2022年 09月 10日
美味しいこと、楽しいこと。
理事長から「最近のLOGOSさんの投稿、ダウナーだよね」的な
アドバイスをいただく(FB含む)。そうなの? 自分では心の
ありのままをつぶやいているだけなのだけど、基本的にネガティブだし。
誰がどこで読んでいるかわからないし、取りようによっては人を傷つける
言葉とは、恐ろしい道具であるものだなぁ。
考えるだに、私はあまり「美味しいものを食べたい」とか
「幸せになりたい」と強く願ったことはない(これもいうと嘘っぽ?)。
ものすごい手近な「ツナ缶」や「ポテトチップス」「缶チューハイ」
で満足してしまう人間だ。でもやっぱり、ビール(発泡酒ではなくて)
が美味いなーとは最近思うようになった。
あと、奥能登にニ三味珈琲店がなかったとしたら、もっと早く
出て行ったであろうというのは断言できる。たまに来るにはいい所、珠州。
カレーと素麺で毎日日替わりでもいいような食生活レベル。
こういう人間が家事を毎日こなし、子どもを育てたというのだから
呆れる。これからはもう少し、人生を楽しみたい。
今読んでいる『おや ときどき こども』(ナナロク社/鳥羽和久)
の中に、カウンセラー的な先生から生きづらさを抱える子供(大学生)
へのコメントとして次のような文が載っていた。
「あなたのお母さんはおそらく、子育てにもあなたにも興味がもてなか
ったのです。だから、あなたはとても寂しい思いを抱えて生きてきました
ね。もしかしたら、寂しいという感情さえ知らずに生きてきたと言った
ほうがいいかもしれません。・・・・」(075P)
これ、自分だ、と思った。子育てにも自分にもこどもにも、興味がない
という訳じゃないけど、愛情を注ぐってどういうことか、わからなかった。
だから、こども(特に下の子)には大変申し訳ないことをしたと思うし、
自分自身もまたある欠落を抱えている。親であった自分、子供であった
自分は全くリンクしている。
この欠落を埋めるためには、そこに橋を渡すような行為を何かしたら
良いのかもしれない。何者かになろうと思わず、今のままで十分。
そういう陽だまりのような愛をまず自分自身に注いでみようか。
#
by iwashido
| 2022-09-10 14:32
| 読書日記
|
Comments(0)