多な魚は住めない。
山の清流には岩魚か鮎しか住めないように。いわしなんて住むどころじゃない(ちょっと違うか)?

システムの中で、組織の中で、何かを変えていこうとしたら時間がかかる。
たった3年で何かができたと思っていたのが間違いだった。
私には何も見えていなかった。
今までかかわった人たち、ごめんなさい。

夢の中で、生徒が図書カードを持って本を借りに来てくれた。
これは何よりのGOOD NEWSである、と思いたい。
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# by iwashido | 2016-03-27 11:49 | 朔のつぶやき | Comments(0)

草に座れば

八木重吉の詩集にたしか、
「わたしの まちがいだった
 わたしの まちがいだった
 草にすわれば それがわかる」みたいな詩があったはず(ちがっていたらごめんなさい)。

私は今日、己の大いなる過ちに気が付いた。

それは高校生が主体的に(地域交流的な授業の一環で)取り組んだ
公共図書館での活動として行った、「読み聞かせ」の場面。
男子二人が、読み聞かせ担当になったと、私のところにきたので、
最低限のルール(本の持ち方、題や作者も読むこと、終わったら表紙もみせる、等)を教えて
絵本の読みあいをして、思っていたよりセンス良いことを実感して当日を迎えた。

遅れて行った会場になっているミニ児童室の畳の上には
2歳前後の幼児数人と、お母さんと、高校生がいた。
テーブルの上には私が選書しておすすめ、とした絵本が表紙を見せて並べてあった。
「どう?」と聞くと「もう何回も読んでもらってる子がいる。気に入ったみたい」とのこと。
その時はちょうど『おおきなかぶ』を読んでいたが、なんだかいい感じである。

それは別に「おはなし会」と名うった、それだけの行事じゃなくて、「高校生と遊ぼう」みたいな、
手作りボーリングや、輪投げや、工作(紙飛行機づくり)や、読み聞かせをそれぞれ体験して
シールを集めて、4つのシールで景品がもらえるという、地域ふれあい事業みたいなものだった。

担当だった二人の男子以外にも、子どもらに(ごく自然に、弟に読むように)絵本をよんであげている子も
いて、彼らはきちんと、2歳か3歳の幼児の名前をよび(名札を作ってポイントカードにしていた)、
○○ちゃんはこの本読みたいってさ、とか、×○ちゃん2階に行く? とか、コミュニケーションをしていた。

すべてがものすごく自然だった。無理に並ばせて座らせて「読み聞かせ」タイムですよ、というような
押しつけがましさもなく、何の本と何の本を何分以内に読まなければ、という強制力もなく、
本来、本というのはこういうふうにして体験していくのかも、と思わせる自然さが満ち満ちていた。

本と言えば「何冊」とか「書誌データ」とか、今日は何冊かりられて、何冊帰ってきたみたいな数字ではなく
本と人が自然にリンクしていた。

私はこうやって自分の大いなる過ちに気が付いたのだった。

私のまちがいだった・・・・。

自分のやってきた、無理をした「読み聞かせ」も、いつまでたっても人の名前をを憶えない貸出態度では
利用者が満足するはずないのだった。
本当に愚かな自分である。
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# by iwashido | 2016-02-20 22:06 | いわし洞文庫 | Comments(0)

さよならとありがとう。

立春を前後にいろいろなことが動いている。
ゼロ金利政策。大臣の辞任。病の兆候と快癒の兆し。
そして、4年前1回だけお会いしたあの方の訃報が。

森のイスキアの佐藤初女さん。94歳。2月1日に他界、と2日の新聞で知る。

4年前の今頃、その前に流してあったFAXでの、宿泊問い合わせに対する電話が
唐突にあって、いつもは出ない(FAX専用的に使っているので)のにその時は
ちゃんと受話器を取った。そしたら、イスキア事務所のスタッフさんから
「5月〇日からならご予約受けられますよ」みたいなことを言われてびっくり!!
もちろん行きますと、即答したのが昨日のことのよう。

雪の残る連休明けのイスキアで食べた食事と、おにぎり教室と、
初女さんのあたたかい存在感は決して忘れません。

もう一度お会いしたかったけれど。
たった一度でも、会えたことは宝物です。

さようなら、そしてありがとうございました。
私はそのような愛を、周囲の人に伝えられる人になれるかしらん。。。
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# by iwashido | 2016-02-05 11:50 | 食べものとかいろいろ。 | Comments(0)

あしあと。

車にむかって、放物線上にあしあとが。
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あけてびっくりボンネット。
中には隠したのか、くし柿が!!
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犯人は誰だ?
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# by iwashido | 2016-01-24 17:06 | 季節のできごと | Comments(0)

あけましておめでとうございます。

2016年明けました。
おめでたいのかどうかはよくわからないけど、とりあえず
「あけましておめでとう」。
年賀状も今年は無精していたので、今から出す方もいるようなていたらく。

年賀状辞めました、という声も数年前からぽつぽつ聞こえてきて、
確かに面倒な部分もあるし、経費もかかる。
世の中の主流はもっと手軽で、一見パーソナルで、無料(的な)ほうに傾きつつまる。
でもその「無料」がホンとに無料なのかは考えた方がいい。

私は枚数を押さえつつ年賀状は継続したい方針。
あの小さいハガキに何を書くかは一種の表現として楽しみたい。

またFBなどもはじめてはみたけれど、どうもFB的コミュニティのノリというか
雰囲気にいまだなじめず、あまり人に知られたくない部分もあり
友だちもそんなに増えず地味なユーザーのままです。
あの見せ方上手、「いいね」の数争いみたな雰囲気は苦手です。
(もちろんメリットもあるのですが・・・)

そういう意味ではブログは気楽だ。
だれが読んでいるかもわからないのだけれど、なんとなく読んでいる方もいるようで
人の反応を気にせず自由に書ける。
時代遅れかもしれないけど、ブログ好きかも。

今、アナログレコードがじわじわと売り上げを伸ばしているという〔微々たるものらしいけど)。
いつか「古本」「本」にの陽の目があたる時代がまた来るかも。。なんてね~
どうもかなり厳しい戦いになるとは思いますけどね。

今年もよろしくお願いします。
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# by iwashido | 2016-01-04 00:32 | 朔のつぶやき | Comments(0)

満月のクリスマス。

クリスマスですが、特にそれっぽいイベントはなし。
ツリーの箱は出したけど飾る元気はなかった。
子ども巣だったからケーキもなしで、いただきもののシュトーレンだけで満足。
プレゼントは家族同士でささやかに、ごちそうはこれまたいただきもののカニで満足。

本気で生きよう2016年。
もう後戻りはできないし進むしかないってか、人生ってそうだもんね。

実は自分はとっても幸せな場所にいるんだって早く気づけ。
気づかない私へ。

You are the Catcher in the Library, aren't you?
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# by iwashido | 2015-12-25 21:35 | 季節のできごと | Comments(0)

一年終わる・・・

うーん12月も暮れてきた。
どうしよう、時間足りない、何にもできていない。

ここ1週間仕事もけっこう目いっぱいで日常生活に差し障りが出そうなときに
週末が来て救われるパターン。

一番欲しいのは短くても集中して考えたり本をじっくりよんだりする時間だけど
そういうのは浜辺が浸食されるようにどんどん削られていく。

それでもふりかえれば少しずつ課題乗り越えられてきていて
なかなかそれを客観視できない自分がいるだけかも。
今日はお部屋の棚卸(てか要するに掃除片付け、ね)します。

クリアーな気分で新しい年を迎えたいものです。
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# by iwashido | 2015-12-19 09:17 | 朔のつぶやき | Comments(0)

第15回 珠洲の一箱古本市は29日。

11月29日(日) 飯田町 乗光寺にて、珠洲の一箱古本市が開催されます。
時間は10時から3時。出店者も参加者(お客さん)も大募集です!
※乗光寺周辺は路地で一方通行の箇所もあるので、
 できればお車は近隣の駐車場(市役所やシーサイドなど)に停めて
 歩いてきていただくことをおすすめします。出店者の荷物搬入は可能です。

なんだかんだで15回。10回くらいは参加してきたみたい?
覚えている限りの、これまでの開催日時と場所を記載してみます。

第 1回 2010年11月21日(日)  上戸町 永禅寺(ガン寺)<出店>
第 2回 2011年4月24日(日)   上戸町 永禅寺    <出店>
第 3回 2011年8月7日(日)   飯田町 春日神社境内 <出店> 
第 4回 2011年11月23日(祝)  上戸町 永禅寺    <出店>
第 5回 2012年4月22日(日)   上戸町 永禅寺   <出店>
第 6回 2012年8月18日(土)   しいたけ小屋「ひろ吉」
第 7回 2012年10月28日(日)   飯田 わくわく広場 <出店>
第 8回 2013年2月11日(月・祝) 飯田町 二三味カフェ<出店>
第 9回 2013年4月14日(日)   飯田 乗光寺境内  
第10回 2013年7月15日(月・祝) 木ノ浦海岸 海の家<出店>
第11回 2014年2月11日(火・祝) 飯田町 二三味カフェ<出店>
第12回 2014年7月6日(日)   沢野果樹園(東山中) 
第13回 2014年11月24日(月・振休)鉄板でこ(野菜市と同時開催)
第14回 2015年5月31日(日)  ヨダカ珈琲の横(木ノ浦)<出店>

少々うろおぼえのところもありますが・・・
なんだかんだで、年3回くらいは続いてきたのか。
ある意味、すごいですね。
よく探したら出店してない回のチラシが見つかりました(^^)
小さなおうちさんのつくるチラシはとっておきたくなるので。
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# by iwashido | 2015-11-21 11:29 | 一箱古本市@すず | Comments(0)

本を食べて生きてゆく。

『羊と鋼の森』宮下奈都をよんでいる。

この題名だけでピンと来た人は音楽通、ピアノと調律師が主人公。
この本のことは、この春の石川県高校入試の国語の問題に
この小説の文章の一部が使われていて、それでよみたいとおもった。
その時は文芸誌に連載中で単行本にはなっていなかった。

小川洋子の「博士の愛した数式」のように、この羊鋼は
宮下奈都の代表作のひとつになるだろうと思った。

主人公に関係するある登場人物がピアニストになると決意する場面で
「ピアノで食べていくんじゃない、ピアノを食べて生きていくんだ」と宣言するように、
「本で食べていくんじゃない、本を食べて生きていくんだ」
と言いたい気持ちになりました。
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# by iwashido | 2015-11-09 01:11 | 読書日記 | Comments(0)

原点回帰。

いろいろな問題が複雑にからみあい、自分がどうすればいいのかわからなくなることがある。
今はいろんな本や情報が出回り、さがせばどのような答えでも出てくる。
その本を書いた人、考え方を発表した人の立場や思いで、論旨は違ってくる。

そういう時は、原点に立ち返る。そのような考えが出てくる背景になるような、歴史的にも論理的にも
それを照らす光源となるような、おおもとの思想に立ち返ってみること。

例えば今、興味関心が極度に強まっているのは、図書館や本のある場所の定義や役割についてだが、
それこそ百花繚乱、商業施設から古典的な図書館まで十羽ひとからげで語られる。
自分はどのスタンスなのか、ついわからなくなっていた。
でも、呪文のような、魔法のような、原点を照らすLOGOSを手に入れることができた。
それは、図書館学の始祖ともいうべき、ラガナタンの図書館五原則。
限られた26語の単語で図書館の特質を見事に表している。

今回、ある研修会で、その五原則の本質について語られた本を紹介されさっそく読んだところ
最近ずっともやもやしていた思いが晴れるような、霧の中で「こっちに進めばいいんだよ」と
言われたような思いになった。まだ途中ですが、うーん、原理とはこういうことか。
五原則の英文は、ラガナタンがもともとインド出身であることも含めて理解すると
なぜ動詞にあたる言葉がないのかも、よく理解できた。
(続く)
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# by iwashido | 2015-10-21 05:48 | 朔のつぶやき | Comments(0)

冒険する。方違え的に。

ちょっとした認識論的転換。

守っていたつもりが、実は守られていた。
立場の上下は関係ない。人はつねに対等なのだった。

上手くいっているように見えている部分と、そうでない部分。
「上手くいっている」と判断する根拠は何? 数字? それとも本質?

昔の人は、その日の吉方角と、凶の方角を見ながら、
目的の地へたどりつくために、わざと遠回り、う回路を経るという作業ができた。
私たちはあまりにも目的地に向かってショートカット・最短距離を選びすぎているのではないか。
あえて遠回り、あえて逆方向へ向かってみるという冒険があってもよい。

そんなわけで明日は、一日ちょっと冒険(方違え的に)の一日にします。
どこに、なにをしにいくかは今は秘密。

無事帰ってこられましたら(そんな危険なとこいくわけじゃぜんぜんないの(笑))
報告しますね。
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# by iwashido | 2015-10-03 15:52 | 朔のつぶやき | Comments(0)

びっくり。

横浜市教育委員会の、会議の議事録(2015年3月開催)を偶然見つけて、
何気なくPDFを開いたら、びっくりした。

「読書活動における先進的取組事例ヒアリング先」として、以下の2つの文庫が
取り上げられていたのである。

1、いか文庫
2、MAME BOOKS

(議事録は以下のリンクより>

「いか文庫」は、お店も本も持たない「エア本屋」。
「MAME BOOKS」は、散歩する移動式古書店、とある。

このような活動を「アウトリーチ」的読書活動ととらえることができる
横浜市教育委員会は、大変柔軟な考えを受け入れる余地があるのだなあ、とびっくり。

本の可能性、本屋の可能性をあきらめてはけない。
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# by iwashido | 2015-09-17 13:48 | いわし洞文庫 | Comments(0)

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