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古本LOGOSの 月1,2回古書店。

蜜柑

1月某日  年賀状1枚85円って高いと思いますか。
      わたしは何百枚も書くわけではないし、紙派なのでとくに高いとはおもわない。印刷する手間やインク代を考えたら、記念イラスト入、寄付金付きでもいいと思い、今年はそれを使った。余裕をもって準備できなかったので、結局年始もかなりすぎてから、最初はお返事を、それからはいろいろ考えたけれど、去年なんらかの形で具体的に助けてもらったよおもえるひとに送った。多少の漏れもあるかもしれない、誤解や行き違いもあるだろう、メディアの主流がSNSやLINEに移っているのもわかる、しかし、童に恋文を託した平安時代から変わらぬ紙に書いた何ものか(文字)に届けるという行為は、尊いものだと思う。というかどうわたしはLINEの類が苦手なのだ。。。

公式とか常識というものが大いに崩れていると思う、建前もホンネも混ぜこぜだ、書きやすいメディアツールが繁盛するのもわかる、しかし言葉は安易に他人に譲り渡すべきではないというのが私の考えだ。このブログだってFBだって何ものかにチェックされているのだ、先日ある写真をUPしたら、NGになった、、、初めての体験。

そうそう、「蜜柑」だ。芥川龍之介の「蜜柑」を読んだのは、何かの短編集か、模擬試験の国語の設問だったろうか。短い中にぎゅっと詰まった状況描写と心理描写。ああ、こんなふうに蜜柑が、鮮やかに鬱屈した精神を裏返す。時代背景もあるだろう、いまここまでくっきりとした体験を出来るか。鈍行電車さえ四人向かい席は稀になった、窓だってあくかどうか、インドで荷物置き場所にまで人が寝そべっていたあの無秩序はいま日本の都会にはないだろう。。奥能登は、いままさに混乱だ。表面的には、一部分では通常モードに変えりつつある。でもそれはやはり一部なのだ。皆、数字を見て安心する、一次避難所が閉鎖されたとか、仮説住宅の充足率が何%とか、水道復旧率がどうのこうの。 みんな紙一重のところで正気を保とうとしている、危うい雪山尾根歩きのようなものだ。でも、最悪の状態に比べればまし、あの地区に比べればマシ、家があるだけ幸運と思おう、そう思うと泣き言も言っていられない。比べるな、他人と比べるな、
自分の持っているささやかな幸運を支点にしてなんとか日々を保っている。。。

そうそして、私にとっての蜜柑は、ヒヨドリが食べに来るみかんのこと。誰かにもらったか、取ってきたか皮に斑点や焼けがある小ぶりのみかん。食べたら甘いのだけれど、剥くのが上手くいかないから半分に切って、庭の木の枝にさす。すると、いつの間にか、もしくはけたたましい鳴き声とともに鳥がやってくる。どこにでもいるヒヨドリだ。
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この子達が、チクチクと、つむつむと、なんとも言えない擬音語でみかんの実を啄むのを見るのが、わたしに取っては芥川が「蜜柑」という小説の中で描こうとした、作者の思い上がりないしは他者への眼差しをひっくり返すにも等しい喜びを運んでくる。人間なんてちっぽけだな、と思う。自然の営みに比べればささやかなことしかできないのに。わたしにとって去年は大地の地震によって祝われた(乃至は呪われた)一年だった。今年はそれにお返しするような気持ちで、ベクトル別のほうへ持っていきたい。埋もれる前に逃げろ! なのである。
けっきょくこのような↓食べ物かアルコールに救われるしかない人間の性。
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# by iwashido | 2025-01-12 13:34 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

何もしないを充分に過ごして 闇癒やす

1月某日  去年は地震で見ることが叶わなかった「箱根駅伝」をテレビでがっつり観る。アラームを7時少し前にセット、8時のスタートまでに頭を少しスッキリさせる。とは言え身体は横たわったまま。お雑煮作ってあげたいけど、ちょっと待ってね、3区までは見たい。だいたい2区は外国人ランナーがかき回すけど、結局は落ち着くべき順位で往路フィニッシュ。早稲田、中央などの伝統校に加え三大駅伝1位を目指す國學院など、毎年様子は変わるね。わたしの推しはナス紺の東洋大。兎に角シードは譲れないよね。
なんだろうなんだろう、何もかもやる気にならない。でもこの隠れ家があってよかった。申し訳なく思うけれどこの場所は良い。静かで、隣近所を気にせず、隠れ家のように使える。ほんとうにほぼほぼ寝ている。。娘の風邪が少しうつったか。地震以後、ちょっと無理し過ぎたか。あまりに駆け足であった。現実を正視できない.マスコミの報道も、ここぞとばかりに「能登半島地震から一年」を伝えてくれるけれど、多くの人にとっては他人事だよね。わたしだってそうだったもの、阪神淡路大震災だって、東北の地震だって。当事者になってみなければわからないことがある。家族の中でさえバラバラ。わたしはどうしたいのだろう。古本屋だってやりたいことなのかどうか。もう重いものを持ちたくないなぁ。本を読む気にもならないなぁ。車に積んである本を交換会用に組み直すことさえ出来ない。数少ない郷土図書を求めてくださるネット通販のお客様からの注文に対応することだけが生きる希望になっている。 
まあ「お正月を珠洲以外の場所で過ごす」という目標が達成できたから、いいか。
とても怖くて、一週間はあの場所に戻りたくない。

1月某日 今日が何日の何曜日なのかよくわからない。新聞とってないから。コンビニまで買いに行くのも億劫。歩いて行ける範囲にあるのだけれど。テレビの番組表示でなんとか。んHKの再放送などを見る。バタフライエフェクト、日本の戦後政治の三大偉人、吉田茂(ですよね?)、岸(田?)信介(故安倍元首相の祖父)、田中角栄の足跡を辿る。。。玉音放送、満州や韓国からの帰国、進駐軍との駆け引き、「象徴(Symbol)」というタイプされた英単語、巣鴨プリズン、日本列島改造論などなど。。
戦後の焼け跡の映像が、能登半島の今に重なる。あの時は、日本中が敗戦後だった、多くの町で同じ様に傷があって皆が叩きのめされて立ち上がっていった、でも能登半島は。広い日本のほんの一部でしかない。しかもかなり特殊な。もう家制度なんか解体しちゃえばいい。土地も財産もいらない。みんなが好きに生きればいい。吉田茂の「日本人には議会制民主主義がせいぜい、民主主義のなんたるかがわかるようになるには時間がかかる。。。」(脳内思い出し再生、違ってるかも)といったことに納得。だから今の日本なんだな。
ちょっと何もやる気にならず、お風呂入って布団敷き直し読書してたらねむくなる。
図書館に本を返しに行こうかな、と思ったけど引きこもりモードが勝つ。
夕方5時のサイレンが聞こえたので、テレビのある部屋に戻り、スイッチ入れるとなんだか見たことのあるイラスト..アニメだ、あれだ、『スキップとローファー』‼️
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んHKでやるって番組紹介は見たな。5日っていうのは今日だったのか。しかもEテレにちょうどあっていたので、学校へ向かって走るシーンから見ることが出来た! マンガは、全巻持っていたけど、去年、避難所になっていた学校の体育館に寄付してきて、そのままその小学校の蔵書になったはず(担当司書さんの判断と私の合意により)。これはちょっと勇気もらえるな。イカジマ町出身の、ミツミちゃん❗️ 君たちは今の奥能登の希望の星だよー( i _ i )
昨日の『ミステリと言う勿れ』(映画版テレビ初放映)も見られたし、ダラダラテレビもけっこういいね。そう思いながら、これから作ったカレーを食べるのである。「日曜美術館」の、私フェルメール、の若き谷川俊太郎の顔とフェルメールの絵を見ながら。


# by iwashido | 2025-01-05 20:12 | 読書日記 | Comments(0)

年末年始の過ごし方(年末編)

12月某日 娘から連絡有。高熱があって関節痛がし喉も痛くて動けない、という。 帰省の予定も年内は無理、医者に行きたいけどこも(緊急病院指定医は)繋がらないという。そんなら直接病院行けばいいじゃん、ていうけど40度近い発熱で苦しんでいるのにそれは無理か、と思い、救急車を呼ばない程度には賢くてカロナールを買いに行ける程度には動けるなら、一晩は耐えてもらう。翌日は大晦日、でも緊急当番医(内科)が近所にある日だったので、ピンポイントでそこを目指す。電話は何回かかけたが、コールは鳴るが出てもらえない。窓口対応だけで精一杯なのだろう。
朝7時半に出て、10時前に金沢市内着、っけっこうフツウじゃね? 道はどんどん良くなって行く、急な雪にも対応できるように自動で滑り止めの塩カル? 砂? とにかく凍結と滑り止めを最小限に食い止めようしてくれている道路工事関係者の熱意には感謝。だいたい年末に金沢向かう方が人は少ないでしょう。どうしてもお正月気分にはなれない、おめでとうとも思えない、新年拗らせ女子なのでちょうど良い気分で人助けに向かう。
病院の前は長蛇でもないけど路上駐車が数台、駐車場は満車、とりええずハザード点滅で受付前に並ぶと電話は鳴りっぱなし、目の前の患者優先に徹していた。受付の方は冷静な笑顔で、保険証乃至はマイナンバーカードの提示を求め、問診票の記入順次促す、問診票は本人に書かせたほうが良かろうとおもって、車内で運転席に座らせていた患者本人と交代。メールやメッセージって本当に良いですね。でもこれ以上進化しなくていいかな。。というのが旧姓代の本音かも。

午前中の受付だけど、診察は午後になります、夕方かも、と言われてそうかあ、金沢市内の各所からこの病院目指してインフルエンザか風邪か新型かの検査や薬を求めてたくさんの人が集まっていることを理解。とりあえず二人の間で感染するのを避けて娘は自分ちベッドで待機、わたしは自分の避難所(巣穴? ねぐら?)に行く。ちょうど荷物が届く日であった。もたもたしていたら午前中に一度配達があった模様で不在票が置いてあった。

午後の割と早い時間帯に、今か30分以内に来院をという電話があった、と言うので悪いけど自分で向かってもらう。熱は37〜38°程度には下がった模様。わたしは荷物を受け取り次第病院へ。新型コロナではなくインフルエンザという判定だったそう。問診票の内容に従って、発熱後何日か、最高何度まで出たか、他の病状などに応じて検査室に割り振られ鼻からウイルス判定に使う体液を抽出され順次判定結果を聞いた模様。薬待ちの時間のほうが長かったという。

さすがにこに状況でわたしが彼女のアパートに乗り込むと、二次感染の恐れが高まるので、私たちの避難所に来てもらうことにする。ここは地震で半壊以上の被害を受けた世帯として借りたみなし仮設アパート、って普通の賃貸物件であるが、襖で区切られる部屋と石油ファンヒーターがあるので、そっちの部屋に娘用のお布団を敷く。夏モードの羽布団二枚と毛布二枚と湯たんぽでなんとか耐えていただく。昨日は水分とゼリー類と薬しか口にしていないようだから、お腹空いたでしょ、何食べたい? 雑炊? プリン? って聞いたら「うなぎ食べたい。。」という。この時期にうなぎか。養殖でいいよ、中国製で、というけどスーパーのどこを探してもわたしがおもっているような「うなぎパック」はみつけられないので、鮮魚コーナーの担当者に聞く。どこもお正月向け鮮魚、数の子、刺身、お寿司、鰤やかまぼこは豊富だが、うなぎらしきものがみつけられないのだ。そしたら「冷凍ならあります、奥の冷凍庫の隅のほう」というのでようやく発見。もう真空パックされた冷凍物であった。年末からもの方金銭感覚が緩んでいるし、現金なければカードで買い物できるものだから幾ら使ったか記憶にない。二人で紅白見ながら、出来合いのお寿司と卵焼きと白菜のスープと「バンザイ山椒」で年越し。娘の前には鰻ね、冷凍だけど一応国産。


あー、この娘はきっとわたしの父の生まれ代わりかもしれないな、と感じた大晦日であった。根拠はありません。なんとなく。頑固なとことか。バスケット好きなとことか。活字は読まないけど。「星の王子さま」は第二外国語フランス語を取ったのでその時読ませられたらしい。どうか来年こそ、みな自分が果たせなかった夢を果たすことのできるよい一年になって欲しい。
わたしは、自分自身が思っていたより、精神の奥底がDeeply Injured であることに気づいてしばらくここを動けない。去年見ることができなかった「箱根駅伝」の往復を見切るまでは寝正月を決め込みます。いっそインフルエンザになって一週間近く隔離されていたいようでもある。一生このまま戻らない、という方法だってあるのだ。これまで耐えていた獅子が赤子になって転生するのだ。精神の三つの変化なのだ。もう熱に浮かされているのだろうか。どこからが夢でどこからが現実なのかもう境目もわからない。朝起きたら毒虫になっているかもしれない。

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ブログテーマ:年末年始の過ごし方
# by iwashido | 2025-01-04 20:36 | 季節のできごと | Comments(0)

誰でもいいから 奥能登を救って…

「かえるくんと、奥能登をすくう」

  タカコがアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。日本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。身長1メートル60センチに満たない標準的な体型のタカコは、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。
「ぼくのことはかえるくん、と呼んでください」と蛙はハスキーボイスで言った。
タカコは言葉を失って、ぽかんと口を開けたまま玄関口に立ち尽くしていた。
「そんなに驚かないでください。べつに危害を加えたりはしません。さあタカコさん、早く中に入ってドアを閉めてください」とかえるくんは言った。
タカコは背負っているリュックサックと、右手に食パンとアボガドとツナ缶の入ったスーパーのレジ袋を下げたまま、言われるがままにドアを閉めた。一人暮らしで最近ここに住み始めたタカコはできる限り目立つことは避けたかった。「さあタカコさん、はやく靴を脱いで」
タカコは名前を呼ばれても不審に思わなかった。表札も出していないし、見ず知らずの蛙にいきなり名前を呼ばれることを特に不審とは思わなかった。そしてかえるくんに導かれるように、キッチンのテーブルの椅子に座った。
「タカコさん、お留守に勝手に上がり込んでしまって申し訳ありません。さぞや驚かれたことでしょうね。でもこうするよりほかにしかたなかったのです。いかがですか、コーヒーでも飲みませんか。さっきセットしたコーヒーサーバーからもうすぐ2杯分の珈琲がご用意できます。タカコさん愛飲の珈琲豆を、少し使わせてもらいました、許可も得ずにすみません」
 タカコはリュックを背負ったまま、テーブルの上にスーパーのレジ袋を投げ出していた。これは何かのいたずらなのだろうか…誰かが着ぐるみの中に入って私を揶揄っているにだろうか? でも鼻歌を歌いながらマグカップにコーヒーをきっちり二等分に注いでいるかえるくんの身体つきや動作は、どう見ても本物の蛙だった。かえるくんはマグカップをひとつタカコの前に置き、ひとつを自分の前に置いた。
「少しは落ちつかれましたか?」かえるくんはコーヒーをすすりながら言った。タカコは疲れてはいたが、無性に珈琲を飲みたかったので言葉を発しないまま、かえるくんがいれてくれたマグカップの珈琲をひとくち、飲んだ。美味しい。これはいつも私が飲んでいる珈琲と同じ味だ。
「本来ならばアポイントメントをとってから来るべきものです、黙って女性のアパートの部屋にお邪魔するなんて紳士のすべきことではない」とかえるくんは言った。「それはよくわかっているのです、タカコさん。アパートに帰ったら、突然大きな蛙が待っていたりしたら誰だって驚きます。しかしとても大事な急ぎの用件があったのです、失礼の段はおゆるしください」
「用件?」タカコはようやく声を発した。「この私になんの用件が? 私は最近このアパートに住み始めたばかりで、家族以外の誰にもそのことを教えていないのに」
「そうですがタカコさん、そうまでしてあなたにお力を借りるしかない、緊急の事態が迫っているのです。いくらなんでも用件も無しに他人のお部屋に上がり込んだりしませんよ。ぼくはそこまで礼義知らずではありません」
「私の仕事に関したことですか? でも私は休職中でもう年末前には辞めることになっています。入院していて、退院したリハビリのためにこのアパートを借りたのに」
「答えはイエスであり、ノーです」かえるくんはタカコをまっすぐにみて言った、「ノーであり、イエスです」
タカコにはかえるくんの真意が測りかねた。まずは落ち着かなければ。リュックサックを肩から下ろし、手帳を開いた。とくに今日の予定はない。テーブルの上のマグカップを掴んで珈琲をもう一口、ゆっくりと飲んだ。かえるくんの淹れてくれた珈琲は思いのほか美味しかった。お店で飲むのと同じくらい。
「ひょっとして、あなたはどこかのコーヒーチェーンでアルバイトでもしていたの? パティシエ修行中の男子が着ぐるみを着ているのかしら」タカコは思いきって聞いてみた。
「ハハハハハ」かえるくんは思いっきり笑った。
「タカコさんはユーモアのセンスがありますね。だってどこのメジャー珈琲チェーン店がカエルを雇うというのですか。それにこれは着ぐるみではありません。ぼくは正真正銘の蛙です。鳴いてみましょうか?」
 タカコは首を横に振って拒否の意味を示した。「かえるくん、それは止めてください、このアパートは音が響くのです。引っ越してきたばかりで隣人とトラブルを起こしたくはありません。だいたい最近は引越しの挨拶も不要だという事なので、隣や向かいにどんな人が住んでるかもしらないのよ」
「そうでした、女の人の一人暮らしというのは、不安なものです。しかも退院したばかりのタカコさんのお家にアポイントも取らずお邪魔して、わたくしとしたことが申し訳ありません。しかし、今回の訪問は故あってのことなのです。あなたにしか頼めない事態が、地下深くで進行しているのです」かえるくんは言った。
タカコはそれに応えて尋ねた、「それはいったいどういった種類の事態なの?」
「地震です」かえるくんは重々しい声で言った。
タカコは口を開けてかえるくんを見た。かえるくんもしばらく何も言わずにタカコの顔を見ていた。二人は互いを見つめあっていた。それからかえるくんが口を開いた。
「とてもとても大きな地震です。地震は1月1日の午前5時10分頃に能登半島を襲うことになっています。つまり一ヶ月後ですね。それはこれまで奥能登を襲ってきた地震よりも更に大きく、マグニチュードで言えば阪神淡路大震災よりも大きなものになると予想されます。ただし、奥能登は人口密集地域ではないので、死者数は千人レベルと想定されます。しかし交通網は分断され、奥能登に至る唯一の国道が壊滅的な被害を受け、停電と断水のため人々は戸惑い、しかもお正月だということで、普段いない帰省した家族や観光客に被害が及ぶ可能性があります。道路機能が麻痺し、消防車も救急車も無用の長物と化します。海に囲まれた半島なので津波が襲う可能性もあります。まさに地獄です。お正月の明け方、初日の出を見るまもなく、眠っていたところを大地震が襲うなんて、考えるだけで恐ろしい」、かえるくんはそう言って軽く首を振った。「震源地はE高校の近くの亀が池の地下深く、いわゆる直下型の地震と予想されています」
「E高校の近く?」
「正確に言いますと、高校の立つ小高い丘の地下深くということになります」
重い沈黙が続いた。
「それで、つまり」とタカコは言った。「あなたがその地震を阻止しようと?」
「そういうことです」とかえるくんはうなずいて言った。
「そのとおりです。ぼくがタカコさんの力を借りて、E高校のボイラー室の地下通路から地下隧道を通って、亀が池の底に潜むミミズくんを相手に闘うのです」

「ミミズくんとはいったい誰のことですか?」タカコはおずおずと尋ねた。
「ミミズくんは暗く湿った地底に住んでいます。巨大なミミズです。腹を立てると地震を起こします」とかえるくんは言った。「そして今ミミズくんはひどく腹を立てています。このところ能登半島で地震が続くのもそのためではないかと言われています」
「ミミズくんは何に対して腹を立てているのですか?」
「正確にはわかりません」とかえるくんは言った。「ミミズくんがその暗い頭の中で何を考えているのか、それは誰にもわからないのです。ミミズくん の姿を見たものさえ、ほとんどいません。彼は普段は暗い静かーな闇の中でいつも長い眠りを貪っています。ところがここ数年、北陸地方ではトンネル工事が増え、山が削られ、時折大きな音が響き何か長細い鉄のミミズのようなものが定期的に通過し始めました。それが地下深くに住むミミズくんの安眠を妨害していないと誰が言えるでしょうか? ミミズくんの目は暗闇の中で退化してしまいましたが、皮膚感覚を通して伝わる聴覚に変わる振動には敏感なのです。ひとつひとつの震えや響きを身体に感じ取り、それらを吸収し、蓄積しているのだと思います。そしてそれらの多くは何かしらの化学作用によって容易に憎しみというかたちに置き換えられます。どうしてそうなるのかはぼくにはわからないのですが」
かえるくんはしばらくタカコの顔を見て黙っていた。言ったことがタカコの頭に吸収されるのを待った。それからまた話を続けた。
「ぼくは個人的にミミズくんに対して反感や敵対心を持っている訳ではありません。ミミズくんは静かな場所を求めて北上を続けました。ぼくは、亀が池のカメを通じてそのことを知りました。カメはぼくらの友だちです、ですからどちらかと言えばミミズくんの味方であると思いたい。しかし向こうはぼくのことなど知りません。静かな場所を求めて北上していたところに、昨年6月と今年の5月に比較的大きな地震が襲いました。心地よい眠りには入ろうとしていたところを破られたのです。しかも二回も。そのことで彼は深い怒りに示唆されたひとつの啓示を得ました。そして、よし、それなら自分もこの能登半島で大きな地震を引き起こしてやろうと決心をしたようなのです。カメたちの情報によれば、それが真実ぼくの知りうる全てです」

タカコはハッとした。どうしてかえるくんは、奥能登のことを知っているの? ここは金沢だし、私は表札も出していない。ストーカーされる程の魅力が自分にあるとも思えないし、タカコの混迷は深まった。
「タカコさんはこの秋まで、高校図書館の司書をされていました。しかし司書とはいえ待遇は嘱託でした。昨年の6月と、今年の5月に立て続けに地震があって、高校は地域住民の避難所になるからということで、学校から1番近いところに住むタカコさんに、震度6以上の地震があったら駆けつけてほしい、という事務長からのお願いがあった。それはあくまでお願い、であって命令ではありませんでした。しかも地震が起きたのはどちらも日曜日と祝日だった。つまり、嘱託のあなたの勤務日ではなかった。それなのに、決められた出勤日に出社した時、やんわりと嫌味を言われた。そのことで長年迷っていた膝の手術をするという名目で、仕事を辞めることを決意された。概ねそう言ったことでしたよね。この理解で正しかったでしょうか?」

「かえるさん、」驚きのあまりタカコはつぶやいた。
「かえるくんです、タカコさん」とかえるくんは指を一本立てて横にふった、
「ぼくのことはかえるくん、と呼んでください」
「ごめんなさい、かえるくん。驚きのあまりびっくりしてしまって。どうしてあなたは私のことを知っているの? 夫にさえ詳しい理由は話していないのに」タカコは言った。
「かえるネットワークは日本全国から集まって来ます。タカコさんの能登の家の隣は田んぼですよね。田んぼに水を張り田植えをすれば、オタマジャクシが泳ぎます。オタマジャクシはいつしか蛙になり、もちろんサギに食べられたり、カラスにやられたりして命を落とすものも多いのですが、蛙の子は蛙です。全ての蛙の知りえたことは、水の振動を通してこのかえるくんのところに届くのです。この世に溢れる情報はあまりに多いので、その取捨選択をしてくれるのがカメです。タカコさんはいつだったか、駐車場のところで亀が池から上がってきたカメを助けてくれましたよね。そのまま行けば、一日おきにやってくる廃品回収車に轢かれていたかもしれないカメを、安全な場所に運んでくれた。カメは恩を忘れません。浦島太郎が助けたカメに連れられて竜宮城に行ったように」
竜宮城に行きたいわけじゃないんだけどな、とタカコは思ったが言わないでおいた。かえるくんの機嫌を損ねるつもりはない。こんなに上手に珈琲を淹れることができる蛙なんてそうはいない。カメとかえるくんが仲良しだとは知らなかったけれど。
「そして、カメ君が知りえた情報によれば、ミミズくんは、あなたの書く文章が大好きだというのです。人がものを書くときに発する波動は、空気の振動としてもしくは水面の波動として地球を駆け巡ります。音の無い音楽のようなものです。二回目の地震以降、タカコさんが文章を書いて、発表する機会が減ったそうです。そしてそれがミミズくんのご機嫌を損ねるほうに1票を投じているらしいのです。日記でもblogでも良いのです。ノーベル文学賞を狙うような穿った文章でなくて良いのです。新聞に投稿したり、同人誌に発表された作品もミミズくんの耳にはすべて届いています。特攻薬にはならないかもしれませんが、タカコさんの文章はボディブローのようにジワジワと、漢方薬のように身体の中から傷ついた心を癒してくれるのです。だから奥能登を助けると思ってぼくに協力してくださるおつもりがあるなら、タカコさんは、毎日何かを書き続けて欲しいのです。それは必ずやミミズくんに届くはずです」…(未完)

★以上の小説もどきは、村上春樹著『神の子どもたちはみな踊る』新潮社、新潮文庫に収録されている「かえるくん 東京をすくう」の2次創作です。というか、枠組みを借りてしまいました。村上春樹様、新潮社様、著作権の侵害をしたのなら申し訳ありません。 しかしこのような形でしか伝えられないことがありました。地震はきました、というかそもそもこれを書き出したのは地震の半年後くらいです。タカコにできたことはせいぜい、地震が起きる時刻を十一時間遅らせることぐらいでした。それでも、あの地震が早朝でなくてよかったと思っている人は多いと思います。。。
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「古書店主のための手引き書」
リストなら書けるかもしれない。
長くて立派な文章ではなくても。

しかしなんでもそうだが、現実は甘くない、古本屋ははっきり言って力仕事だ。本は1冊1冊は綺麗で軽くて優しいけれど、束になってやってくるとこれはもう力技だ。しかも古本は、いる本もいらない本も一緒になってやってくる。買取に来て、と言われれば損得無視で駆けつけなければならないし、ゴミのような本まで引き取ってと言われる。わたしは断ることが苦手なので、結局なんもかんも引き受けて倉庫荷押し込む。それを区分けして、値段をつけて、捨てる物は捨てて、交換会に出すものは出して、と分けなければならないのに分けることが不得手だ。古本屋は決して綺麗事でできる仕事ではない。。それでもやりたいと思う人が絶えないのは何故なんだろう?

古書店主のための覚書
・古本屋は体力勝負である。常に身体を鍛錬し足腰を鍛えよ。
 ただ本を買うために古書店を訪れる人にとっては、1冊の文庫本でも自分の気に入った物があれば満足で、静かに座って店番をしている店主に「好きな本に囲まれて、いいご商売ですね」などと、褒め言葉のつもりで声をかけたくなるかもしれない、しかしそれは決して褒め言葉ではない。その1冊がきれいな状態で棚に並ぶまでには多くの場合、以下のような手順が踏まれている。
 仕入れた(買い取った)本をまず1冊1冊にバラし、埃を取り、値札を剥がし、書き込みがないか確認し、できる限りきれいにクリーニングする。挟まっている個人情報的なもの(ハガキや領収書等)は処分する。帯やカバーの状態も確認し、本の状態が「美品/良好/並/並下/などに分類する。
 自分の店では扱えないと思った本は、適切な方法で処分する。例えば、新古書店に買取として持ち込む、市(交換会)に出す、イベントで見切り品扱いで売ってしまう、オークションサイトに出す、最終的には廃品回収としてちり紙交換やリサイクルステーションに置いてくる。

・古本の生命線は仕入れにあると心得よ。
スマートフォンやフリマアプリの普及によって、誰もが自分の不用品を気軽に「売る」という行為ができるようになった。しかしそれはあくまで個人的なフリーマーケット、もう読んだからいらないベストセラー本を安く売って小遣い稼ぎという範疇だろう。
卑しくもプロの「古本屋」を名乗るからには、自分の本を売るということだけで満足してはいけない。世の中には自分が知らない本の世界が広がっている、できる限り頻繁に市(交換会)に足を運び、できれば大都市圏のそれにも参加し、良い商品を仕入れなければ商売とは言えない。もちろん趣味でブックカフェ、家族の扶養の範囲でマイペースに本を売るだけならそれでもよい、しかし古本道の奥行きは深く険しい。石の上にも十年という言葉が示すように、10年経ってようやくその道の入り口に立ったようなものだと、筆者は思う。
もう本なんて読みたくない、触りたくないと思うほどに本に塗れて一人前である。

•仕入れの要請を受けたら、億劫がらずに早急に対応せよ。宝はどこに眠っていかわからないものである。
・Jは友人の元夫で、今は失業保険を受給中であるようだ.Jの元妻Nさんとは年離れているが友だちなので、大体あったことは報告している.別れたとはいえ、私見ではあるが離婚してからのほうが二人の関係は良好に見える.こじれたらお互い距離を置くというのは人間関係の徹束だ.Jがある日突然ショートメールメッセージで連絡してきて今から銀行にいく用事があってそっちら辺にいくから、本を引き取ってもらえないか、ということであった.もちろんこういう時は即時対応である.大丈夫ですよ午後からなら店にいるからと返信を返して徐に店に向かう.
隣に地域協力隊の事務所のような若者の溜まり場ができてから、年寄りでこの地域に馴染めない自分はとてもこの場所に足を運びにくくなった、隣は常時誰彼あつまって楽しそうなイベントの相談、もしくは未来への希望、もしくは今晩の飲み会の準備などをしているのだろうに、こちらは来るか来ないかわからない来店者を待ってひたすら本の作業である、しかも夏場にエアコンがない、暑がりの私にはもう無理だ、ここに来ることが苦痛なら新天地を探すしかないだろう.そう思っている時に「来店しますよ」などと連絡がああるともう天にも登る気持ちである、ああ早くバーのマダム、カフェのママのような余裕のある態度を持った大人になりたい.私はこう見えても男の人が苦手なのだ、できるだけ他人とは近しくなりたくない、本だけ買ってくれればそれでいいのに田舎では人と人の距離感が近すぎる、誰かが事故を起こしたり流行病に罹ったりオレオレサギに騙されたりしようものなら、その噂は瞬時に町(村)を駆け抜ける、どこのカフェに誰が誰と板田の、あの車のNo.は誰のだから今日は会社休みなんかね、とかプライヴァシーという概念がこの町にはないと思った方がいい.古代ギリシア語に「意志」とか「未来」という概念がなかったと推測されるのと一緒だ.
考えてみて欲しい、英語で未来形は「Will」という助動詞で表現する、willの名詞形は「意志」という意味を持つ、これはただの偶然だろうか? 意志が未来を作り、その意志というのは人間(あなた、であり、わたし、であり、誰彼という3人称)が持つものだ.自然は意志を持つのだろうか? 自然は人間ではないので意志はもたない、それを勝手に擬人化したり(台風に女子の名前をつけるアメリカ的伝統)、こうなって欲しいという期待ヲログラムにこっそりしのばせて、AI的予言を作ったりするそういうための「will」ではないのか? 別にわたしは陰謀論者ではないし特定の宗教を信じる者ではない、強いて言えば誰も信じない教..。英語で、あるお母さんが、子供が公園で遊んで帰ってきた時「今日は誰がいたの?」と問いかけた、その答えが「NOBODYがいたよ」だったって話を読んだ、、、これは翻訳なのか英文なのかでニュアンスも変わるけれど、そういう意味では私はNO ONEを信じている、のかもしれない.つまり私が孤独であることは必然なのだ.未来を信じない、意志という概念に組みしない、今日お店に誰か来た? と言われて「Nobodyが来たよ」と言えるくらいにならないとなぁ...ともかく今日はJ氏がくる、しかも鴨がネギ背負ってやってきてくれる、せめてコーヒーくらい入れてあげよう.そう思ってお店に向かう.

流されて流されていつの間にかこんなところに辿り着いてしまった、
人生は川の流れのようで、思った通りの場所には行けない、
もともと何ものかになりたかった訳でもない、
だからこれでいいのだ、と言っていればいいものを、
そこが生来の捻くれで、こんなはずではなかったとしか言えない。

もう誰かに評価されるために何かをするのはやめよう、
誰かに悪口を言われたくなくて、いい顔をするのもやめよう、
どのみちこの国では、だれも面と向かって悪口は言わない、
いうのはいつも陰で、その人のいないところで、
何食わぬふりで、悪気もなく、そっと無視するように、
真綿で首を締めるように悪口は語られる、
いいのだ、この国で、この土地で仲間を求めるのはもう諦めた、
この国の言葉と相性が合わないのなら、合う言葉を探そう、
詩の言葉でも、数学の言葉でも、異国の言葉でもいいではないか。。。
誰かの居場所になるのも止めよう、
ただ一人歩め、だれもついて来なくても、本が売れさえすれば良い。

私って短気さ、すぐに腹を立てるさ、オバケになっても
きっと短気さ。
昔からそうさ、思い通りにならぬと、癇癪起こして
騒ぎ立てるさ。

土曜日はカレーさ、うちの夕食は、ボンカレーでもいいから
カレーにしてよね。

そこまで来てるよ、頭は出てるよ、あとはそれを勇気持って
外に出すだけ。

傷口は見たくない、誰だってそうさ、でも傷を見ないと
いつもそのまま。

友達って何さ、思い通りになる人? そんなことないさ、
信じられる人。

そんな人いないさ、だれだって独りさ、一人で産まれて
ひとり死ぬだけ。

人生って何さ、意味なんてないさ、だけど「今ここ」では
誰もが平等。

お金なんてないさ、貯金なんてないさ、明日飛行機に乗って
どこかに行こうか。

逃げたらだめさ、もう逃げられないよ、背後にあるのは
崖っぷちだけ。

飛び降りる勇気は あってもするなよ、窮鼠猫を噛めば
何でもできるさ。

腹を立てていいさ、嫌いになっていいさ、悪口を言うななんて
だれに教わったの?

水が清すぎて 魚も住めない、いろんな魚には濁った水が。

濁ってもいいさ、それが私さ、清すぎる天使には
ならないでおくれよ。
誰でもいいから 奥能登を救って…_c0107612_20473252.jpeg

 
      
 

# by iwashido | 2024-12-20 15:11 | 朔のつぶやき | Comments(0)

いつもとおなじの年末は Xディへのカウントダウン

12月某日 雨のち曇り
 毎日なにがたのしいかと言えば夜の暖かな眠りと、注文📨(主に日本の古本屋)が入っているかどうかメールで確認することだ。というか、メーラーを開いて「クレジット受注」とか「ご注文ありがとうございます」というタイトルのメールが入っているとそれだけで嬉しい。額の大小は関係ない。わたしの出品した本を必要としてくれる人がいる、という事実がシンプルに嬉しい。どうじょうするならかねをくれ、の世界なのだ。かなり精神がヤサグレている。

 これというのも、年末年始のご準備はお早めに、とかいうマスコミのすべての報道が 精神をいらだたせる。それはつまり、あの日に近づくことを思い出すということなのだ。どうせ崩れるかもしれない日常をまた整えるというのはアウシュビッツの囚人たちがさせられたいみのない煉瓦運びか穴掘りに等しい。同じ日の同じ時刻に地震がくる確立のほうが低いのは理屈としてはわかる、でもかんじょうてきにはわからない、わかることを拒絶する精神のかたくなさがある。つまりまだまだ病んでいるということ。

 マスコミは美味しいことしか報道しない。心温まる話、復興に向けて地域の拠点としてがんばっているスーパーやNPOや拠点づくりの努力をしている人たちの頑張りが語られる、取り上げられる。そしてわたしたちもそのニュースに勇気づけられる一面もあるが、なんだかなぁ、とおもってしまう時もある。彼らの頑張りを否定する意図はない、むしろ報道する側の眼差しだ。多くのSNSメディアですら、「いいね」とか「ふぉろー?」「好き」とか何らかの反応を示したところに類するじょうほうを優先的におくりつけてくる、それも随時プログラムを微妙に変えて、前はとどいていたゆるやかにつながっていたひとのつぶやきがとたんにみえなくなる、無料ということはそういうことだ。提供者が情報の取捨選択権を握っている、あなたはこれが好きでしょ、だったらこれなんかどう? ってAIってやつらに遊ばれておるのかと思うと無茶苦茶腹立たしい。人間は人間であることを辞めたがっているみたいだ。自分で文字を読まず、本を選ばず、運転も誰かまかせ、自分の足で歩くことすらやめてすべてはAI神の思召すまま生かされる世界に生きるくらいならわたしは滅ぶ道を選ぶ。もうあの日一回死んでるから。少なくとも精神は。その時から復活のしようもないくらい地面に穴があきました。原爆後のヒロシマよりはましなのかもしれないし、ガザ地区の悲惨さ、世界中で起きる多くの巨大地震、東日本大震災の現地にもいっていないお前になにがわかると言われそうだが、苦しんでいるのはあなただけではない、と言われそうだが、みなまだまだ心に傷を抱えている、それは分かって欲しい。甘えとは言わずに。

12月某日 お上りさんとして新幹線で東京へ。金沢に拠点があれば、むりなく始発もしくはそれに準ずる早めの新幹線に乗れるわけだ。この前格安駐車場(昼間最大350円!軽限定)に停めたらかすられた(貰い事故)にあったので、時計台Pに停める。ここなら雪がふっても安心。割引券ももらったし(みどりの窓口で)。東京にいったのは、昔働いていた職場の後輩が、まあ出版社の文化祭のようなイベント(#蔵前ちくま書店)によんでくれて、LOGOSのゆるキャラ「ろごすくんエコバッグ」と、能登半島地震復興募金を企画してくれて、そのPRおばさんとしていったわけだが、なんやかんやと会う人、お茶する時間の方が長くて、あんまり募金のPRにもエコバッグのPRにも、自分の店のPRも出来なかったような気がする。まず朝10時半に元部長と会う。時間に正確な方なので、10時半ぴったりに携帯に着信有。ぎりぎりで本社家屋内に入れてもらっていて、後輩にも会えていたのでセーフ。そこで11時のイベント開始までお茶する。昔話と、同期のその後と、地震のお見舞い。もう30年も疎遠にちかかったのにこうして「地震」というだけで駆けつけてくれる気持ちが有難い。お茶の時間は結局11時半くらいまでになってしまって、売り場に戻ったら「LOGOSさんはいますか?」って方がさっき来たよ、4階にいるよ、と言われるが4階にあがるにはエレベーター7人乗りが行列になっており、なんかうかうかいけない雰囲気だったので、自分のグッズが置いてるスペースでうろうろする。
 1階では「ちくまグッズガチャ」が人気であった。300円で、ロゴマークマグネットや、缶バッジ、シークレットアイテムもかなりまぎれているようで、何も入っていない紙だけのものが「シークレットお宝」で、カウンター内にいるスタッフにいって交換してもらう。ちなみに会う約束をしていた友人は二つもシークレットを当てた! すごい! その後交代で昼休みになった後輩(Mさん)と古本仲間のS書房さんと近くのカフェでランチ。昔はおもちゃ問屋街で殺風景だった蔵前に、おしゃれなカフェや、マクドナルドや、コンビニも多数乱立。浅草寺とスカイツリーに近いので外国人がけっこう泊まるためアパホテル等も出来ている。金土はバカ高、日曜と月曜は少し安いけど。。。ともかくランチ後は蔵前周辺の古本屋を回る。絵本専門店と、向島界隈から浅草橋駅近くに移転してきたスーベニアさんに行く。S書房さんはスーベニアさんと近しいようでご紹介いただく。「石川の古本屋」の紺色のエプロンをしたままだったから、古本屋と思ってもらえたようだ。新刊と古本が絶妙にミックスされた本屋らしい本屋になっていた。

正直、本なんてもう読みたくもない、、のであまり買えない、というか買う気にならない。ごめん。セドリすれば面白そうな本何冊か見たけど。。持って帰るの? また増やすの? どうすんのよ家の片付けは? と脳内でせめぎ合う罵倒の言葉におされつつも、読みたかった本、売ってみたい本、グッズ、Tシャツなどを買ってしまう。馬鹿だねー。。。(蔵前ちくま書店は、筑摩書房の推し本や、レア本も少し、定価で販売するイベントでした。5000円以上お買い上げの方には、薄めのエコバッグプレゼント、ここでしかもらえないブックカバー、栞などの特典がありました。エアレジ対応、カードも使えました。)
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夕方には都内で建築事務所をやっている夫の従兄弟のFご夫妻来訪。伝説の女子の古本屋の巻頭を飾る「古書日月堂」のデザインをしたり、鹿島茂の公開書庫(青山周辺にちょっと前にできた?)の設計にかかわったいま伸び盛りの #トルク建築設計所 をやっておられる。両親の実家が奥能登なので、LOGOS店舗のことでも少し相談にのってもらったり、でも私の気持ちが方向づけられず決めきれずにいることもよくご存知。

…まあ楽しい二日であっただけに戻ってきてからの落差が激しい。
  あまり外界のことに惑わされず、目の前にあることを一つずつ。今日はクリックポストを投函して、クリーニングを取りに行ってセーター出して、カムカムを見る。そこまでやったら今日のお稽古はおしまい。「こすずめのぼうけん」のように少しずつ。でももう迷いの世界に突入している(ぼく、もっと飛べる! 世界中を見て来られる!)。おいおい……
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# by iwashido | 2024-12-17 10:59 | ロゴス&LOGOS | Comments(0)

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